ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第957話 1994年越後交通(長岡):復活の夢断たれる(その2)

越後交通長岡線は、貨物専業鉄道として、西長岡~来迎寺間と西長岡~関原間の2路線が存続しましたが、西長岡~関原間は貨物量の減少から1993年3月末で廃止されました。残った西長岡~来迎寺間も半年後には廃止となります。これから厳しい冬を迎えますが、もう田植えの時期や、稔の時期の撮影は叶いません。今回は天気が良かったので救われました。

 

1.ED5101単機回送 (来迎寺~深沢:1994年10月)

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ED5101の単機回送は、来迎寺からセメント列車となって戻って来ます。この日は単機なので、タンク車の両数も多くない様なので、セメント列車は橋梁で撮影することにしましたが、この時間は逆光となります。

 

2.ED5101牽引のセメント列車 (深沢~来迎寺:1994年10月)

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再び汽笛と共に、セメント列車が戻ってきました。案の定、半逆光です。しかも、セメント列車はタキを9両もつないでおり、一瞬あせりましたが、ぎりぎりファインダーに収まりました。

 

3.ED5101牽引のセメント列車 (深沢~来迎寺:1994年10月)

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慌てて鉄橋を渡る列車を連写しましたが、列車が長すぎて、お尻が切れてしまいました。

 

4.ED5101牽引のセメント列車 (来迎寺~深沢:1994年10月)

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セメント輸送と言えば、三岐鉄道秩父鉄道が思い浮かびますが、それ以外に、この頃に民間の鉄道でこんな列車が残っていたことが奇跡的でした。そして、三岐や秩父にはない、うらぶれた雰囲気がなんとも郷愁をそそります。

 

5.ED5101牽引のセメント列車 (来迎寺~深沢:1994年10月)

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そして、鉄橋を通過して築堤を下って行きます。こちらは順光の後追い撮影となりますが、どうも貨物列車の後追い撮影は苦手です。

 

6.ED5101牽引のセメント列車 (来迎寺~深沢:1994年10月)

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何も障害物はなく、延々と連写できました。前方の山腹に聳えるのは、長岡技術科学大学の校舎です。越後交通長岡線の廃止後、一部の車両がそこに保存されました。さすが地元の国立大学だと称賛されましたが、その後朽ちてしまい、2003年に解体されたそうです。国立大学でも車両の保存は厳しいと言うことが良くわかりました。おそらく、保存後の維持管理など考えていなかったのでしょう。

 

7.来迎寺駅構内 (来迎寺:1994年10月)

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朝の貨物列車が行ってしまったので、もう夕方まで列車はありません。よって、来迎寺まで歩いて新潟へ向かい、路線短縮後の新潟交通の東関屋をのぞきに行くことにしました。来迎寺には、越後交通長岡線の旧旅客ホームと黒ワムが1両放置されていました。この駅は、かつて国鉄魚沼線の分岐駅でもありましたが、寂しい駅になってしまいました。さて、夕方の貨物列車を撮影するには、15時頃までには戻らねばなりません。以前は、高速バスを利用して効率よく燕付近で新潟交通の撮影が出来ましたが、もう新潟交通の燕~月潟間がなくなってしまったので、沿線撮影は無理。東関屋まで行くとなれば、結構時間が厳しいです。この後の展開は改めてお伝えします。