ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第915話 1994年加越能:先行きが微妙な頃(その4)

万葉線は、中伏木から専用軌道に入ります。沿線は相変わらず工場地帯ですが、港湾地帯の雰囲気も漂って来ます。

 

1.デ7072 (中伏木~六渡寺:1994年10月)

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 再び「猫電車」の登場ですが、せっかくの良い雰囲気が台無しです。仕方なく次の電車を待ちます。

 

2.デ7053 (中伏木~六渡寺:1994年10月)

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 今度はまともな電車でした。しかし、このロケーションに路面電車は不思議な感覚です。現在はここをLRVが走り、不思議と言うよりも違和感ありそうな感じです。

 

3.デ7061 (中伏木~六渡寺:1994年10月)

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 六渡寺の電停で休憩していると、コーラ電車がやって来ました。この駅の横にはJR貨物新湊線の貨物ヤードが広がっていました。元々この電停は新湊という名称でしたが、この時点では六渡寺になっていました。交換施設のある無人の電停ですが、ここは廃止された富山地鉄射水線の終点でした。射水線の前身である越中鉄道が南富山から新伏木港(現六渡寺)まで建設し、開業は1933年でした。その後ここから米島口まで延伸されて富山と高岡が結ばれましたが、ここから高岡駅前までは1959年に加越能鉄道に譲渡され、更に富山新港の建設で、射水線が分断されたため、1966年にここから越ノ潟までが加越能鉄道となりました。かつての名残りで、現在も高岡駅前~六渡寺間は軌道法区間、六渡寺~越ノ潟間は普通鉄道法区間です。

 

4.デ7052 (庄川口~六渡寺:1994年10月)

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 六渡寺の先には庄川を渡る立派な鉄橋があります。この鉄橋も越中鉄道の建設によるものですが、1976年に水害に遭い、かつての射水区間があわや廃止かと心配されましたが、なんとか翌年に復旧して現在に至ります。

 

5.デ7073 (庄川口~六渡寺:1994年10月)

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鉄橋は立派ですが、電車は吹けば飛ぶような路面電車です。しかし、この鉄橋がなければ、現在の万葉線はなかったかも知れません。 

 

6.デ7074 (庄川口~六渡寺:1994年10月)

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 万葉線は、この鉄橋のお陰で、新湊市と高岡を結ぶ貴重な交通手段として、現在も存続しています。しかし、やはり民間の鉄道としては限界だったようで、経営は第3セクター化されました。社名も万葉線となり、補助金のお陰で車両もLRV化が進みましたが、先行きはどうなんでしょうか?

 その後、万葉線とはすっかり縁が切れてしまいましたが、LRVが導入されてから高岡を訪れる機会がありました。その頃、鉄道総研のバッテリー路面電車の走行試験が万葉線で実施されていました。

 

7.鉄道総研のバッテリー走行試験車LH02 (高岡駅前~片原町:2014年8月)

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 この写真は、20年後のその試運転の様子です。万葉線では延伸計画があり、非電化で延伸してバッテリー車の導入を検討していた様ですが、その後の話しをさっぱり聞きません。どうなってしまったのか?まあ、非電化となれば、建設費や保守費の削減にはなりますが、バッテリー車は逆に高価となるのは当然です。しかも充電設備も必要ですし、小さな路面電車は車内をバッテリーに占領されて輸送力の少ない車両になりそうです。ならば、キャパシタなどを併用して一部区間を非電化で走行するような発想はありと思います。しかし、なかなか採算が合わないのかも知れませんし、地方の鉄道には高嶺の花なのかも知れません。まだ課題は多そうです。