ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1004話 1993年流山:最後の京急!!

1990年代になると中小私鉄と言えども、大手私鉄から中古のカルダン車を導入して吊掛車が激減しました。そんな中、吊掛車の穴場だったのが流山電鉄でした。しかし、当時の流山電鉄は吊掛車とは言え、元西武の501系であり、しかも塗色が・・・。ところが、まだ1両だけ流山電鉄最後の京急電車がいました。

 

1.クモハ1201+サハ61+クモハ1202 (馬橋:1993年10月)

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この日は、どうして流山を訪れたのか記憶が曖昧ですが、恐らく1両だけ残っていた元京急電車のモハ1101を見に行ったと思われます。しかしながら、前回の訪問から3年ぶりでした。まずは、馬橋でギンギラのジャイアントロボ(銀河号)を撮影です。

 

2.モハ1101 (流山:1993年10月)

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そして、流山ではモハ1101が庫の外に出ていましたが、日陰が被ってしまい残念!!。この電車は元京急サハ480形(初代京急デハ400形)の車体のみを流用した1968年西武所沢製の新車名義ですが、元をただせば元京急デハ5400形で、1947年三井造船玉野製作所製です。同じ様な経歴の車両が弘南鉄道大鰐線にもモハ108として1両が活躍していましたが、そちらは1989年に廃車になりました。この頃のモハ1101は、単行用として残されていましたが、実際は運用する機会などなかった様です。

 

3.モハ1101 (流山:1993年10月)

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ところで、元京急デハ5400形は10両製造されましたが、全車の経歴は下記の通りです。

京急デハ5400形→京急デハ400形→京急サハ480形→車体のみ西武所沢に売却。

更に西武所沢から、伊予鉄道に4両(モハ121~123,クハ421)、近江鉄道に車体のみ4両(モハ135~137、クハ1210Ⅱとして竣工)、弘南鉄道に1両(モハ108)、総武流山電鉄に1両(モハ1101)が納入されました。

 

4.クモハ1203+サハ62+クモハ1205 (流山:1993年10月)

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この日は、流山へ行ったついでに他の車両も少々撮影しましたが、車両の陣容は3年前と変わっていませんでした。よって、撮影も気合が入らず適当です。

 

5.クモハ1208+サハ65+クモハ1209 (馬橋~幸谷:1993年10月)

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更についでの沿線撮影も適当です。この時は「若葉号」と「なの花号」が運用されていました。

 

6.クモハ1301+クハ81 (馬橋~幸谷:1993年10月)

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この日は本当に適当でしたが、この翌年から冷房車への置き換えが始まりました。導入されたのは元西武701系、801系でした。いよいよカルダン車の登場です。そして、モハ1101はこの3か月後の1994年1月に廃車となりました。