ここからは、" どーでもよい ” と言うと怒られそうですが、惰性で土佐電のイベント車の話題です。
それまでイベント車とは、国鉄(JR)や距離の長い大手私鉄などが保有する「お座敷車両」や、地方私鉄ではせいぜい「花電車」程度でしたが、バブル期になると地方鉄道でもイベント目的の専用車を保有する様になりました。 これは国鉄から切り離された第三セクター路線に導入された軽快気動車などに散見されたカラオケ、ビデオデッキ搭載の娯楽車両が発端の様です。
そして開業以来、正統派だった土佐電もついにイベント車ブームに嵌ってしまいました。
1.301 (桟橋車庫:1994年8月)
先ずは301(注1)です。
大変ユーモラスな外観をしています。この車両は、廃止となった西鉄北方線の324を購入し、1980年に301(注1)として一般営業に投入されていましたが、1985年にカラオケ電車に改造されました。
2.301 (桟橋車庫:1994年8月)
そもそも、301は1両だけの存在で営業もツーマンで運用されていたので、なぜこの様な車両を購入したのか理解できません。結局、中途半端な異端車だったので、カラオケ電車に振り向けたのか?
(注1)300形の車歴
・土佐301←西鉄北方324:1956年東洋工機製
301は2007年まで使用されて、廃車後は北九州に里帰りしました。
3.7 (桟橋車庫:1994年8月)
続いて、レトロな単車の7形7号(注2)です。普段使用されていないのか、車庫内に押し込められており、こんな写真しかありません。この車両は土佐電開業80年を記念して復元された車両ですが、足回りは自社で保管されていた321を流用して車体は新製のニセ木造(鋼製)車です。モデルとなった車両は1905年日本車輌製の7形ですが、足回りはもともと7形22号のブリル台車です。
(注2)7形7号(復元車)の車歴
4.735 (桟橋車庫:1994年8月)
ここからは、イベント用輸入車です。土佐電では、開業85周年を機に、海外の路面電車を集めて走らせることが企画され、その第一号となったのが1990年に導入された735形です。
735形(注3)は、元ドイツのシュツットガルト市電の2車体連接車です。しかし国内の一般的な連接車と違い、単車を2両ひっつけた連接車です。現在のGT系列のLRVと同じような感じですが、超低床車の様な独立車輪の台車ではありませんが、主電動機は車体装架のカルダン車です。
(注3)735形の車歴
・土佐735A,B←シュツットガルト市714A,735A:1965年エスリンゲン製
5.735 (桟橋車庫:1994年8月)
この電車で驚いたのは、オリジナルは一方向にしか走らないので、ヨーロッパではよくある片運列車ですが、これを土佐電で走らせるため運転台のある車両同士の2連に組み替えて導入したことです。 この他にも日本仕様に変更して認可を受けました。この前例として、広電が導入したドルトムント市電があったので、少しは認可されやすかったのではないかと思います。なお、この電車は2014年に福井鉄道に譲渡されました。
6.320 (桟橋車庫:1994年8月)
320形(注4)は、元オーストリア・グラーツ市電204です。
こんな写真しかありませんが、この車両は4輪単車です。ちょうど広電238(元ハノーバー市電)と同じ大きさです。導入に際し木造車体を新製鋼体化し、狭軌へ改軌、戸閉連動や保安ブレーキなどの追加などを施し、1993年に導入されました。
・土佐320←グラーツ204:1949年SGP製
7.元ウィーン市電541、1606(未入籍車) (桟橋車庫:1994年8月)
さて、この元ウィーン市電の2両は、この年に到着した車両ですが、未整備で車庫に保管されていました。この車両は有名な親子電車であり、馴染みあるスタイルの電車ですが、その後なぜか整備されずに姿を消しました。この他にもプラハ市電も整備されずにいなくなりました。輸入車両は国内の中古車と違い、認可を取るために国内仕様に改造しなければなりませんが、それも図面や仕様書があっての話しです。訳の分からない海外仕様の電車など手探りで改造はできませんし、マンパワーも馬鹿にはなりません。バブル期が過ぎ、イベント車まで手が回らなくなったのか?可哀そうに、導入のタイミングを逃してしまった様です。