ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第748話 1993年南海(貴志川):ラピート誕生の頃

1993年は、2年ぶりに南海電鉄貴志川線を訪問しました。

この頃、南海電鉄では関西国際空港乗り入れに伴う新型特急車の愛称を公募していた頃であり、天王寺支線が全廃された頃でもありました。

 

1.新型特急車のネーミング募集のチラシ

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この電車はご存知のとおり、「ラピート」と命名されましたが、ネーミングの募集などは、水面下で決まっているようなものです。高輪ゲートウェイ然り・・・。 それにしても、この車両はいったいなんなのか?車両メーカー泣かせであったことは間違いないと思いますが、貴志川線のモハ1201形とは同じ南海の電車と思えない豹変ぶりです。

 

2.モハ1210+モハ1241 (吉礼~伊太祁曽:1993年4月)

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 そしてこの頃の南海電鉄は、関空アクセスを契機に保守的?なイメージを一新するため、いわゆるCI化の一環で車両塗装の変更も実施されました。ところが、本線とつながらない南海の離島であった貴志川線は仲間に入れてもらえず、完全に別会社の様な扱いでした。

 

3.モハ1234+モハ1204 (吉礼~伊太祁曽:1993年4月)

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 しかし、それはおおいに結構なことで、長老のモハ1201形は変な塗装に変わることなく現状を維持していました。

 

4.モハ1234+モハ1204 (吉礼~伊太祁曽:1993年4月)

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 この日は、例によって和歌山県の小私鉄を早回りしている途上でしたが、昨晩から大雨で天気が悪く、雨はやんだものの朝は霧にやられました。しかし、検査を出場したばかりのピカピカのモハ1234が試運転列車で登場するサプライズに遭遇しました。

 

5.モハ1201+モハ1217 (吉礼~伊太祁曽:1993年4月)

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 トップナンバーのモハ1201がやって来ました。モハ1201形はかつては車両数が多く、雑多な生い立ちと複雑な改造経歴だったので複数のスタイルが存在しましたが、その中でもこのモハ1201は最も洗練されたスタイルだったと思います。

 

6.モハ1210+モハ1241 (伊太祁曽~東山:1993年4月)

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 もうすぐラピートの時代になりますが、貴志川線は電車だけでなく沿線も昭和の風景が散見されました。しかし、いつまでこの車両を使い続けるのか?

 

7.モハ1201+モハ1217 (伊太祁曽~東山:1993年4月)

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 この日は適当に引き上げるつもりでしたが、少し晴れ間が出て来たので、もう少し撮影を続けることにしました。