ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第854話 1994年島原:分断された南線は・・・(その5)

この日は、普賢岳が望めるこの場所が気に入ってしまい、午前中はこの場所に居座りました。しかし、時々山の方から雷の様な轟音が聞こえて来ました。全く落ち着けません。轟音に続き小規模な火砕流が確認できました。ここは災害を受けなかった地域なので危なくはありませんが、見ているだけでハラハラします。

 

1.キハ2602 (深江~布津新田:1994年2月)

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 さて、列車の撮影に戻ります。この当時の島鉄は塗装がイマイチでしたが、分散式クーラーとデッキ付きのキハ26形はやはりキハ20形と比べると重厚です。

キハ26形、キハ55形は、かつて長崎本線に乗り入れていましたが、島鉄線内も有料の急行として活躍していました。長崎本線への乗り入れは、長崎本線の電化に伴い1980年に廃止されましたが、それ以降も線内急行は存続します。しかし、1989年に急行運転は休止となりました。

 

2.キハ2014 (布津新田~深江:1994年2月)

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 島原鉄道は、新車の導入に積極的でしたが、国鉄の中古気動車のキハ17系を譲受した以降、一時期新車の導入をやめていました。キハ17系はかなりくたびれた車両だったので、早々置き換えとなりましたが、こんどは国鉄からキハ20形を譲受して車種統一を図ります。元々、島原鉄道は自前のキハ20形を保有していたので、これはうなずける成り行きでした。

 

3.キハ2014 (布津新田~深江:1994年2月)

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 キハ20形は自社製3両、中古車13両の計16両が在籍していました。1994年時点では事故廃車で14両となっていました。まもなく久々の新車であるキハ2500形の増備で急行型のキハ26形、キハ55形から廃車が始まりましたが、キハ20形の廃車はこの後1996年から始まります。しかし、1997年に水島臨海鉄道から使い古しのキハ20形を2両購入し、その後は徐々に数を減らしながらも南線廃止まで在籍しました。

 

4.キハ2014 (布津新田~深江:1994年2月)

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 ところで、急行型のキハ26が廃車になると冷房車はなくなってしまうのかと思いましたが、キハ20形は全車冷房化されていました。国鉄からのキハ20形譲受は1985年~1987年でしたが、1988年から冷房化され1991年には冷房化が完了していました。

 

5.キハ2014 (布津新田~深江:1994年2月)

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 しかし、キハ20形もほとんどキハ26形、キハ55形と同年代の車両なので、いつまでも使える車両ではありません。

 

6.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月)

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 朝から普賢岳の方向ばかり向いて撮影していましたが、実はこの反対側には有明海が広がっていました。よって、小さい川の河口付近にはちょっとした船溜まりが点在しました。有明海を入れた撮影は午後が順光なので、夕方あたりに再び戻って来ることにして、撮影場所を移動することにしました。

 

7.キハ2602 (布津新田~深江:1994年2月) 

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 次の撮影場所は少し南下して、海沿いに移動です。この近くのバス停から、禁断の路線バスに乗りました。駅間が長い鉄道に比べてバス停の間隔は短いので、適当な場所で乗降出来て便利でした。このあとの様子は、別途お伝えします。