ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第876話 1994年京福(越前):永平寺にモハ251形を追う

1994年当時の京福越前本線は、ほとんどの列車が元阪神か元南海電車を流用した車両でした。これが原因で、なかなか撮影に出向く気が起こらなかったわけですが、モハ251形という日車標準タイプモドキの自社発注車が僅かに残っており、この車両の撮影に本腰を入れました。

 

1.モハ251 (諏訪間~東古市:1994年5月)

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 モハ251形は両運車であり、比較的永平寺線に投入されることが多く、福井に3日間程居座り、モハ251形の永平寺線の運用を追いました。

 

2.モハ251非貫通面 (東古市:1994年5月)

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 初日は見事にハズレて、モハ1102が永平寺線に充当されていました。初日の様子は、第769話~第771話をご覧下さい。よって、2日目が勝負でした。2日目は、午前中は少し雲の多い日でしたが、待望のモハ251が永平寺線の運用に入っていました。

 

3.モハ251貫通面 (東古市:1994年5月)

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 モハ251形はこの時点でモハ251,252の2両が残っていました。元々非貫通の両運車ですが、いずれもワンマン化されており、一応2連が組めるようにモハ251は勝山寄り、モハ252は福井寄りが貫通化されていました。非貫通面の3枚窓は、窓枠がHゴム化されてしまい、少々間の抜けた表情になってしまいました。

 

4.モハ251 (東古市~諏訪間:1994年5月)

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 かつては、モハ251形は4両在籍し、同じスタイルのモハ241形も4両存在しました。いずれも旧型車を車体更新したものです。この更新車体は、鉄道誌などで日車の地方私鉄標準車体と報じられていますが、製造時期は岳南や新潟交通の日車標準車体よりも少し前です。実態は全金製の張り上げ屋根でバス窓ですが、よく見るとウインドシルの付いた小柄な15m級車体であり、果たして、日車標準車体と言って良いものか?・・・と、言うわけで今回は日車標準車体モドキとさせて頂きます。しかしながら、地方私鉄には大変好ましいスタイルです。

 

5.モハ251 (諏訪間~東古市:1994年5月)

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 この前日も、永平寺線でモハ1102の撮影を行いましたが、前日はフェーン現象で真夏の様な天気でしかも突風が吹き荒れ、とんでもない一日でした。この日は午後から穏やかな五月晴れとなり、気合を入れて再び永平寺線に向かいました。

 

6.モハ251 (諏訪間~東古市:1994年5月)

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 まずは、東古市から永平寺方面に向かって歩きながらの撮影です。ここは諏訪間駅の近くです。1992年の秋にもここでモハ1101を撮影しました。秋の景色も良かったですが、春もまた違った趣きで良い風景です。

 

7.モハ251 (諏訪間~京善:1994年5月)

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 永平寺線は終点の永平寺に向かって片勾配の路線でした。諏訪間~京善間は、平均勾配17.5‰が続きました。