ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第908話 1993年筑豊:元西鉄連接車が主役の頃(その5)

1993年時点、新車?の3000形は5編成在籍していましたが、その種車となった2100形は、まだ13編成在籍していました。

 

1.3003B+A (楠橋~香月:1993年11月)

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 2100形は元々西鉄北九州線の1000形でしたが、この1000形は64編成も製造されました。いかに北九州線が大規模であったかを物語っています。しかし、北九州線の路線縮小により1985年には筑豊電鉄が15編成の1000形を購入して番号もそのままで使用を開始し、更に1987年に3編成が増備され、この時点で2100形(注1)に改番されました。

 

2.2113B+A (楠橋:1993年11月)

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 (注1)2100形の車歴

筑豊2101A+B,2102A+B←筑豊1021A+B,1022A+B←北九州1021A+B,1022A+B:1958年近畿車輌

筑豊2102A+B~2107A+B←筑豊1031A+B~1037A+B←北九州1031A+B~1037A+B:1958年近畿車輌

筑豊2108A+B,2109A+B←筑豊1046A+B,1047A+B←北九州1046A+B,1047A+B:1961年近畿車輌

筑豊2110A+B~2113A+B←筑豊1048A+B~1051A+B←北九州1048A+B~1051A+B:1961年日本車輌

なお、2114A+B~2118A+Bは、3005A+B~3001A+Bに台車、機器を流用して1988年~1989年に廃車。

 

3.2103B+A (楠橋:1993年11月)

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 西鉄北九州線の1000形は1001~1020までの初期車は半鋼製で、1021以降が全金製でしたが、筑豊電鉄が購入した1000形は、2000形の種車も含めて全て全金製でした。

 ※西鉄福岡市内線にも2連接車の1000形が在籍しましたが、これは北九州線の1000形とは違う車両です。外観はどちらもそっくりで、同じ番号の車両が重複していましたが、福岡の1000形はカルダン車でした。筑豊2000形の一部の中間車にも福岡の1000形の車体が充当されました。

 

4.2101B+A (楠橋:1993年11月)

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2000形は塗装も変更され、冷房化されましたが、2100形は改番こそされましたが、塗装は西鉄時代のままで非冷房のままでした。上の写真の後方には、西鉄北九州線の1000形が少し写っていますが、2100形とは車号標記が異なるだけです。

 

5.3005B+A (楠橋~香月:1993年11月)

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その後、2110A+B~2113A+Bは3006A+B~3009A+Bに台車と機器を譲って廃車となります。残った2100形はその後徐々に廃車となりましが、2103A+Bが2006年まで残り、最後に廃車となりました。 

 

6.2007A+C+B (直方~感田:1993年11月)

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 現在の筑豊電鉄は、LRVの5000形が4編成まで増備され、2000形は2003A+C+Bが1編成のみ残っていましたが、つい先日、運用を終えたようです。広電の3000形も3002A+B+Cが1編成だけ市内線用に残っている様ですが、その他に熊本市電も5000形5014A+Bが1編成のみとなり、元西鉄の連接車も風前の灯です。