ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第798話 1990年別府:面影を求めて(その3)

この日は、別府鉄道以外にも元高砂線の沿線も散策しましたが、締めは播磨郷土資料館に保存された車両の見学です。

 

1.DC302(保存車)+ハフ5(保存車) (播磨郷土資料館:1990年2月)

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 しかし、播磨郷土資料館の場所がわからず、山陽電鉄別府駅から適当に歩いたため、かなり遠回りしてしまい、資料館にたどり着いた時には、もう閉館時間を過ぎていました。よって、資料館には入館できませんでしたが、幸い展示車両は資料館の裏手の陽の当たる場所だったので、撮影はできました。屋根付きの展示なので、撮影には少々難ありですが、保存車にはこの屋根の存在が極めて重要です。

 

2.DC302(保存車) (播磨郷土資料館:1990年2月)

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 この資料館に保存されたのは、DC302とハフ5の2両でした。この2両は別府鉄道生え抜きの車両ではなく共に移籍車です。しかも別府鉄道において最もマイナーな2両が保存されたわけですが、現在も手厚く保存されています。今となっては、この2両が一番幸せな余生を送っているように思えます。

 

3.DC302(保存車) (播磨郷土資料館:1990年2月)

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 DC302は、腰高な古めかしい風貌のDLですが、元倉敷市交通局(現水島臨海鉄道)のDC501でした。川崎車輌1953年製のディーゼル機関車です。別府鉄道には1966年に移籍して、それまで残っていたSLが淘汰されました。しかし、この機関車は機械式であり、大型車が投入された以降は専ら入換機でした。

 

4.ハフ5(保存車) (播磨郷土資料館:1990年2月)

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 ハフ5は、同僚のハフ7が、生まれ故郷の相模鉄道に引き取られ保存されましたが、こちらは、生まれ故郷に戻れず、播磨郷土資料館に拾われました。

 

5.ハフ5(保存車) (播磨郷土資料館:1990年2月)

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 ハフ5は、その垢抜けない風貌が憎めない、元気動車と言う数奇な運命の車両です。別府鉄道の客車と言うよりも、元神中(現相模鉄道)の気動車として貴重な存在です。これも、ここに保存されたからこそ、現在も現物が拝めます。

 

6.キハ2(保存車) (元円長寺駅跡:1990年8月)

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 さて、その後キハ2が整備されて無事に保存されたとの情報があり、1990年8月に再び別府に出向きました。写真は公園と共に、綺麗に整備されたキハ2です。塗装がかつてのベフピンクではなく、かなり赤味を帯びているのが残念です。もしかして、同町内に保存されているキハ101と同じ色?。まあ、贅沢は言えません。

 

7.キハ2(保存車) (元円長寺駅跡:1990年8月)

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 キハ2は地域の集会所として活用されることになりました。何等かに活用されれば継続的な整備も確約されたと同然なので、ようやく安住の地に落ち着いた感じでした。しかし、保存車両にとっては、いずこも同様に厳しい現実が待ち受けていました。