ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1282話 1996年日立:最後の訪問(その3)

続いて、日立電鉄鮎川駅の様子です。鮎川にも留置線があり、ラッシュ用列車の昼寝場所になっていました。

 

1.モハ10,モハ3022他 (鮎川:1996年4月)

鮎川には旧型車も留置されていました。この日はモハ16が運用されていたので、モハ14とモハ10はお休みです。

 

2.クハ2017+モハ2010、モハ2003+クハ2014 (鮎川:1996年4月)

鮎川の構内には、2000系2連が2本昼寝していました。常北太田と鮎川にいない車両は、恐らく検査入場で久慈浜にいるはずですが、赤い電車には興味がないので、久慈浜はパスです。

 

3.モハ10 非貫通面,モハ14 (鮎川:1996年4月)

さて、鮎川の構内にはモハ10とモハ14がいました。いっぱいいた雑多な旧型車は姿を消してしまいましたが、最後まで残された3両のうち、このモハ10だけが日立電鉄発注のオリジナル車でした。日立電鉄にとっては、特に思い入れがある車両のはずです。

 

4.モハ10 貫通面 (鮎川:1996年4月)

モハ10は、モハ14と共に旧型車として最後まで残り、この1年後の1997年4月に廃車となりました。オリジナル車両でしたが、保存されることなく姿を消しました。

 

5.モハ14 非貫通面 (鮎川:1996年4月)

残ったモハ14とモハ16は同型の元相模鉄道電気式気動車を前身とする歴史的には貴重な車両です。なぜ、モハ10以外のオリジナル車両を差し置いて残ったのか?おそらく、調子が良かったのか、もしくは、オリジナル車両の調子が悪かったのか?

 

6.モハ14 貫通面 (鮎川:1996年4月)

モハ16は、この年の5月に新車のモハ3026と交代して廃車となりましたが、モハ14はモハ10と最後のご奉仕で翌年4月まで残りました。結局、新車のラストは翌年5月に竣工したモハ3027でした。両運車の3000系は最終的に7両になりましたが、そんなに必要はないはずです。

さて、1991年12月からスタートした元営団銀座線2000系を種車とした2000系、3000系への車種統一は、6年半の歳月を経て、1997年5月にようやく完了します。しかし、私にとっては、これが旧型車の最後の撮影となりました。そして、車種統一後は一度も日立電鉄を訪問することなく、日立電鉄は2005年に廃止されました。廃止後に存続したバス事業などの後継会社もすでに茨城交通のグループとなり、日立電鉄を継承する会社は消滅しました。新幹線も製造する世界の日立製作所の一翼として存在した日立電鉄でしたが、始終ローカル私鉄として過去帳入りとなり、この撮影から29年になりましたが、あのブサイク車両たちの独特の改造車美学を忘れてはなりません。