京福越前本線には、1992年に訪問しています。その時は、東古市~勝山間を転々と歩いて撮影をしました。その様子は第650話~第655話でお伝えしましたが、お目当てのモハ251形が走っておらず、空振りを食らってしまいました。
その後、モハ251形は専ら永平寺線で活躍していると言う噂を耳にし、1994年のGWに永平寺線へ出向きました。
1.モハ1102 (諏訪間~東古市:1994年5月)
しかし、またもや空振りでした。この日はモハ1102が永平寺線で孤軍奮闘していました。このモハ1102は、前回の訪問時も永平寺線の運用に就いていました。もうモハ251形は予備車になってしまったのか、なかなか捕まえにくい車両でした。
2.モハ1102 (東古市:1994年5月)
ここは、永平寺線の起点である東古市駅です。現在は永平寺線がなくなり、永平寺口に改称されました。当時の永平寺線は、普段の日は越前本線に直通する列車もなく、永平寺線内を単行が往復するだけの運用で、日中は60分ヘッドだったので、30分ヘッドの越前本線の電車に、1本おきに接続していました。
3.モハ1102 (諏訪間~東古市:1994年5月)
ところで、この永平寺線は僅か6km足らずの盲腸線です。終点にある永平寺への参拝客輸送のために残された路線ですが、どう見ても大赤字路線で、参拝客らしき乗客はほとんど乗っていませんでした。実際、永平寺には福井駅からバスが直行しており、電車よりも快適で、電車よりも永平寺の近くまで乗って行けます。
4.モハ1102 (京善~諏訪間:1994年5月)
京福越前本線は一時期路線の縮小を行って、全路線の1/3が廃止されましたが、やはり全国的に有名な永平寺を看板にしていたのか、この路線は「諦め難い盲腸線」だったようです。
5.モハ1102 (京善~諏訪間:1994年5月)
永平寺線の沿線は、ちょうど田植えの時期でした。
この日、モハ251形は走っていませんでしたが、せっかくの永平寺線なので、ブラブラと撮影しながら全線を歩るくことにしました。
6.モハ1102 (市野々~京善:1994年5月)
しかし、一見のどかそうに見えますが、この日は太平洋高気圧の影響でフェーン現象が起こり、5月なのに気温は30℃を超えて突風が吹き荒れる天気でした。
7.モハ1102 (市野々~京善:1994年5月)
この日は、やたらと電車がやって来ました。GWだったので臨時ダイヤで運行されていました。せっかく撮影のチャンスが多いのに、この電車では・・・・・。