この日の永平寺線は、GWだったので臨時ダイヤで運転されていました。かなりの高頻度運転でしたが、どの列車もお客さんは数えるほどしか乗っていませんでした。
1.モハ1102 (永平寺~市野々:1994年5月)
永平寺線は東古市を出ると、終点までは結構きつい片勾配を登っていきます。途中駅は諏訪間、京善、市野々の3駅でいずれも単線の無人駅でした。京善あたりまでは民家も多く、勝山線と変わらない雰囲気ですが、その先は終点まで閑散としており、市野々を過ぎると山間部に入ります。
2.モハ1102 (永平寺~市野々:1994年5月)
市野々を過ぎて永平寺に近づくとこんな感じで山林地帯となります。周りは鬱蒼とした杉林で、花粉の時期には近寄り難い場所です。
3.モハ1102 (永平寺~市野々:1994年5月)
列車は力行を入れっぱなしで、吊掛音が苦しそうでしたが、この杉林を抜けると永平寺に着きます。
4.モハ1102 (永平寺:1994年5月)
ここは、終点の永平寺駅です。立派な木造2階建ての駅舎でしたが、すでに無人駅になっていました。趣のある構内に、元阪神電車が興覚めです。しかし、この電車は車体こそ阪神電車ですが、京福福井支社オリジナルのモハ1001形の機器を引き継ぐ電車です。
5.モハ1102 (永平寺:1994年5月)
永平寺線は1閉塞の単線ですが、永平寺駅は2線2面の相対ホームとなっていました。かつてはきっと賑わったのでしょが、広い構内に1両の電車が虚しく止まっていました。
6.モハ1102 (永平寺:1994年5月)
この永平寺駅は、元々京福電鉄ではなく、1925年に永平寺鉄道として開業した路線でした。永平寺鉄道は、その後東古市から北陸本線の金津まで延伸され、京福越前本線とクロスする路線となりましたが、1944年に京福電鉄に合併され、この永平寺には金津と福井から列車が直通するようになりました。しかし、1969年に永平寺線は金津~東古市間が廃止され、以来盲腸線になってしまいました。そして、この当時は観光シーズン以外は、福井へ直通する列車もなくなり、完全に孤立状態でした。
7.モハ1102 (永平寺:1994年5月)
折返し停車中のモハ1102を撮ったら、今度は歩いて戻ります。
しかしながら、ここまで来て肝心の永平寺を見ずに退散です。理由は、永平寺はなくなりませんが、永平寺線はいつなくなるか分からない状況だったからです。