ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第852話 1994年島原:分断された南線は・・・(その3)

この時の島鉄南線には、キハ2014,キハ2602,2603,キハ5502,5503の5両が確認できました。南線は深江~加津佐間、25km程の路線でしたが、たまに2連が走るとしても、5両あればやり繰りできるほどの輸送需要ということです。この5両達は、路線分断時の残留車両だったのかわかりませんが、島鉄オリジナルのキハ26形、55形が4両いました。

 

1.キハ2014 (原城~浦田観音:1994年2月)

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 加津佐の留置車両をのぞいたあとは、原城まで戻り沿線撮影を開始しました。それまで、島原鉄道は鉄道誌にもあまり沿線写真は紹介されていなかった様で、正直どこで撮影すればよいのか撮影場所がわかりませんでした。よって、原城から適当に北有馬方面へ歩きました。最初は少し高い位置からの俯瞰撮影です。この辺りは普賢岳の南側に位置し、噴火の被害はほとんど見られませんでした。

 

2.キハ2014 (浦田観音~常光寺前:1994年2月)

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 写真の正面の山の更に向こう側に普賢岳がありますが。雲ってきたので見えません。

南線唯一のキハ20形であるキハ2014が来ました。島原鉄道水島臨海鉄道は、元国鉄のキハ20形を多量に導入して車両の体質改善を図りました。しかし、1990年代になると頼みのJRもキハ20形が底を尽きてしまい、なによりキハ20形自体も老朽化が問題になって来ました。

 

3.キハ2014 (常光寺前~北有馬:1994年2月)

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 そして、この年に島原鉄道もいよいよ新車を導入します。どんな車両を導入するのか?お楽しみと言いたいところでしたが、JR九州に導入されたキハ125形モドキのNDCであることを私は既に知っていました。全く夢がありませんが、島原鉄道にしてみれば実績あるキハ125形です。実績あるキハ55形を導入した時と同様に、「長いものには巻かれろ」ですが、島原には初の新潟鐵工所製です。

 

4.キハ2014  (常光寺前~北有馬:1994年2月)

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新車となるキハ2500形は、このころ既に製造が始まっており、この年の11月と12月に分けて5両が納車されました。これにより、前年に事故廃車となったキハ2007,2009の穴埋めとキハ5501、キハ2601の置き換えとなりました。 

 

5.キハ2603 (浦田観音~常光寺前:1994年2月)

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 キハ26がやって来ました。国鉄急行型気動車の単行運転は有田鉄道のキハ58003を思い出しますが、共に国鉄乗り入れ用に調達された国鉄モドキです。しかし、国鉄乗り入れがなくなると過剰装備だけが目立つお荷物車両になってしまいました。

 

6.キハ2603 (浦田観音~常光寺前:1994年2月)

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 なんだか天気が怪しくなってきました。ここは九州なのに時々雪がパラつきました。そう言えば、まだ2月でした。底冷えしてきたので、翌日の天気を期待して、この日はとりあえずここまでです。