ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第944話 1993年三井三池:国内炭鉱の終焉を実感(その3)

冒頭にも記しましたが、三池炭鉱の縮小と共に、三池鉄道の縮小もかなり進んでいました。三池炭鉱は結局、1997年3月末で閉山となり、三池鉄道も廃止されましたが、沿線の化学工場は盛業中であり、この化学工場の専用線として一部の路線と機関車が残りました。しかし、三池港一帯は大半は更地となってしまいました。

 

1.凸型45t 17号機、凸型22t 1号機 (三池港:1993年9月)

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三池港では、凸型45t 機が運炭列車の牽引に稼働していましたが、ここでは凸型22t 機の稼働をみることができませんでした。・・・と、言うより、凸型22t 機はほとんど使用されていないのか、姿もほとんど見えません。

 

2.凸型45t 17号機運炭列車 (三池港:1993年9月)

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しかし、この訪問時は辛うじて残っていた運炭列車の様子が撮影できたので、ある意味三池鉄道最後の活躍を記録に納めることができました。

 

3.凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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三池鉄道の魅力は明治時代の記念物級舶来機関車の存在であることは言うまでもありませんが、東芝製45t機が集結していたことも忘れてはいけません。特に戦前製の17号機~19号機は東芝標準機の原形になった機関車です。

 

4.凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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この17号機は保存機となり、現在も三池鉱跡地に、L型15t 5号機と凸型22t 1号機、5号機と共に手厚く保存展示されていますが、18号機、19号機は三池鉄道廃止後も三井化学専用線で主力として残り、2020年5月の専用線廃止まで活躍しました。

 

5.凸型45t 22号機 (三池港:1993年9月)

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そして、戦時設計の東芝標準機ですが、これも三池鉄道に20号機~22号機が在籍しました。こちらは戦時設計であるがゆえに武骨で飾り気は一切なく、人気もありませんでしたが、3両共生い立ちはバラバラです。ちなみに20号機は元南海、21号機は自社発注、22号機は元西鉄宮地岳線の出身でした。この3両は共に三池鉄道の廃止まで活躍しましたが、専用線には移籍せず、20号機のみが部品確保で残りました。しかし、保存対象にならず、3両共解体されました。

 

6.凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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三池鉄道には東芝製凸型45t機が6両もいましたが、これらは運炭列車用でした。しかしこの頃には、本線を走る運炭列車はなく、三池港から四山の火力発電所間まで三池港構内を往復する程度と、JR経由で乗り入れる三井東圧化学への貨物列車だけになっていました。

 

7.凸型45t 17号機 (三池港:1993年9月)

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この日は、三池港の現役運炭列車を確認できましたが、運用を離脱した機関車が三池港の奥の方に保管されているはずです。それを見ないと、ここに来た意味がありません。ご案内頂いた課長さんに、保管されている車両を見せて欲しいとお願いしたところ快諾を頂き、このあと構内の外れに向かいました。そこには運用を離脱した多くの車両が解体されずにいました。保管車両の状況は別途お伝えします。