名鉄岐阜市内線の野一色付近は、住宅と小さな畑が混在する一帯でしたが、開けた場所がなく、列車の撮影には向いていませんでした。しかし、この区間は続行列車が走るので撮影効率はよかったです。
1.モ870形 (北一色~野一色:1995年11月)
この日の日野橋折返しの運用にはモ870形が充当されていました。この当時、モ870形は複電圧車ではなかったので、新岐阜へ乗り入れることはありませんでしたが、朝のラッシュ時は美濃方面から徹明町行の続行運転にも使用されていました。
2.モ604 (北一色~野一色:1995年11月)
新車のモ880形が導入されたので、モ600形は揖斐線に転じるのかと思いましたが、モ880形は美濃町線の増発(15分ヘッド運転)のための増備だったので、モ600形は美濃町線に留まりました。しかし、非冷房の吊掛車なので、モ880形に比較すると肩身の狭い存在でした。モ600形は辛うじてクロスシート車だったことが救いですが、この車体でクロスシートだったことが、モ510形の血筋を引いているようでユニークです。
3.モ603 (北一色~野一色:1995年11月)
ところで、モ600形は正面から見るとかなり馬面です。岐阜市内線の線形からこの様な細身にならざるを得なかったわけですが、花巻電鉄の馬面電車を近代化した様な車両でした。
4.モ605 (下芥見~上芥見:1995年11月)
さて、撮影場所を更に美濃方面へ移動して、上芥見で下車しました。この付近は更に田舎の雰囲気です。下芥見~上芥見間は列車の撮影に都合が良い田圃が点在していました。
5.モ604 (下芥見~上芥見:1995年11月)
この区間は、専用軌道なので一見鉄道線の様ですが、美濃町線は全線軌道法です。これをテコ入れして鉄道線化やモノレール化する計画もあった様ですが、今となっては笑い話です。
6.モ604 (下芥見~上芥見:1995年11月)
ところで、美濃町線は美濃と岐阜市街を結ぶ路線であることは分かっていましたが、実態をよく理解していませんでした。この時感じたことは、当時の美濃町線は新関と新岐阜の2点間を輸送するインターアーバンであり、美濃~新関間及び中間駅はほとんどオマケというか、昔からのお付き合いで沿線サービスにすぎない感じでした。
7.モ603 (下芥見~上芥見:1995年11月)
その結果が、10年後の突然の廃止劇です。しかしながら、その予兆は1999年3月31日の新関~美濃間の廃止から始まりました。