ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第892話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向(その2)

琴電瓦町駅の駅ビル化で長尾線高松築港へ直通し、志度線は瓦町折返しとなりましたが、このことを今回の撮影時に初めて知りました。私が訪問したのは、この運用変更が実施された2週間後でしたが、当時はまだネット社会ではなく、こんな情報はすぐには入手できないので、現地に行くまでわかりません。とにかく、現地に出向いてビックリ仰天で、そこから調査が始まりました。

 

1.850,22他 (今橋:1994年7月)

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 まず驚いたのは、志度線が完全に分断されていたことです。これでは志度線長尾線の車両が共通運用できませんし、志度線に残された車両は、定期検査で仏生山の工場に行くことも出来ません。まあ、一時的な分断だろうと当時は思っていました。

 

2.28,230他 (今橋:1994年7月)

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 しかし、志度線長尾線が分断されたと言うことは、長尾線で撮影していても、志度線に残った車両は撮影できないということで、それらの撮影には、志度線に出向かねばなりません。

 

3.230 (今橋:1994年7月)

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 よって、長尾線の撮影後、志度線の様子を伺いに今橋の車庫へ向かいました。今橋には、この頃長尾線で見かけない車両達が集合していました。しかし、30形もいました。どうも形式ごとに車両配置を分けたのではなさそうでした。

 

4.850 (今橋:1994年7月)

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 いつまで分断が続くのか、今後レアなクハ達は志度線でしか撮影が出来ません。早速沿線撮影に出向きました。

 

5.22+30形2連 (春日川~潟元:1994年7月)

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 志度線は、撮影場所が限られます。朝の内は房前辺りで瀬戸内海を入れて撮影することが出来ますが、昼以降の撮影は春日川辺りの鉄橋くらいです。よって、春日川に出向きました。まずやって来たのは、20形率いる3連でした。20形は全車志度線に配置された様です。

 

6.29+30 (春日川~潟元:1994年7月)

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 続いて30形です。30形は長尾線志度線の両方に配置されましたが、どちらも相変わらず主力なので、この車両が活躍するとレアな車両が走りません。しかも、志度線には4本も30形が配置されていました。

 

7.31+32 (春日川~潟元:1994年7月)

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 また、30形です。この後は30形ばかりとなりましたので、写真を省略します。志度線もレアな車両はなかなか走らない様でした。