ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第724話 1993年島原:島原大変!!(その3)

島原鉄道は路線長が78.5kmもある長大非電化私鉄でした。かつて国内の二大非電化私鉄と言えば、東の関東鉄道、西の江若鉄道と言われましたが、江若鉄道亡き後は、路線の規模や保有車両数から西の島原鉄道と言っても過言ではありませんでした。

しかし、規模が大きいと車両の置き換えが大変です。経済的に新車の導入は難しく、手っ取り早く中古車に依存するしかありません。島原鉄道の場合は、1975年から国鉄の中古車を積極的に導入して、当初はキハ16,17形を主力車に迎えましたが、1985年からその第2弾としてキハ20形が導入されました。

 

1.自社発注のキハ2002 (南島原:1993年10月)

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 ところで、キハ55形やキハ26形などの準国鉄仕様車両を自社発注していた島原鉄道には、国鉄キハ20形モドキの自社発注車のキハ20形(注1)が3両いました。この3両はモドキと言うより、トイレなしの本物相当で、これも長崎本線乗り入れ用にキハ55形やキハ26形よりも一足早く、1958年に製造されたものです。

(注1)キハ20形(自社発注車)の車歴

・島原キハ2001、2002:1958年日本車輌

・島原キハ2003:1958年帝国車輌製

 

2.自社発注のキハ2003 (南島原:1993年10月)

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 自社発注のキハ20形は、最初に導入された2両は初期の国鉄キハ20形同様に、側窓がバス窓タイプでした。しかし、同じ年に導入された3両目のキハ2003はバス窓ではなく、お馴染みの国鉄キハ20形200番台タイプとなりました。

 

3.キハ2005他 (南島原:1993年10月)

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 そして、国鉄から移籍してきたのはキハ2005~2017で、1993年時点でキハ20形は16両もの所帯になっていました。(キハ2004は欠番)

 

4.キハ2011他 (南島原:1993年10月)

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 国鉄から移籍したキハ20形(注2)は、九州管内で使用されていた車両で、国鉄の路線廃止や第三セクタ―化で余剰となったもので、島原オリジナルのキハ20形との相異は、トイレ付きであることくらいです。

 

5.キハ2012 (南島原:1993年10月)

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 (注2)キハ20形(移籍車)の車歴

・島原キハ2005←国鉄キハ20304:1960年日本車輌

・島原キハ2006←国鉄キハ20440:1962年日本車輌

・島原キハ2007←国鉄キハ20463:1962年帝国車輌製

・島原キハ2008←国鉄キハ20295:1960年富士重工

・島原キハ2009←国鉄キハ20346:1962年日本車輌

・島原キハ2010←国鉄キハ20277:1960年東急車輛

・島原キハ2011~2014←国鉄キハ20431,20432,20437,20451:1962年日本車輌

・島原キハ2015←国鉄キハ20397:1961年東急車輛

・島原キハ2016,2017←国鉄キハ20433,20444:1962年日本車輌

 

6.キハ2013他 (南島原:1993年10月)

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キハ2005~2008が1985年、キハ2009~2017が1987年の入線で、キハ2009~2017は国鉄清算事業団経由で移籍しました。 ちなみに、これらのキハ20形は、1991年までに全車冷房化されていました。さすが非電化私鉄の西の雄です。外観はくたびれていますが、肝心なサービスは抜かりありませんでした。

 

7.キハ2015 (南島原:1993年10月)

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島原鉄道にはキハ20形が16両在籍しましたが、この時点ではキハ2007と2009が事故廃車となっており、実態は14両の在籍でした。そして、この翌年から待望の明るい話題である、新車の2500形が登場します。