ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第807話 1994年高松琴平:こだわりの西前田付近(その5)

東京に住んでいると、なかなか高松へ出向くのは大変です。交通費も掛かりますし、GW、盆、年末年始くらいしかまとまった休みも取れないので、どうしても同じような時期に偏ってしまいます。しかし、仕事の恩恵と言うべきか、前述の通り、この年は普段では出向くことが厳しい7月上旬にも高松へ出向くことが出来ました。

 

1.750+870+325 (高田~西前田:1994年7月)

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 7月上旬の高松は、まだ梅雨も明けていませんが、晴れれば真夏の様相です。しかし、水田に根付いた苗の緑が一番映える時期で、これが琴電の紅白塗装にマッチしました。

 

2.130+25+26 (高田~西前田:1994年7月)

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 長尾線では日曜日の朝も3連が走るようになり、これから益々琴電通いが多くなりそうです。

 

3.120+500 (高田~西前田:1994年7月)

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志度線分離によって、長尾線には1000形と5000形が配置されたので、これらの撮影機会も増えると良いのですが。

 

4.750+870 (西前田~水田:1994年7月)

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 そうこうしているうちに3連だったはずの列車が2連になりました。この2連は日中も走るようです。

ところで、長尾線に残った増結用のクハは、860,870,880でした。しかし、880はこの時点では仏生山に留置されたまま放置されており、運用されていたのは860,870の元山形交通コンビでした。この日は870が運用されていました。

 

5. 880 (仏生山:1994年7月)

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ちなみに、この時点で仏生山の880はこんな状況でした。 長尾線所属となりましたが、これではどうしようもありません。このまま廃車?しかし、この車両はいずれ復活します。

 

6.62+300 (高田~西前田:1994年7月)

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 分離された志度線琴平線ともつながらないので、全重検で仏生山に入場できなくなりますが、どうするのか?今橋の検車場をグレードアップするのか?まあ、分離は一時的なものだろうと、この時は思っていましたが・・・・。

 

7.35+36 (高田~西前田:1994年7月)

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 さて、改めて気になるのは志度線です。この後、再び志度線に行ってみました。志度線の様子は別途お伝えします。