ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第728話 1993年西鉄(北九州):微妙な共存(その3)

今回は西鉄北九州線の沿線撮影の様子です。

沿線と言っても、路線長は僅かに5km足らずで、全線複線の専用軌道です。しかも全線にわたりJR鹿児島本線が真横を併走しており、どこも同じような風景です。

 

1.646 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 効率よく撮影するには、列車本数が多い、黒崎駅前~熊西が妥当でした。この区間は北九州線の列車と筑豊電鉄の列車が走ります。しかし、列車はいっぱい走っても車両が面白くありません。

 

2.622 (西黒崎~熊西:1993年11月)

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 とりあえず筑豊電鉄の列車はさておき、西鉄の600形を狙いました。600形は50両も製造されましたが、当時残っていたのは近車製の9両だけでした。全車冷房車で、更新時期によって前面窓の大きさや前照灯の2灯化など若干スタイルが異なりました。

 

3.611 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 残った9両の600形は番号が飛んでいましたが、恐らく状態の良いものが残されたと思われます。ところで600形には、かつて新潟鐵工製の車両が13両存在しました。西鉄と新潟鐵工の接点がよくわかりませんが、600形以前の車両で66形(更新車)10両も新潟鐵工製でした。昭和20年代は新潟鐵工もまだ電車製造に意欲的だった時期と思われ、特に茨城交通水浜線や函館市電仙台市電名古屋市電、東京都電にも路面電車を納入していました。このような背景から西鉄も新潟鐵工製の車両を採用したのかも知れません。

 

4.632 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 この632は更新時に前面窓が大型化されず、前照灯も1灯のままでした。固定窓がHゴム支持ですが、比較的600形の原形に近い形態をしていました。これと同じスタイルの車両が何両か残されましたが、632は全線廃止となる前の1998年に635といっしょに廃車となりました。

 

5.筑豊2002編成 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 乗り入れ区間を走る筑豊2002編成も撮っていました。この電車は3両連接ですが、北九州線のガラガラ電車とは違い、結構混んでいる様でした。やはりこの路線は筑豊電鉄に明け渡した方が良い様に思われました。

 

6.632 (熊西~皇后崎:1993年11月)

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 しかし、西鉄のプライドなのでしょうか、黒崎駅前~熊西間のわずか0.6kmは、北九州線が廃止されても西鉄保有路線であり、筑豊電鉄は2種事業者として乗り入れています。