ようやく列車の側面にも陽が差してきましたが、残念ながらもうラッシュは終わり、30分ヘッドの2連運用になってしまいました。
1.1082+1081 (一宮~円座:1994年8月)
こうなると、もう京急電車しか来ないので、仏生山の車庫をのぞきに行くことにしました。
2.1017+950 (仏生山:1994年8月)
仏生山には、吊掛車がいました。この異色のコンビである1017+950は、朝のラッシュ時に仏生山~高松築港間を1往復だけしか走らない、非常にもったいない列車です。それ故に吊掛車だったのかも知れません。
3.880 (仏生山:1994年8月)
本線脇の側線には、相変わらず880が朽ちかけていました。しかし、この車両は2年後に長尾線用に奇跡の復活を果たしますが、長尾線の方は琴平線とは違い、手頃な中古車が調達できなかったので、いつまでも古い車両が居座り、この880の様に余剰となった車両も万一に備えて捨てられなかった実情があります。
4.1063 (仏生山:1994年8月)
これも元三岐の吊掛車です。両運車なので増結用に重宝されて吊掛車ですが、生き延びました。この時点で、両運車は他にも元阪神電車の1061,1062も在籍していましたが、いずれも吊掛車です。
5.1085+1086、1089+1090 (仏生山:1994年8月)
ラッシュが終ると、列車検査のため、琴平線の車両は仏生山に続々と戻って来ました。このタイミングも撮影のチャンスですが、なぜか1080形ばかりでは気合が入りません。
6.1053+1054 (仏生山:1994年8月)
この日、もう1本のジェットカーモドキはお休みでしたが、この車両は非冷房なので夏場は冷房車の稼働が上がる様です。ちなみに、この頃の琴電の冷房化状況ですが、長尾線、志度線は当然のごとく0%で、琴平線は冷房車18両、非冷房車19両ですが、増結用の非冷房3両を除くと、ほぼ50%と言ったところでした。暑い高松にしては冷房化が進んでいませんでしたが、それでも長尾線、志度線を思えば琴平線はマシでした。
7.デカ1他 (仏生山:1994年8月)
工場の方をのぞくと、定検入場中の車両やら、廃車解体中の車両が集結していましたが、一番ボロボロだった入換機のデカ1が一番元気な様でした。