ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第803話 1994年高松琴平:こだわりの西前田付近

第766話~第768話では、琴電琴平線の吊掛車を追って、ラッシュ時の様子をお伝えしましたが、今回はその続きで、その日の夕方の長尾線の様子をお伝えします。

この日は土曜日で仕事は休みでしたが、出張中の休みだったため、普段着を持ち合わせておらず、午前中の琴平線撮影からスーツ姿でした。さすがにこの時期の高松はもう真夏です。背広とネクタイはコインロッカーに入れて、腕まくりのワイシャツ姿にカメラだけを持って、いざ長尾線!!。

 

1.500+120 (西前田~水田:1994年7月)

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まずは500+120です。

ここは、琴電長尾線の西前田です。もうどのくらいここに通ったのか?それでもここに来てしまうのは、ここはいつ来ても確実に旧型車が撮影でき、期待を裏切られることが、決してなかったからです。 

 

2.130+325 (西前田~水田:1994年7月)

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この場所は車両主体の撮影を行うのに最適な場所です。そして、夕方には期待通りの順光となり、午前中は逆光で撮影できない瓦町寄りに連結された車両を思う存分撮影できます。これも西前田にこだわる理由です。

 

3.870+750 (西前田~水田:1994年7月)

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 しかも瓦町寄りにしか連結されないクハの顔も撮影できます。ただし、クハは朝しか走らない車両も多いので、夕方に撮影できるかは運次第です。この日は運よく、クハである870の顔が取れました。

 

4.36+35 (西前田~高田:1994年7月)

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そして、西前田~高田間の水田地帯も夕方の日射しは申し分ありません。ここは開けた直線なので、側面を強調した撮影も可能です。

 

5.26+25 (西前田~高田:1994年7月)

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26+25は30形の貫通車ですが、元京急230形のオリジナルにはなかった顔でした。この車両は前面の行き先表示板が中央にあるため、行き先表示板の交換がしやすいように増備の途中から貫通扉が増設されました。7編成ある30形のうち、4編成が貫通化されました。

 

6.130+325 (西前田~水田:1994年7月)

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 琴電オリジナルの古老同士の2連が来ました。130も325もどちらも開業時に新製された15m級の両運車ですが、130は汽車会社製の1000形、325は日本車輌製の3000形で、違う形式です。ほとんど同じ仕様ですが、わざわざ2社に分けて発注されました。しかし、やはり2社の個性が出ており、1000形は窓枠上隅にRが付いており見た目が優雅ですが、3000形は窓枠が角ばって機能本位といった感じです。しかし、1000形も3000形もその昔、戸袋が丸窓でした。特に3000形は上田交通にいたモハ5250形とはメーカーも製造時期も同じ車両です。更新改造により丸窓はなくなってしまいましたが、もともとは1000形も3000形も大正ロマンの電車です。

基本的に琴電の車両は相手がどれでも連結運転できました。よって、様々な組み合わせが見られましたが、私は不思議と同形車同士の連結を見ませんでした。