豊橋鉄道渥美線の訪問は第621話でお伝えしましたが、1991年にちょっとだけ高師車庫をのぞいただけでした。そして、その翌年の訪問では、時間がなかったので市内線だけの訪問でした。したがって、渥美線をまともに訪問したことがなかったわけですが、豊橋という場所は、つい通過してしまい、なかなか渥美線訪問の機会がありませんでした。しかし、これではいけないと思い1993年10月、天気は微妙でしたが、大阪の帰りに豊橋で思い切って途中下車しました。
1.ク2731+モ1731、デキ211 (高師:1993年10月)
例によって、まずは高師車庫です。2年ぶりですが、高師車庫の側線にいたのは2年前と同じク2731+モ1731とデキ211でした。
2.モ1731+ク2731 (高師:1993年10月)
この車両は前回訪問時の1991年にもこの場所で寝ていました。まだ現役車両ですが、あまり走っていない雰囲気です。
3.デキ211 (高師:1993年10月)
デキ211は、たくさんいた電気機関車の中で一番古かったにもかかわらず、1両だけ生き残った電気機関車でした。もう10年近く失業中ですが、辛うじて車籍はありました。
4.モ1601+モ1651+モ1711(モハ36) (高師:1993年10月)
そして、更に奥には、これも2年前からこの場所にいる3両です。この3両は、1993年3月まで車籍がありました。保管というよりも放置状態ですが、いつの間にか、ここは車両の墓場になっていました。
5.ク2811+モ1811 (高師:1993年10月)
留置線にいたク2811+モ1811(注1)です。
この車両は元長野電鉄モハ1101+クハ1151を1979年に譲受したものですが、その生い立ちは、信濃鉄道の木造電車デハ6とクハ51にまで遡る買収国電です。このスタイルは1961年に日本車輌で鋼体化された時の車体で、長野時代は中間に両運車のモハ1102を挟んだ3連で運用されましたが、廃車後はモハ1101とクハ1151が豊橋に譲渡され、中間車のモハ1102は伊予鉄道に譲渡されてモハ603になりました。
(注1)モ1811,ク2811の車歴
・豊橋モ1811←長野モハ1101:1961年日本車輌製(←長野モハ1←国鉄モハ1103←信濃デハ6:1925年日本車輌製)
・豊橋ク2811←長野クハ1151:1961年日本車輌製(←長野クハ51←国鉄クハ5100←信濃クハ51:1926年日本車輌製)
6.デワ11,モ1852+モ1802 (高師:1993年10月)
そして、留置線にはモ1852+モ1802(注2)もいました。
この車両は元名鉄モ3350形+ク2340形の車体と旧国のクモハ14形の臓物を組合わせて1967年に2編成導入されました。名鉄モ3350形+ク2340形の車体は元愛知電鉄の特急車デハ3300系を前身とするものです。
(注2)モ1800形,モ1850形の車歴
・豊橋モ1801:1967年自社工場製(車体:←名鉄モ3358←名鉄モ3614←名鉄モ3608←名鉄ク2044←愛知サハ2044:1929年日本車輌製)
・豊橋モ1802:1967年自社工場製(車体:←名鉄モ3357←名鉄モ3613←名鉄モ3607←名鉄ク2043←愛知サハ2043:1929年日本車輌製)
・豊橋モ1851:1967年自社工場製(車体:←名鉄ク2343←名鉄モ3354←名鉄モ3604←愛知デハ3604:1928年日本車輌製)
・豊橋モ1852:1967年自社工場製(車体:←名鉄ク2345←名鉄モ3356←名鉄モ3612←名鉄モ3606←名鉄ク2042←愛知サハ2042:1929年日本車輌製)
7.デワ11 (高師:1993年10月)
デワ11も相変わらずでした。しかし、この車両は側板が木造なので結構傷みが目立ちます。妻面の鉄板部分も良く見ると苔が生えていました。こういった表に出ない車両は、往々にして古い車両が多いですが、なかなか整備に手が掛けられないのか、当時はどこの鉄道もこんな感じでした。