3100形の撮影は、やはり宮島線の阿品あたりが妥当でした。この電車も2000形同様の日車トーションバー台車を履いていました。宮島線では、かん高い吊掛音で力走する様子がとても活き活きとしていました。
1.3103編成 (阿品東~地御前:1994年5月)
3103編成は広告電車ではありません。これはこの年に広島で開催されたアジア競技大会のイベント装飾です。一見、下津井のモハ1001を思い出す様な落書き電車かと思ってしまいましたが、ドイツの著名な画家が描いたものだそうです。
2.3103編成 (阿品東~地御前:1994年5月)
背景の広島湾はちょうど干潮時で、牡蛎の養殖場が現れました。宮島線は海沿いに敷設された路線ですが、広島湾の埋め立てにより、現在は海を入れて撮影できるのはこの場所くらいしかありません。
3.3102編成 (阿品東~地御前:1993年12月)
これは、満潮時の様子です。この辺りは宮島線で一番風光明媚な撮影ポイントですが、現在は手前の街路樹が成長しており、同じ様な撮影が難しくなっています。
4.3101編成 (阿品東~地御前:1994年2月)
海を入れて3100形のスッキリした走行写真が撮れました。今となっては、2500形のこの様な写真がないことが非常に残念です。
5.3101編成 (阿品東~地御前:1994年2月)
数年前に宮島線100周年記念で、3101編成をかつてのピンク色に塗り戻した様ですが、気が付けば、ピンク色の3000形もなくなり、3101編成が唯一のピンク電車になった様です。
6.3102編成 (荒手車庫:1994年5月)
LRVが増殖する広電ですが、この3100形には思い入れがある様で、現在も3列車とも健在です。相棒だった2000形が引退してしまった現在、広島の高度経済成長期を支えたこの車両がいつまでも走り続けることを願うばかりです。