ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第717話 1993年水島臨海:偉い人の苦言(その3)

水島臨海鉄道で見たかったのは機関車です。水島臨海鉄道はさすがに臨海鉄道だけあって、貨物輸送用に自前の機関車を保有しており、国鉄機にはないオリジナリティが伺えました。 

 

1.DE701 (倉敷貨物ターミナル:1993年12月)

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 早速やってきたのは、JR機?ではなくて、これはDE11と同型の水島臨海鉄道発注車であるDE701(注1)です。1250PSの70t機で私鉄では最大級です。

(注1)DE701の車歴

・水島臨海DE701:1971年川崎車輌

 

2.DE701の牽引する貨物列車 (倉敷貨物ターミナル:1993年12月)

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 DE701はしばらくすると水島方面から貨物を牽引して戻ってきました。コンテナは1両もなく、旧態然とした好ましい編成ですが、この機関車は正直どうでも良かったです。

 

3.DD501 (水島機関区:1993年12月)

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 車庫内にはDD500形(注2)がいました。

DD500形は5両が在籍していましたが、製造年、メーカー、形態が様々で、このDD501はトップナンバーではありますが、最終増備車で、一番最初に導入されたのはDD503です。これは、DD503がそれまで在籍していたDC501,502に続く番号となったためで、DD506まで増備された時にDC501がいなくなったので、その後の増備車はDD501となりました。

 

4.DD504+DD505 (水島機関区:1993年12月)

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DD500形はDD503,504が1991年に廃車となっていましたが、その後は機関車の補充はありませんでした。車庫内には未入籍のDE10形が2両放置されていますが、この2両の扱いがよくわかりません。もしかすると部品確保のためか? 機関区にはDD504が残っていましたが、DD503は売却されたそうです。初めて水島臨海を訪問した1976年に、DD503の牽引する貨物列車を倉敷市駅で見ましたが、DD503は一風変わったスタイルだったので印象的な機関車でした。本当は、DD500形の異端車であったDD503を見たかったわけですが残念です。

(注2)DD500形の車歴

・水島臨海DD504:1961年川崎車輌

 ・水島臨海DD505:1962年川崎車輌

・水島臨海DD506:1966年日立製作所

・水島臨海DD501:1968年日立製作所

ちなみに、DD503は、50t機であるDD500形の中でなぜか45t機でした。 

 

5.キハ201+キハ206 (三菱自工前:1993年12月)

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 機関区からの帰りも歩きました。他に交通手段がないので仕方ありませんが、水島駅から往復で5キロほどあります。

途中、三菱自工前で回送列車を撮影しました。ここに駅はありますが、この駅に停車する列車は非常に少なく、回送列車には乗せてはくれません。

 

6.キハ211+キハ210 (水島:1993年12月)

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 ようやくたどり着いた水島駅は、高架駅になっていました。新幹線でも走って来そうな立派な高架路線ですが、架線がありません。この日は天気も良く、まだ時間もたっぷりあるので、つまらない車両ですが、本線撮影をすることにしました。

 

7.キハ212+キハ203 (水島:1993年12月)

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 せっかくなのでもう1列車待ちます。乗るはずだった列車を見送りました。しかし、高架上を走る列車は味気ないです。

 

8.キハ201+キハ206 (水島:1993年12月)

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 立派な複線区間ですが、これは貨物列車との交換のため、有効長が長く、まるで複線路線の様です。こんなに立派な線路なので、やはり車両はボロく見えてしまいます。この時、この気動車がなくなる頃には、この路線は電化でもされているのではないかと、思いました。

この後は、高架区間を列車でパスして弥生へ向かいました。