ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第874話 1991年神奈川臨海(塩浜):旅客化は夢の彼方へ

バブルな時代には色々と前向きな話題が豊富でした。鉄道においても新規路線の計画など、おおいに盛り上がりましたが、今となっては、あれは一体なんだったのか?と、思うようなことが結構ありました。例えば、神奈川臨海鉄道の旅客化などという話も・・・。

 

1.DD5515 (川崎貨物:1991年12月)

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 川崎貨物駅(旧塩浜操車場)は東海道貨物支線と神奈川臨海鉄道のジャンクションです。1990年代ともなれば、貨物輸送はかなり斜陽化が進み、広い塩浜のヤードも閑散としていました。神奈川臨海鉄道塩浜線は、川崎貨物駅を拠点に京浜工業地帯へ延びる貨物鉄道です。水江線、千鳥線、浮島線から成る、10.7kmの路線で開業は1964年です。1969年には国鉄根岸線の根岸から本牧埠頭を結ぶ本牧線5.6kmも開業しました。

 

2.DD5516 (川崎貨物:1991年12月)

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 1991年当時の保有車両は、55tと56.7tのDD55形(注1)が11両在籍していました。

(注1)DD55形の車歴

・神奈川臨海DD554:1963年汽車会社製

・神奈川臨海DD555,558,559,5510:1967,70,72,73年富士重工

・神奈川臨海DD5512~5517:1974~77,79,81年富士重工

 既に開業時に導入された機関車は廃車が進んでいましたが、1981年に新製されたDD5517以降の新車はありませんでした。やはり国鉄の貨物合理化の打撃は大きかった様です。

 

3.DD5513 (川崎貨物:1991年12月)

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 ところで、旅客化の話しですが、これはバブル景気の勢いで派生したものと思われますが、非電化の神奈川臨海鉄道にNDCを導入するような噂話も耳にしました。しかし、バブル崩壊が原因なのか、もともとガセネタだったのか、それともリクルート事件のとばっちりを食らったのか、もう旅客化は夢の彼方へ吹っ飛んでしまいました。

 

4.㈱シムラ D-2 (明希工業:1991年12月)

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 この頃、私は仕事でよく塩浜に出向きました。臨海鉄道にはあまり興味がありませんでしたが、塩浜にある明希工業さんには、時々興味をそそる車両が持ち込まれていました。

 

さて、ここから話しが脱線しますが、神奈川臨海鉄道とは別に、東海道貨物支線の旅客化についても、検討が進められていました。この検討は京浜臨海部再編整備協議会が中心となり、シンポジウムや東海道貨物支線の試乗会を主催していました。1998年10月に、どういうわけか、私はこの試乗会に参加することになり、一般人はまず乗車できない東海道貨物支線を乗車体験しました。以下、その時の様子をご紹介します。 

 

5.東海道貨物支線の旅客化検討のパンフと試乗会資料

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 この試乗会は、品川駅から桜木町駅まで、下記のルートを走りました。

・品川13:13発→新鶴見→鶴見13:51発→浜川崎→東海道貨物ターミナル14:30発→浜川崎→鶴見→東高島→桜木町15:18着

なんと乗車券まで配られましたが、乗車区間は品川→桜木町の表記が記載されていますが、気になる経由地は書かれていません。

 

6.試乗会列車EF651108+12系客車 (品川:1998年11月)

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 列車は、EF65-1000番台が牽引する12形客車でした。途中鶴見、東海道貨物ターミナルで機関車を付け替えてスイッチバックし、あの海底トンネルを往復しました。

 

7.東海道貨物支線の旅客化検討のパンフ抜粋

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 この試乗会は、どのような人を対象に実施されたのか全く分かりませんでしたが、私は仕事の一環だったので、実施は日曜日でしたがスーツ姿で試乗会に臨みました。ところが、招待されたみなさんは、家族や職場の同僚などと乗車し、お酒や食べ物を持ち込んで、ただのお祭り列車の賑わいでした。一応定員制でしたが、私の着席したボックス席にいた先客は、お仲間らしく出発前から乾杯で大盛り上がりでした。果たして、この試乗会を理解している人はどのくらいいたのか?おそらく、主催者の意図とは、ほど遠い試乗会だったのではないかと思います。

 

8.試乗会資料抜粋

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結局、試乗会はただ走るだけで、何のアナウンスもなく、途中鶴見や東京貨物ターミナルでは機関車の付け替えで結構停車しており、酒のまわった方々は眠りこけていました。お楽しみの海底トンネルも、なんてことなく終わってしまいました。 最後は、高島線経由で桜木町に到着し、酔っ払いも皆、強制的に降ろされ、12形客車は大船方面にとっとと消え去りました。

あれから24年が経ちましたが、東海道貨物支線の旅客化検討はどうなってしまったのか?世の中の考え方も相当変わってしまい、東海道貨物支線の旅客化はもうどうでもよい話になってしまったのか?

しかし、最近になってJR東日本が首都圏から羽田空港への新たなアクセスを具体化しました。これによると、羽田周辺の路線は海底トンネル化を計画している様ですが、どうも東海道貨物支線の活用はあてにしていないような・・・。しかしながら、コロナ騒ぎで鉄道の需要も空港の利用もさんざんな状況です。この先もモノレールと京急で十分なようにも思えます。