ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第950話 1993年鹿島:空気を運ぶ大増発(その3)

ここは、何もない四箇村近くですが、ガラガラの列車は不安になるくらい頻繁にやって来ました。KR500形は従来車に比べて飛躍的に燃費が向上しましたが、この増便はどう考えても、おかしい。そして、もったいない。

 

1.KR502 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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列車を増やせば乗客も増えるという考え方もあるようですが、そうならなかったのが新潟交通でした。ちょうどこの年の7月末で、新潟交通の燕~月潟間が廃止されましたが、もともと輸送需要がない地域で列車を増発しても意味がありません。常陸小川もそんな感じがしました。

 

2.KR502 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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こんなに長閑な場所です。人通りよりも列車本数の方が多かったです。列車は1時間に1本あれば十分です。

 

3.キハ601 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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鉾田行きのキハ601がやって来ました。こちらは乗客が多少乗っていました。おそらく玉造町や鉾田に向かう人だと思います。どうせなら、少しでも乗客の多い列車に新車を充当した方がサービスになると思うのですが・・・・。

 

4.キハ601 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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しかし、KR500形は4両となり、もう鉾田までのロングラン運用にも入っていました。この先、KR500形の更なる増備があれば、こんどはキハ600形やキハ430形が危ういです。やはり趣味的には、いつまでも旧型車には頑張ってもらいたい。少なくともこの頃は不安だらけでした。

 

5.KR502 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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結果的には、これ以上KR500形は増えませんでしたが、このもったいない区間運用は続きました。

 

6.KR502 (四箇村~常陸小川:1993年5月)

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この頃の鹿島鉄道は、儲け頭の貨物輸送があったので、この様な無駄な列車運用も見過ごされていたのではないかと思います。なんともバブリーな時代でした。