ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第799話 1991年越後交通(長岡):営業していました

1991年5月、新潟交通を訪問したついでに、越後交通長岡線はどうなっているか、のぞきに行きました。

以前にもお伝えしましたが、新潟交通の燕と越後交通長岡線の西長岡は、それほど離れておらず、高速バスを使えば以外にも便利であることを知っていたので、この日は新潟交通の撮影後、灰方から三条燕インターまで約4kmを気合で歩き、高速バスで西長岡へ向かいました。

 

1.トタン小屋?移動倉庫? (西長岡:1991年5月)

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 この頃の越後交通長岡線は全く情報がなく、どうなっているのか、とにかく行ってみないとわかりませんでした。もしかしたらなくなっているかも知れません。

西長岡に到着後、最初に出迎えてくれたのは、いつものトタン小屋の様な貨車でした。構内には相変わらず多くの貨車や電気機関車などが留置されており、以前と変わらない風景でしたが、やっているのか?

早速、事務所にお邪魔しました。

 

2.越後交通長岡線運行ダイヤ(1991年2月1日改正)

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事務所には、数名の職員さんがおり、営業していました!!

ところが、この日は列車が運行されていないそうで、空振りでした。最新の運行ダイヤのコピーを頂きました。ダイヤを見ると、午前と午後に2往復の列車が設定されており、これは、以前から変わっていないようです。しかし、実態は平日のみ貨物(セメント輸送)がある時のみ、西長岡~来迎寺間の運行(西長岡~才津間は機関車の回送)のみで、西長岡~越後関原間は実質休止状態でした。

 

3.ED5101 (西長岡:1991年5月)

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 さて、この日は列車が走りませんが、車庫内の昼寝機関車たちを撮影しました。

ED5101は、主力として使用されている様で、状態も綺麗でした。

 

4.ED5102 (西長岡:1991年5月)

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 そして、ED5102もED5101の助っ人として活躍している様で、ほぼこの2両が使用されている様です。

 

5.ED311 (西長岡:1991年5月)

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 ED311は、以前訪問した際に防錆塗装?になっていましたが、これは変わらずです。見た感じ状態は悪くありませんが、ほとんど稼働していない様子です。

 

6.ED401 (西長岡:1991年5月)

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 ED401も防錆塗装?のままで、これも稼働していない様です。

この時点で、どの程度の貨物量があったのかわかりませんが、時々機関車の重連運転があるので、検査予備を考慮すると機関車は4両必要です。この状況がいつまで続くのか、正直時間の問題と思いましたが、西長岡~越後関原間は1992年に正式に休止され、1993年3月末に廃止されました。しかし、西長岡~来迎寺間はその後も1995年まで細々と生き延びます。