水島市街は高架化されていましたが、弥生から倉敷市側は昔ながらのローカル線でした。
1.キハ212+キハ203 (弥生~浦田:1993年12月)
この頃の水島臨海鉄道は、沿線人口の増加によって利用客が増え、旅客輸送に本腰を入れた頃でした。かつては貨物主体だったので、日中の列車はほとんど走っていませんでしたが、列車本数が激増してほぼ1時間に2本程度運転されていました。そして、新しく駅も増えていました。かつては弥生~西富井間は約4km程駅がありませんでしたが、浦田、福井の2駅が開業して利用しやすくなりました。この辺りは畑しかない場所でしたが、駅ができると沿線には新しい家も建ち、街らしくなっていました。
2.キハ212+キハ203 (浦田~福井:1993年12月)
よって、旅客車の増備が必要となり、それまでキハ35形7両だったものが、一挙にキハ20形(注1)12両に置き替わりました。ちょうど廃車が発生していた元国鉄キハ20形はまさしく救世主だったと思います。
3.キハ201+キハ206 (浦田~福井:1993年12月)
(注1)キハ20形の車歴
・水島臨海キハ201←国鉄キハ20342:1960年日本車輌製
・水島臨海キハ202←国鉄キハ20465:1962年日本車輌製
・水島臨海キハ203~208←国鉄キハ20338,20340,20321,20314,20310,20318:1960年日本車輌製
・水島臨海キハ209,210←JR西キハ20521,20522:1965年汽車会社製
・水島臨海キハ211←JR四国キハ20413:1951年帝国車輌製
・水島臨海キハ212←JR四国キハ20322:1960年日本車輌製
4.キハ208+キハ204 (球場前~倉敷市:1993年12月)
この日の撮影の締めは、球場前~倉敷市間の山陽本線と併走する場所でした。この時の8年前になりますが、この場所は前回1985年訪問時(第175話)にキハ35形を撮影した場所です。
5.キハ208+キハ204 (球場前~倉敷市:1993年12月)
1985年当時のキハ35形は、国鉄旧気動車色で国鉄車両そのものでしたが、今回のキハ20形はご覧の白装束です。どーでも良いと思って撮影していたキハ35形が懐かしく思えました。
6.キハ212+キハ203 (球場前~倉敷市:1993年12月)
併走する山陽本線も、車両が変わりました。かつては都落ちした80系湘南電車しか走っておらず、その80系で山陽路のローカル私鉄早回りをしていましたが、この頃は2扉転換クロスシートの115系3000番代が新規配属され、サンライナーと称する117系なども・・・。やはり、お洒落な倉敷にキハ20は似合わないかも。
7.キハ212+キハ203 (球場前~倉敷市:1993年12月)
その後、水島臨海鉄道は例の「偉い人の苦言」により、ボロ脱却に拍車がかかります。そして、1年後の1995年2月には、中古車ではなく新製車の登場となりますが、まさかのデッカイNDC!!。