ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第901話 番外編:中2の頃、広島にて。(その2)

今回も異例の国鉄広島運転所の見学写真です。

 この見学に同行した仲間は、湘南電車などのボロい電車には誰一人興味はなく、私が湘南電車の写真を撮っているうちに、皆どこかに行ってしまいました。慌てて追いかけると、皆さんブルートレインの車内にいました。

 

1.20系客車 (広島運転所:1977年10月)

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 当時のブルートレインは、この20系か14系くらいで、特急と言えども3段寝台でした。広島運転所にいたのは、「あさかぜ」用の20系でした。「あさかぜ」は、上りの1号と下りの2号が東京~下関間の運転で、広島で編成の半分にあたる7両を連結・開放しました。写真は東京寄りのナハネフ22形です。この時はブルートレインにも興味はなく、とりあえず1枚だけ写真を撮っていましたが、「あさかぜ」には、社会人になってから、広島出張の際に何度もお世話になりました。しかし、その頃の「あさかぜ」は、すでに24系25形になっていました。

 

2.14系客車他 (広島運転所:1977年10月)

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 そして、更に興味がない14系座席車です。この車両の初期の簡易リクライニングシートは最悪でした。しかし、この時見学を案内して頂いた職員さんが、記念撮影用に方向幕を回してくれました。そのなかに発見したのが、「しおじ」でした。思えば、私が初めて乗った山陽本線の特急が、まさしく14系客車の「しおじ」でした。これには感激です。

 

3.旧型客車群 (広島運転所:1977年10月)

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 見学の最後は芸備線の客車群です。まだ50系客車など存在しなかった頃なので、どの客車も茶色い古びたものばかりでした。こういう車両をゆっくり見たかったのですが、誰も興味を示さずサッサと通過。同じ客車でもブルートレインに興味を示さない私は、老けた中学生だったのか・・・。

 

4.EF59 (瀬野機関区:1977年10月)

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 広島運転所の見学を終えて、勢いで瀬野機関区へ足を伸ばしました。この頃の瀬野機関区は、まだ撮影禁止になっていませんでした。このEF59は、EF53,EF56からの改造車です。妻面の屋根に庇があるのが元EF53、張り上げ屋根が元EF56です。ちょうど、八本松から回送の4両が戻って来ました。なかなか壮観です。

 

5.EF59 (瀬野機関区:1977年10月)

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 現在、瀬野機関区は廃止され跡形もありません。そして瀬野八のシェルパは、EF67が広島~西条間で今年の3月まで活躍していました。ちなみに、EF591は碓井鉄道村に保存されています。

 

6.1977年頃の広島近辺の国鉄ローカル線乗車券類

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 ついでに、当時の切符もあったのでご覧ください。

① 左上は当時の芸備線の急行ちどり号の指定席急行券

この頃の芸備線には、「ちどり」、「たいしゃく」、「やまのゆ」の3種類の急行列    車が存在しました。この内、「ちどり3号」は座席車の夜行DCでした。

② 左下は可部線の車内補充券。

この車内補充券はかなり大型です。広島から三段峡までの全駅が記載されています。

③ 右上は、三江南線の車内補充券。

この車内補充券は、昭和50年頃のもので、まだ三江線が全通前のものですが、三江線は既に存在しません。

④ 右下は、芸備線三江線福塩線の車内補充券。

この車内補充券は、三次を中心とする各線対応用ですが、この頃はまだ中国地方山間部のローカル線が元気だった頃であり、三次は鉄道の要衝だったことが伝わります。