ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第875話 1992年神奈川臨海(本牧):旅客化は夢の彼方へ(その2)

今回は神奈川臨海鉄道のもう一つの路線である本牧線です。こちらは塩浜線の様に工場地帯の製品や資材輸送ではなく、本牧ふ頭の物流がメインのようで、沿線の北側は眺めの良い高級住宅街です。

 

1.DD5512+ワム・・・他 (横浜本牧:1992年7月)

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この日はDD5512が根岸へ向けて出発待機中でした。本牧線には常時3両の機関車が駐在しているようでしたが、機関車の姿があまり見えません。

1992年は神奈川臨海鉄道の機関車が整理された年でした。それまで本牧線には、DD554,555,558の3両が駐在していましたが、この年にDD554とDD555は廃車となりました。DD554は真岡鉄道に売却されDD1355となり、DD555は東急車輛に売却されてDD5551となりました。また、DD558は塩浜に戻り、代わりにDD5514が本牧に来ました。

 

2.横浜本牧構内全景 (横浜本牧:1992年7月)

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  この頃は茶色いワムがまだまだ沢山いました。ちなみに現在の横浜本牧駅は、かなり線路が撤去されてコンテナ置き場になっており、写真の左側には首都高速が完成し、周りの景観も変わってしまいました。

 

3.DD5512+ワム・・・ (横浜本牧:1992年7月)

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 さて、なんとも味気ない横浜本牧駅ですが、実はここにはお宝が眠っていました。それはSLのC56139です。1986年に廃校となった中央鉄道学園で保存されていたものですが、これを神奈川臨海鉄道国鉄から購入して横浜本牧駅の庫で保管していました。しかし、非公開なので、当然見ることはできませんでした。その後も長らく非公開でしたが、2013年に神奈川臨海鉄道の創立50周年記念イベントで公開されました。まだ記憶に新しいです。

 

4.横浜本牧構内全景 (横浜本牧:1992年7月)

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 背景には横浜ベイブリッジが見えます。この路線も貨物鉄道だけにしておくのは、もったいないような気がします。

 

5.日石根岸D504 (根岸:1992年7月)

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 突然話は変わりますが、神奈川臨海鉄道本牧線の起点である根岸には日本石油の大きな製油所があり、日石所有の機関車が、そこに出入りするタンク車の入換を行っています。これも神奈川臨海鉄道を訪問した同じ日に撮ったものです。ちょうど、貨車の入換をやっていました。機関車はD504(注1)と言うセミセンターキャブの新潟鐵工製50t機です。

 

6.日石根岸D504 (根岸:1992年7月)

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 この写真は、全て根岸駅のホームから撮影したものです。ここも現在は首都高速が建設されて景色が変わってしまいました。その後、この製油所の専用線は一時廃止がささやかれていましたが、なんとか持ちこたえたようです。 

 

 

7.日石根岸D504 (根岸:1992年7月)

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(注1)D504の車歴

・日石根岸D504:1981年新潟鐵工所製。

この当時には、もう1両新潟鐵工所製のD502が在籍していました。その後は機関車も代変わりして、1998年にNDD5601、1999年にNDD5602が新製導入されます。共に新潟鐵工製の50t機です。この新車の導入でD502が秩父太平洋セメントの三輪鉱業所専用線に売却されましたが、D504は残りました。

 

8.日石根岸NDD5602 (新潟鐵工所構機工場:1999年4月)

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ご参考までに、写真は新製時のNDD5602です。

さて、今回は1990年代初頭の神奈川臨海鉄道と、その頃のその他諸々についてお伝えしました。神奈川臨海鉄道は現在も盛業中ですが、最近は目立った話題もなく地味な存在になってしまいました。繰り返しになりますが、もう旅客化は夢の彼方に行ってしまいました。