ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第900話 番外編:中2の頃、広島にて。

第900話まで来ました。この調子だと第1000話を越えてしまいそうですが、これだけローカル線車両の撮り歩きに没頭していた自分に呆れております。

さて、恒例の100回節目の番外編ですが、今回は私が最も興味を持たなかった国鉄車両の話題です。本来であれば、「ローカル線の回顧録」から逸脱する内容ですが、古い画像を調べていたら懐かしい車両が出て来ましたので、番外編に免じて、私の中学生時代の広島の国鉄の様子を少々お伝えします。お見苦しい画像ばかりですがご了承願います。

 

1.80系初期車 (五日市~西広島:1977年3月)

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 こんな写真を撮っていたことすら記憶にありませんが、写真の日付から中学2年生になる春休みに、おそらく広電の荒手車庫へ出向いたついでに、山陽本線八幡川橋梁で撮影したものです。この頃にはまだ正面3枚窓のクハ86形が残っていました。この他にも広島には、お馴染みの湘南型クハ86形やサロ改造のクハ85形、東海型低窓タイプの153系等々、都落ちしてきた往年の東海道線のスターが寄り合っていました。今となっては、なぜ写真を撮らなかったのかとても不思議ですが、それだけ国鉄車両に興味がなかったと言うことです。

 以下の写真は、国鉄職員だった同級生のお父さんのはからいで、広島運転所を見学させて頂いた時の写真です。こういう機会でもないと、国鉄車両を撮影することはまずありませんでした。しかしながら、貴重な記録となりました。

 

2.クハ86形初期車 (広島運転所:1977年10月)

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どこを見ても湘南電車ばかりです。これが当時の山陽本線の実態です。同行した仲間は皆、20系ブルートレインを見に行きましたが、古いもの好きの私は、別行動で初期タイプのクハ86形探しです。野生の感覚で1本見つけ出して撮影しました。この写真が元祖湘南電車です。しかし、車号が不明!。以下同様に車号を控えるのを忘れました。

 

3.クハ86形湘南型 (広島運転所:1977年10月)

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 そして、お馴染みの湘南電車も撮影です。この車両は、ウインドシル・ヘッダー付の初期タイプです。この頃は80系がうじゃうじゃいたので、あえて写真を撮ろうとも思いませんでしたが、翌年には広島運転所に115系2000番台が新製配置されると、あっという間に80系は淘汰されてしまいました。

 

4.70系 (広島運転所:1977年10月)

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 これは中央東線からやって来た70系です。この列車は、山陽本線呉線を直通する比較的短距離の運用に充当されていました。このスカ色が良く目立ちましたが、最後までスカ色のままでした。

 

5.クハ79形他 (広島運転所:1977年10月)

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 こんな電車もいました。この頃クモハ73形、クハ79形は可部線に配置されていましたが、このクハ79は1976年に中央東線から転属してきたもので、70系と同じような運用に充当されていました。中間車は可部線で持て余していたモハ72形です。モハ72形は緑色なので混色編成となり、いかにも暫定配置と言ったところでしたが、この編成は翌年にはいなくなりました。

 

6.クハ79形他 (広島運転所:1977年10月)

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 この車両は、可部線所属のクハ79形です。可部線はこの前年にクモハ11形などの17m車を、20m車のクモハ73形,クハ79形に置き換えました。17m車の写真を1枚も撮影しなかったことが悔やまれますが、気が付けばこれらの車両もまともな写真を撮らずじまいでした。よほど国鉄車両に興味がなかったと言うことです。この写真にはクハ85がちょっとだけ写っていますが、クハ85の一部はサロ85からの改造車で座席も2等席時代のままでした。一見ゴージャスに見えましたが、長時間座ると疲れる座席でした。