第839話では、話しが横道に逸れてしまいましたが、川造に話しを戻します。
この頃、現役の川造が存在していたのは、伊予鉄の他に弘南鉄道大鰐線、津軽鉄道くらいでした。その中でも伊予鉄の川造は、一番状態が良く、なによりも唯一の電動車でした。
1.モハ112+クハ412+モハ111 (梅津寺~港山:1992年12月)
今回も高浜線ですが、梅津寺で川造を捉えました。今回は陽の向きが変わって、モハ112の顔です。この編成は、MTMの3連ですが、モハ112+クハ412は片運車の2連で、モハ111は両運車です。かつては、元京急と元小田急車から成る混成のモハ120形と混結して3連が4本と、4連用の増結車が2両存在しましたが、平成になった途端に700系の導入でバタバタと廃車されて、この時点で辛うじて1本だけ残っていました。
2.モハ112+クハ412+モハ111 (梅津寺~港山:1992年12月)
以前にも触れましたが、この車両が生き残れた理由は、伊予鉄に移籍する際に外板の更新を行っていたためと思われます。構体の更新ではなかったので、川造のイメージはそのまま踏襲されたことが、なによりも幸いでしたが、1994年3月に廃車となりました。
3.モハ825+サハ855+モハ815 (梅津寺~港山:1992年12月)
800系は1984年~1985年にかけて移籍以来、冷房化された以外は特に変化もなく3連で運用されていましたが、やはり運用の見直しでこの翌年から2連化が始まります。その改造は、中間車のサハ850系に運転台を設けてクハ化するもので、これにより、モハ810系はモハ720形と同じように、片運車で1M化されました。
4.モハ825+サハ855+モハ815 (梅津寺~港山:1992年12月)
そして、クハ化されたクハ850形は京王5000形モドキの貫通前面となりました。現在伊予鉄には現車は存在しませんが、現車ははるか東の銚子電鉄で現存しています。
5.モハ816+サハ856+モハ826 (西衣山~衣山:1992年12月)
気が付けば、伊予鉄の800系も過去の車両になってしまいました。現在は、京王3000系が移籍された様ですが、相変わらずの京王伊予線です。
6.モハ111+クハ412+モハ112 (西衣山~衣山:1992年12月)
さて、1992年の伊予鉄は以上です。その後も、どういうわけか松山に出向く機会がなく、この時が川造の見納めとなってしまいました。あれから既に30年が経ち松山の街も電車もかなり変わったと思います。