ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第730話 1985年赤平炭鉱:「社会勉強」と言う口実

今回はローカル線ネタではありません。

学生時代に友人と初めて渡道した1985年の夏のことです。北海道ならではの風景を見ることが目的でしたが、観光地だけではなく、「社会勉強」のために、友人と共に赤平炭鉱へ行きました。

とは、いうものの、本当は炭鉱のトロッコが見たくて、「社会勉強」は友人を説得するための、もっともらしい口実でした。幸い友人は、土木系を専攻していたので、話は早かったです。

 

1.住友石炭鉱業赤平炭鉱 (土場:1985年8月)

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ところが、この日は日曜日で炭鉱はお休みでした。閑散としていましたが、そびえ立つ立派な立坑の櫓、そして、わけの分からぬ機材と雑然とした雰囲気がいかにもです。

 

2.鉱車 (廃材置き場:1985年8月)

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 当時の北海道には、まだまだ多くの炭鉱が稼働していました。その中でなぜ、赤平炭鉱だったのか? 正直記憶はありませんが、恐らく私のバイブルである鉄道誌の「知られざるナローたち」に、赤平炭鉱の様子が掲載されていたことと、場所も比較的わかりやすいところだったからだと思います。

 

3.土場の様子 (資材置き場:1985年8月)

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 赤平は、石勝線の開業でローカル線化した根室本線の滝川~富良野間にある炭鉱の街でした。そして赤平炭鉱は、北海道の炭鉱では比較的晩年まで稼働していました。釧路の太平洋炭鉱の様な専用の運炭鉄道はなく、赤平駅と炭鉱の間に引き込み線があるだけで、国鉄の機関車がセキを牽引していただけなので、さほど魅力を感じませんでしたが、ここには一般道を横切る構内トロッコがあり、土場では地元のオバちゃん達がバテロコを運転していました。

 

4.鉱車 (立坑構内入口:1985年8月)

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 さすがに休日なので、誰もいません。バテロコも見当たりませんが、年季の入った鉱車だけがあちこちに留置されていました。

 

5.構内の様子 (構内坑口付近:1985年8月)

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建物の扉が開いていたので、ちょっとだけ中をのぞいてみました。前方は竪坑ですが、この先は黙って入るわけにもいかないので、ここまでです。 

 

6.鉱車留置線 (立坑構内入口:1985年8月)

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 竪坑側には、鉱車の留置線がありました。広々としていますが、冬は積雪が多いので除雪を考慮したものでしょうか。トロッコのゲージは610㎜で、ここには6tBLがいるはずですが、どこに隠してあるのか?見当たりません。

 

7. 踏切部の軌道 (一般道踏切:1985年8月)

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 ここが、一般公道である道道227号を横断する場所ですが、道道が軌道を横断していると言うのが正しく、ちゃんと踏切になっていました。道の向こう側の架線柱のようなものから紐が垂れていますが、これを引くと遮断機が下りるようです。

結局、この日の「社会勉強」は空振りでしたが、このリベンジを半年後の冬に果たします。