ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第871話 1994年一畑:大寺付近の日常風景

1994年は仕事の関係で広島に滞在していたので、一畑電鉄の訪問回数も増えました。しかし、お目当てである赤電のデハニ50形は月~土曜日の朝しか走らないため、広島から土曜日の朝移動では撮影は間に合いません。

 

1.デハ72+クハ172 (美談~大寺:1994年4月)

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 ところが、デハニ50形以外にも70系やデハ20形+クハ100形などの旧型車は日中も走る機会があり、それらを追い掛ける楽しみがありました。そして、この日も・・・・。

 

2.デハ72+クハ172 (美談~大寺:1994年4月)

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 撮影場所も、回数を重ねるごとに陽の向きなど把握でき、もはや悩むこともなく、パターン化されました。たとえば、広々とした風景であれば、午前中は大寺付近、午後は園付近が妥当でした。

 

3.デハ82+クハ182 (美談~大寺:1994年4月)

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 今回は、大寺付近の様子ですが、この付近は大変長閑な農村地帯です。そろそろ田植えの支度が始まった頃で、いたるところで耕運機が活躍していました。しかしながら、こんな中途半端な時期に出雲に行けたのも、広島に滞在していたから可能だったわけです。とても東京からでは出向く気にもなれません。ある意味、仕事のお陰でした。

 

4.デハ72+クハ172 (美談~大寺:1994年4月)

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日中の運用列車は3本です。歓迎したくない食パン電車の80系は3編成いたので、最悪日中は80系しか走らないこともありましたが、朝夕の運用本数が増える時間帯や、日中も土日の2日間居座れば必ず旧型車は運用に入りました。

 

5.クハ101+デハ23 (美談~大寺:1994年4月)

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 この日は、70系とデハ20形+クハ100形が運用に入っていたのでまずまずの当たりです。手動ドア車のデハ20形+クハ100形は化石の様な存在でした。

 

6.デハ23+クハ101 (大寺~美談:1994年4月)

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 この写真は少し高い位置からの望遠ですが、付近を流れる斐伊川の土手から撮影したものです。一畑電鉄と言えば宍道湖の湖岸を走るイメージがありますが、この辺りは湖岸ではなく、出雲平野の広大な田園地帯です。