ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第920話 1992年西濃:まだやっているのか?

近鉄養老線の撮影で大垣に出向いた際に、JR大垣駅美濃赤坂行の列車を見掛けました。美濃赤坂東海道本線の支線である盲腸線の終点で、大垣からわずかに2駅先です。そう言えば、美濃赤坂から西濃鉄道という貨物鉄道が接続していることを思い出し、ちょっと行ってみることにしました。

 

1.西濃鉄道機関区側線 (美濃赤坂:1992年10月)

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 例によって、思い付きの訪問だったので、何の予備知識もなく、とりあえず美濃赤坂に降り立ちました。確か、この路線はかつて国鉄初の気動車キハニ5000形が実用化され、西濃鉄道に乗り入れていたという記事を読んだことがありました。しかし、それは戦前の話しであり、この頃の西濃鉄道越後交通長岡線と同様に得体の知れない存在になっていました。

 

2.西濃鉄道路線図(引用:国土地理院1/25000地形図「大垣」昭和63年発行)

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 上図をご覧頂くと、大垣付近はいろんな鉄道路線が存在しています。その中で3本に分岐するJRの路線は3本とも東海道本線で、その一番右が美濃赤坂までの盲腸線です。そして、美濃赤坂の手前から分岐する貨物線が2本ありますが、これが西濃鉄道です。この時点の西濃鉄道は2路線存在し、美濃赤坂から北上する路線が本線的存在の市橋線で、この路線に、かつて国鉄からキハニ5000形が乗り入れていました。一方、西側に分岐する路線は昼飯(ひるい)線と称し、途中の美濃大久保駅スイッチバックする変わった路線でした。昼飯線は、スイッチバックの関係で、美濃赤坂から美濃大久保へ向う貨物列車は機関車推進で運転されていました。当然先頭となる最後尾には車掌車が連結されて、監視運転されていました。

 

3.西濃鉄道機関区側線 (美濃赤坂:1992年10月)

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 西濃鉄道は、沿線で産出される石灰製品を出荷する鉄道です。全ての貨物列車が美濃赤坂からJRへ直通しますが、果たして西濃鉄道は「まだやっているのか?」正直なところ半信半疑での訪問でした。この写真は、貨車が止まっているのが西濃鉄道の機関区の側線で、左にカーブする路線が昼飯線です。レールの錆具合を見ると、昼飯線は運行されていない様です。

 

4.市橋線旧赤坂本町駅付近 (美濃赤坂~乙女坂:1992年10月)

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 そして、この写真は赤坂町内の市橋線です。おそらく、この辺りにかつては赤坂本町という旅客用の駅があった場所です。市橋線の方は、レールは錆びておらず、現役の様です。

 

5.市橋線 (美濃赤坂~乙女坂:1992年10月)

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 市橋線は、赤坂町の市街地を抜けると石灰石の採掘場に近づきます。画面の左側に聳える岩山は、全山石灰石の金生山です。この山の石灰石採掘が続く限り、西濃鉄道は存続するのでしょうか?

 

6.市橋線乙女坂駅付近 (乙女坂:1992年10月)

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 この写真は、乙女坂駅付近です。貨物線なので、どこが駅なのかはっきりしませんが、この付近は複線になっており、左側の線路には複数の石灰業者の製品積込み所があり、かつてはここで貨車が組成されていたものと思われます。しかし、この時点でここから出荷があったのかわかりませんが、見た感じ側線は使用されていない様で、貨車もありませんでした。

 

7.市橋線猿岩駅付近 (猿岩:1992年10月)

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 乙女坂駅を過ぎると、この写真は次の猿岩駅です。ここには石灰製品のプラントがいくつかあり、定期的に出荷列車が発着している様でした。線路はこの先の市橋駅まで続きますが、この日は休日で貨物列車の運行もなかった様なので、ここで美濃赤坂の機関区に戻りました。