ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第906話 1993年筑豊:元西鉄連接車が主役の頃(その3)

さて、当時の筑豊電鉄の主力である2000形3連接車についてですが、私にとってどことなく馴染みのあるこの車両は、広電の3000形の種車となった元西鉄福岡市内線の1300形、1200形と兄弟車でした。

 

1.2007A+C+B (楠橋~香月:1993年11月)

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 広電の3000形は西鉄福岡市内線の1300形、1200形、1100形からの改造でしたが、筑豊電鉄の2000形は、西鉄福岡市内線の1300形、1200形、1000形と西鉄北九州線の1000形からの改造です。

 

2.2007B+C+A (香月~楠橋:1993年11月)

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 筑豊電鉄は元々自社の車両を保有しておらず、全て西鉄北九州線の車両で運行されていましたが、まず1976年に部分廃止となった西鉄福岡市内線から。2連接の1300形、1200形を5編成購入して、2連接車のまま自社車両として運行したのが始まりです。その後、中間車となる西鉄北九州線1000形と西鉄福岡市内線1000形を購入し、1977年に3連接化を行い2000形(注1)となりました。そして、更に1980年には、西鉄北九州線1000形を購入して3連接化を行い2編成が増備されました。

 

3.2007A+C+B (楠橋~香月:1993年11月)

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(注1)2000形の車歴

 直方←2000A+2000C+2000B→黒崎

筑豊2001A,B←筑豊1301A,B←福岡1301A,B:1964年日立製作所

筑豊2001C←福岡1043A:1959年日立製作所

筑豊2002A,B←筑豊1302A,B←福岡1302A,B:1964年日立製作所

筑豊2002C←福岡1043B:1959年日立製作所

筑豊2003A,B←筑豊1303A,B←福岡1303A,B:1964年日立製作所

筑豊2003C←福岡1044A:1959年日立製作所

筑豊2004A,B←筑豊1304A,B←福岡1304A,B:1964年日立製作所

筑豊2004C←福岡1044B:1959年日立製作所

筑豊2005A,B←筑豊1205A,B←福岡1205A,B:1962年日立製作所

筑豊2005C←福岡1013B:1957年川崎車輌

筑豊2006A,B←北九州1062A,B:1967年九州車輌製

筑豊2006C←福岡1063B:1967年九州車輌製

筑豊2007A,B←北九州1064A,B:1967年九州車輌製

筑豊2007C←福岡1063A:1967年九州車輌製

 

4.2107A+C+B (直方~感田:1993年11月)

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  同じような時期に広電も西鉄福岡市内線の2連接車を購入しており、1200形と1300形を分け合った感じです。なお、広電は西鉄福岡市内線の1100形も購入したため、3連接化に際して車体断面が異なる車両の編成が派生しましたが、筑豊電鉄では形式は異なっても同じ車体断面の車両で構成されました。

 

5.2105A+C+B (直方~感田:1993年11月)

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 筑豊2000形と広電3000形の3連化改造の違いですが、広電ではドアを先頭部を除き引き戸化したのに対し筑豊は全てのドアが折り戸のままです。そして前照灯の位置、側窓のサッシ、パンタの配置、冷房装置などに違いが見られます。

 

6.2004A+C+B (楠橋~香月:1993年11月)

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 また、西鉄北九州線の1000形にもかつて3連接車が存在しましたが、その3連接車は中間車にドアがないタイプなので、筑豊2000形とは異なりました。