ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第806話 1994年高松琴平:こだわりの西前田付近(その4)

この頃は仕事の関係で、広島でホテル住まいをしていました。よって、休日は広島を脱出して西日本をフラフラ彷徨していました。そして、気が付けばいつもここに来ていました。

 

1.315+30形2連 (西前田~水田:1994年7月)

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 さて、志度線を諦めて長尾線に来たのは失敗だったと後悔していたら、意表を突く3連が来ました。これにはビックリです。何かのイベントでもあるのか?

 

2.100+30形2連 (高田~西前田:1994年7月)

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その次も3連です。これはどういうことなのか?

志度線が分離されて列車運用が変わりましたが、この3連もその影響なのか?しかしながら予期もしなかった嬉しいご褒美です。 日曜日にも3連が撮れると言うことは、かなり撮影の自由度が広がります。

 

3.62+300 (高田~西前田:1994年7月)

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 これは2連ですが、この凸凹がたまりません。先頭の62は、車体更新こそされていますが、車歴上は1913年天野工場製の元京浜電鉄軌道線のチンチン電車です。この当時65共々、琴電で一番古い車両と言うことでしたが、65は志度線です。

 

4.750+870+325 (高田~西前田:1994年7月)

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 本日3本目の3連です。これはクハである870を挟んだ凸凹3連です。もう涙モノです。中間車のクハ870は、両運転台車ですが、長尾寄りのこちらの顔が先頭に出ることはありませんでした。

 

5.130+500 (西前田~水田:1994年7月)

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 第766話~第768話では、この頃の琴平線の様子をお伝えしましたが、琴平線は吊掛車が風前の灯でした。しかし、こちらはカルダン車の入る余地もなく、大正末期の70歳にもなる古典車両がまだまだ主力でした。名鉄揖斐線のモ510形等もそうですが、大正末期の車両はタフでした。

 

6.33+34 (高田~西前田:1994年7月)

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 30形はいつも走っていました。さんざん撮ったので、もう撮影する必要もありませんが、なぜか撮ってしまいます。しかし、この車両はデザイン的に均整がとれた素晴らしい車両です。