ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第801話 番外編:国産LRV黎明期のよもやま話(その2)

今回は、国産初のLRVとなった熊本市交9700形の仕様について、それまでの日本製の電車にはない発想をいくつか顧みたいと思います。少し硬い話しになりますが、お付き合い願います。

 まず私が驚いたのは、この電車には、いわゆる空制品と言うものがありません。要するに、コンプレッサーや空気タンクや空気配管が一切なく、ドアもブレーキも全て電気です。空気ばねもなく、応荷重装置もなく、いったいどうなっているのか?常識を覆す電車でした。

 

1.熊本市交9701編成

f:id:kk-kiyo:20210417173836j:plain

①ドアシステム

現在は国内でも主流になって来ましたが、この電車はドアエンジンが電動式でしかもプラグドアです。国内ではドアシステムという考え方があまり浸透しておらず、戸閉機構は戸閉装置メーカー、扉と戸閉回路は車体メーカーという暗黙の仕切りが出来ていますが、ヨーロッパでは、ドアに関するものはたいていドアメーカーが仕切っているようです。しかもドアの制御装置自体がマイコンを搭載したシステムとなっており、開閉制御や状態監視は伝送化されているので、いわゆるBLACK BOX。LRV導入当時は、国内では戸閉回路に伝送を使用するケースなど実績もありませんでしたし、現在でもどうなのかと思う節があります。現在では列車のモニタリング装置が発展し、統括管理装置なるものが運転支援を飛び越えて制御伝送や自動運転まで司る位置づけになって来ましたが、それでもブレーキと戸閉は信頼性の観点から引き通し線を外せない状況です。

 

2.熊本市交9701編成

f:id:kk-kiyo:20210417173859j:plain

 ②ブレーキシステム

この電車はVVVF車です。一般の鉄道車両ではVVVFと言えども回生失効の担保は必ず持っています。たいていは電空ブレンディングによる空制ブレーキ補足を併用するのが一般的ですが、この電車は空制ブレーキを持たず、基礎ブレーキ装置としてモーター軸に電油変換のディスクブレーキを持つのみです。この電車のブレーキ系統は、常用ブレーキとして、VVVF制御の回生ブレーキをメインとしていますが、架線電圧に起因する回生失効対策として抵抗器を搭載しています。これにより5km/hまでは架線電圧に起因する回生失効は問題ないものと思われ、それ以下の低速域は電油変換のディスクブレーキ併用となります。

ところで、この電油変換のブレーキ装置がそれまで国内の電車に実績がありませんでした。国内の基礎ブレーキ装置はいまだに空気ブレーキありきです。

なお、この電車には台車に電磁吸着ブレーキが装架されています。ヨーロッパの電車は非常ブレーキに電磁吸着ブレーキを使用しますが、国内では電磁吸着ブレーキを保安ブレーキとして代用しています。ところで、応荷重はどうなっているのか?これは主制御装置のマイコンが加減速の状態を監視して制御しています。とても合理的ですが、ソフトに頼りすぎではないのか心配です。まあ、そのあたりの割り切りがドライです。

ついでに、この電車のマスコンですが、一般の電車と違い感覚的なノッチの刻みがありません。可変式と言うべきか、力行/制動は自動車のアクセルとブレーキペダルを1本のレバーにまとめた様なものです。ちなみにヨーロッパではレバーを手前に引けばブレーキなので日本とは逆です。よって、国産LRVでは輸入したマスコンを前後ひっくり返して取り付けています。

 

3.超低床車用台車

f:id:kk-kiyo:20210425112507j:plain

③台車と駆動装置

この電車の最大の特徴が独立車輪を使用した台車です。初めてこの台車を見た時のイメージはまさにリヤカーでした。でも本当に超低床式にするなら、台車枠が邪魔であり、どうせなら構体の台枠に直接独立車輪を付けた方が構造も簡単ではないかと思いましたが、分岐や曲線通過時の走行安定性を考慮すると、どうも固定輪ではなくボギー方式とし、車体と台車が個別に動く、すなわち車体と台車の相対的な動きが必要であり、特に1車体1台車の場合はそれが肝です。この相対動作を示す適当なことばが見当たらず、私は勝手に「ボギーイング」と呼んでいますが、同種のLRV台車は軌道の不整にとても敏感で、LRVの導入には導入路線ごとにボギーイングの実態を知ることがとても重要です。それを知るための尺度として欠かせないのが、いわゆるPQ測定です。その測定結果次第では、軌道の修正も必要となります。なんだかLRVは軌道の出来ありきのわがままな電車のようですが、これもヨーロッパのスタンダードです。

台車は基本的に1軸?駆動の動台車で、各車に1台装着されます。センターボギーではなく、枕ばねに車体を載せるボルスタレス台車のイメージですが、ボギーイングによって仮想中心が必要以上にズレない様に、オイルダンパ付きのリンク機構で台車と台枠(車体)がつながっています。そして、駆動装置ですが、主電動機は台車装架ではなく車体装架で、プロペラシャフトを介した直角カルダンです。主電動機は車端コーナー部の台枠に配置されており、とても模型チックです。上の写真では、左手前の車輪の手前に見える丸いフランジが入力軸です。その車輪の外側に付くのがギヤボックスで、反対側の車輪にも同様なギヤボックスが付き、台車枠の一番手前に見える丸棒状の梁のようなものが、左右のギヤボックスを繋ぐねじり軸です。このねじり軸により、左右輪が等速で回転します。写真を見ての通り輪軸はなく、4輪共片持ちのインサイド軸受けとなっています。輪軸のない部分は、車体が乗ると通路部分がこのスペースに入り込みます。そして、車輪と枕ばねの出っ張った部分はタイヤハウスとなり、その部分に座席が付きます。この台車は標準軌用です。これが狭軌用の場合、車内の通路幅を確保するため、軸受けがアウトサイドの片持ちとなります。しかしながら、この台車のおかげで、床面高さ300~360㎜の超低床が実現できたわけです。もっと低床にできないのか疑問を持たれる方もいるかと思われますが、これより下げては軌道側の縦曲線とのギャップが厳しくなります。

車輪はドイツお得意の弾性車輪です。枕ばねはゴムばねです。これで大丈夫なのか心配ですが、全く問題はありませんし、荷重によるゴムのたわみも問題になりません。乗り心地も空気ばねに比べて遜色ありません。まあ、百聞は一見にしかず、乗ってみればわかります。こんな台車ですが、これで70km/h走行ができ、登坂能力も90‰とは驚きです。やはり路面電車と言うより、LRTで活用すべき電車の様です。

 

3.熊本市交9702編成

f:id:kk-kiyo:20210417173734j:plain

 なんとか国内仕様のLRV導入に成功した感じですが、最初の頃はご多聞に漏れず、いろいろありました。一番の問題は基礎ブレーキにありました。電油変換のブレーキ装置の調子が悪く、ブレーキの不緩解が多発し、街中で立ち往生したことも・・・。結局、製品が悪く、ドイツのメーカーと非常にギクシャクしていましたが、装置を違うタイプに変更してからは問題もなくなったようです。その他にもいろいろありましたが、どうもヨーロッパとは使用環境の違いが無視できない様です。結果的にドイツ製品は異常なほど繊細であるということです。

 

4.熊本市交9702編成

f:id:kk-kiyo:20210417173943j:plain

 しかしながら、ヨーロッパの文化には、日本の「わびさび」が通用しません。なんだかんだ事があるたびに、融通の利かない輸入品は国産品に変わって行きました。

 ちなみに、最近の後継車では、主回路機器は国産品となり、特有の台車も一部の部品以外は国産化されています。もうドイツから見れば日本相手の商売は儲けにならないと手を引かれそうな感じがします。現在ADtranzは、Bombardierとなり、ADtranzとは違った独自のLRVをラインナップに掲げています。そろそろ次世代のLRVが気になるところです。

 

5.熊本市交9702編成

f:id:kk-kiyo:20210417174011j:plain

 ところで、また余談ですが、このGTタイプの車体コンタとドアシステムは、東急世田谷線の300形にも採用されています。世田谷線300形は、全車揃った時点でステップを廃して扉下部を切り詰め、原型のドアではなくなりましたが、原型は熊本市交9700形と同じタイプの扉でした。

 

6.熊本市交9703編成

f:id:kk-kiyo:20210417174044j:plain

 さて、国産LRVもその後様々なタイプが複数の車両メーカーから供給されるようになりました。熊本市交9700形も3次車まで5編成が製造されましたが、このGTタイプはそこまでで、以降は岡山電軌2000形MOMOで採用されたBombardierのIncentroタイプのデザインに変更となりました。しかし、本来のIncentroは主電動機が各輪個別の台車装架ですが、国内では岡山電軌2000形以降も台車方式は変更せず現在に至っています。よって、ヨーロッパにはない、IncentroモドキのGT車が国内各地に出現し、これも国産仕様と言えますが、すでにBombardierではCity runnerをベースとした軸付き車輪の超低床車を主力製品としています。City runnerは軸付き車輪なので、台車部分の床面が少し高く450㎜になっており、ドア部分との高低差をスロープでカバーしなければならないことや、最少単位が3両連結で中間車は台車なしのフロートタイプであること等、従来のGTタイプとの仕様差があり、これが2両連結車相当にアレンジできるかが今後の課題と思われます。ちなみに、このシリーズの国内最新作である宇都宮LRTの車両は3車体のIncentroモドキです。北陸地方の仲間にあやかって、長いものに巻かれることが合理的な判断の様です。