ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第938話 1995年海外編:いきなりシンガポール(その2)

続いてシンガポールのMRTです。ところで、この出張にはカメラを持参していませんでした。今回投稿した写真は、実はシンガポールのコンビニで購入した「写ルンです」で撮影したものです。多少ピントが甘いのはご愛嬌ですが、案外綺麗に撮れていました。たいしたものです。

 

1.東西線C-151形 (Jurog East:1995年5月)

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ここは、東西線と枝線が分岐するJurog East(ジュロン・イースト)です。芸術的立体交差です。高層住宅の階段から「写ルンです」で撮影しましたが、ちゃんと撮れてます。

 

2.東西線C-151形 (Jurog East:1995年5月)

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しかしながら、シンガポールは整然とした国です。面積が小さいので、しっかり統制が出来ているのかも知れませんが、大変住み良い国です。この当時ですら、かなり先進的でしたが、今はアメリカと北朝鮮のトップ会談が開催できるほどの、もっと立派な国になっています。

 

3.東西線C-151形 (Jurog East:1995年5月)

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さて、電車の話しに戻りますが、このC-151形は日本製なので臓物も馴染のあるメーカー品でした。製造は1986年頃で主制御装置は懐かしい4Qチョッパでした。その頃営団地下鉄銀座線01形や横浜新都市交通1000形等にも採用されたチョッパの総集編的主制御装置でしたが、現在はVVVFに換装されたようです。

 

4.東西線C-151形 (Jurog East:1995年5月)

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そして、シンガポールと言えば、最近では自動車の自動運転の取り組みが世界でもトップクラスですが、鉄道の自動運転においてもMRTはすべて自動運転で建設されました。ところが、現在ではもう当たり前のATOですが、シンガポールでは最近異変が・・・。数年前からMRT全線で無人運転をやめて運転手が乗務するようになりました。なぜなのか?どうも自動運転の信頼性よりも、トラブル発生時の速やかな対応を優先した様です。

 

5.東西線C-151形 (Jurog East:1995年5月)

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自動車と鉄道の自動運転の決定的な違いは、運行管理にあると思います。例えば、自動車の場合は、車両単位で独立した自動運転であり、故障してもその車両を排除してしまえば終わりですが、鉄道の場合は信号システムや運行システムが絡み、システム全体で運行を見合わす必要があります。故障車の排除も軌道系であるがゆえに簡単ではありません。しかし、運転手が乗っていれば、保安装置を解除してマニュアル運転が可能であれば、復旧時間の短縮が図れます。

 

6.東西線C-151形 (Jurog East:1995年5月)

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最近の鉄道車両は自動運転に加えて列車の車載機器を統括管理及び制御する装置の搭載が主流になってきましたが、この装置は「優れモノ」ですが故障すると厄介です。故障の仕方によっては、運転手も安易に手を出せないケースもあり得ます。列車を自動で走らす技術はもうとっくの昔に確立されていますが、故障時の対応は永遠のテーマの様です。

話が脱線しましたが、C-151形は製造から37年になりますが、まだ使用されるようです。