ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第985話 1994年富山地鉄:五月雨のGW(その2)

五月雨の富山でしたが、平野部は少し晴れてきました。この時期は田植えが終わった頃なので、どこの田圃も晴れれば鏡の様に際立ちます。しかし、いまひとつスッキリしません。

 

1.モハ14722+クハ172 (下段:1994年5月)

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田圃の上段にある下段駅雷鳥色の14720系が到着しました。天気がよければ後方に立山連峰が見えるはずですが、霞が掛かって何も見えません。

 

2.モハ14722+クハ172 (榎町~下段:1994年5月)

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この編成は元々3連でした。後方のクハ172は中間車のサハ222でしたが、運用の見直しでクハ化されて2連となりました。ちなみに切り離されたモハ14721はモハ10020系の中間車だったサハ221をクハ化したクハ171とコンビを組みました。ところで、サハ222はモハ14722より車体長が1m程短いため、この2両は長さが異なるコンビです。この長さの違いは中間車の構体設計を極力省くため、モハ14720形の構体から運転室部分を切り取ったものを中間車としたためです。

 

3.クハ174+モハ14760形2連 (釜ヶ淵~下段:1994年5月)

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この3連は同じスタイルの車両ですが、車体色が違うだけで全く別な車両の凸凹編成の様です。この数年前から黄色と緑の新塗装へ塗り替えが始まりました。全車が新塗装になるのかと思っていましたが、そうではありませんでした。よって、この様な新旧塗装が入り乱れていました。

 

4.JR485系3連 (下段~釜ヶ淵:1994年5月)

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今度は、JRの立山雷鳥がやって来ました。この日は2度目の雷鳥です。天気は悪くとも、やはり観光シーズンなのでJRからの直通列車がやたら目立ちました。この列車のお陰で、当時は大阪から直接、立山宇奈月に行けたわけです。やがて車両は681系サンダーバードに代わっても乗り入れはしばらく続きました。

 

5.JR485系3連 (釜ヶ淵~下段:1994年5月)

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この写真は後追い撮影したものですが、私はこの切妻特急のクモハ485形200番台が好きではありません。国鉄末期から特急も短編成化に伴い中間車の先頭車化が盛んに行われましたが、最初は真面目にオリジナルの妻構体を造って接合してたものを、だんだん手抜きとなり、JRになってからは、とうとう特急車も品格がなくなり食パンになってしまいました。

 

6.モハ10031+モハ10032 (下段~釜ヶ淵:1994年5月)

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この日の午前中は黒部線を走っていた京阪特急ですが、午後は立山線を走っていました。もう富山地鉄では旧型車を撮影できる機会はなさそうでした。よって、富山地鉄の撮影はこのへんで切り上げて、福井方面へ移動することにしました。福井(京福電鉄)の様子は第974話~第978話などでお伝えした通りですが、この後も天気が不安定で悩ましいGWでした。