ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第757話 1993年富山地鉄:二兎を追う者は・・・。(その2)

1993年のGWは欲張りすぎてしまい、四国から北陸まで移動しましたが、結局天気が悪くどこも共倒れになってしまいました。まさに、二兎を追う者は一兎をも得ずでした。

本命の立山砂防も空振りに終わり、仕方なく富山で行程調整です。

 

1.モハ10032、モハ10026 (電鉄富山:1993年5月)

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 立山は雪でしたが、富山市内は少し晴れ間がありました。よって、富山地鉄の撮影に予定変更です。

まずは、電鉄富山駅の様子です。元京阪特急だった10030系がかなり増殖していました。そのあおりで運輸省規格型の14710系やモハ14750形が淘汰されてしまい、なんとも面白くない状況でした。

 

2.モハ10040、クハ171 (電鉄富山:1993年5月)

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 元京阪特急は、この年までに2連8本がすべて導入され、新たな主力車になっていました。そして、黄色と緑の新塗装もかなり増えていました。

 

3.モハ14792 (電鉄富山:1993年5月)

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 電鉄富山の構内には増結用のモハ14792が留置されていました。この電車は、富山地鉄初のカルダン車として登場した14770系のクハでした。運用の見直しから両運のモハ1492となり、相棒のモハ1491と共に増結用として重宝されていましたが、突然車体更新を受けて全く違うスタイルに変身してしまいました。この頃、地鉄では吊掛車が淘汰されていた時期で、両運車であるモハ14750形も減ってしまい、モハ14792はますます忙しくなっていました。

 

4.デ1016 (富山駅前:1993年5月)

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 市内線の方は、相変わらずデ7000形の牙城でした。徐々に冷房車も増えていましたが、こちらは何やら新車の噂が立っていました。この年の7月には日本車輌製のVVVF車である8000形が5両登場します。そうなれば、7000形にも廃車が出るとのことですが、正直どうでもよい噂でした。

 

5.クハ182+モハ14782 (沢中山~釜ヶ淵:1993年5月)

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 さて、雪の立山砂防には参りましたが、まだ午前中なので気を取り直して地鉄の撮影に変更です。再び立山線に乗り、釜ヶ淵へ・・・。

 

6.モハ14782+クハ182 (釜ヶ淵~沢中山:1993年5月)

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 立山線の釜ヶ淵~沢中山間には道路陸橋がオバーパスする場所があり、そこからズームで狙うと何枚も列車が撮れます。この日は薄日の射す天気となりましたが、この程度なら、両面が撮れました。

 

7.モハ14782+クハ182 (釜ヶ淵~沢中山:1993年5月)

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 これは立山方面を撮影したものですが、線路の先には沢中山駅のホームが見えます。この付近は富山平野扇状地に開かれた田園地帯です、微妙に傾斜が付いた地形に沿って棚田になっており、線路も立山方向に向けて緩い片勾配が続きます。