この日は土曜日だったので、昼すぎに運行される列車を撮影して、その後は夕方の運行まで暇つぶしに沿線をロケハンしました。しかし、全線僅か2.3kmの路線なのであっという間に往復してしまい、結局夕方まで雀田駅で暇つぶしでした。
1.クモハ42001 (長門本山:1994年7月)
そして、夕方の1番電車に乗って、終点の長門本山へ行きました。乗車時間はたったの5分程です。写真は長門本山に停車中のクモハ42001です。しかし、この駅の周辺は何もありません。線路の先は造成中の宅地ですが、そこはかつて炭鉱があった跡地の様で、その先は海です。はるか遠方には九州の山並みが霞んでいました。
2.クモハ42001 (長門本山:1994年7月)
この日は、クモハ42001が運用されていました。本山支線のモハ42形(注1)は、当時2両が交番で使用されていました。もう1両はクモハ42006です。
以前はすぐ近くの宇部新川にある車両基地で列車検査も行われていましたが、この頃は下関車両管理室の所属となり、列車検査は下関で行われていたので、月、水、金曜日は日中の留置時間を利用して下関まで回送で1往復していました。と、言うことは、クモハ42形は山陽本線も走っていたわけです。
3.クモハ42001 (長門本山:1994年7月)
(注1)本山支線用クモハ42形の車歴
・JR西クモハ42001,006←国鉄クモハ42001,006←国鉄モハ42001,006:1934年川崎車輌製
クモハ42形は元々関西地区の東海道・山陽本線電化区間用の20m級両運クロスシート車として13両が製造されました。戦前は同形のモハ43形やクハ58形等と一緒に使用され、戦後は関東に転じて横須賀線や伊東線で使用の後、1957年に3両が宇部・小野田線にやって来ました。
4.クモハ42001 (長門本山:1994年7月)
列車の折返しの時間を利用して、クモハ42を観察しました。クロスシート用の小窓が並ぶ側面はなんとも言えない渋さが漂っています。
5.クモハ42001 (長門本山:1994年7月)
クモハ42形の印象は、鶴見線のクモハ12形とは違い、やはり20m2扉のクロスシート車であるため、堂々としていました。しかし、年代物であることから、全線僅か2.3kmの路線をピストン運行するのはちょうど良い余生の送り方の様に思えました。
6.クモハ42001 (長門本山~浜河内:1994年7月)
再び沿線撮影です。夕方以降は5往復の運行となり、夏場は3往復撮影できました。このあと撮影のチャンスは4回です。
7.クモハ42001 (浜河内~長門本山:1994年7月)
鶴見線のクモハ12形の撮影時もそうでしたが、茶色い車両はカメラの露出に悩みます。絞り過ぎると電車が黒くなってしまい、かと言って絞らない周りが白っぽくなり、スキャナーで補正するとたいていは粒子が現れます。