ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第396話 1986年上田交通:丸窓と川造と青ガエル(その2)

せっかくの「川造デー」でしたが、雨なのでイマイチです。

川造タイプの車両は、結構各地にいましたが、この頃にはかなり減ってしまいました。琴電、弘南、津軽そして上田。しかも電動車は上田のモハ5271だけです。

 

1.モハ5271 (下之郷中塩田:1986年8月)

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 この日はその後、川造コンビは単行となりました。

この写真は、モハ5271のオリジナルの妻面です。モハ5271は上田寄りの妻窓がHゴムではなくオリジナルでした。オリジナルは中央運転台なので、ワイパーが中央窓に付いています。

 

2.モハ5371、モハ5261 (上田原:1986年8月)

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 上田原の車庫も訪問しました。まもなく昇圧されるとこの車庫は旧型車共々使命を終えて廃止されます。だからと言うか、ボロボロでした。

 

3.上田原車庫構内全景 (上田原:1986年8月)

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 この日は、元小田急ボディーのモハ5370形は2両ともお休みでした。この車庫もあと2ヵ月足らずの運命です。

 

4.デハ3310+クハ3710 (上田原:1986年8月)

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 元東急コンビのモハ3310+クハ3710は、所定位置で昼寝です。

 

5.元長野電鉄モハ611 (上田原:1986年8月)

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もう1両の未入籍だった「川造」も相変わらず車庫の端っこに居ましたが、結局この車両は未入籍のまま終わってしまいました。 

 

6.モハ5251(中塩田:1986年8月)

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 再び雨のなか本線に出ました。雨の中塩田に「丸窓」がやって来ました。ここで対向の「川造」と列車交換です。

第395話 1986年上田交通:丸窓と川造と青ガエル

1986年の8月は、甲信地方のローカル私鉄早回りを行いました。富士急行松本電鉄を訪問し、今回は最後に訪問した上田交通別所線の話題です。

この年、上田交通別所線はもうすぐ昇圧され、貴重な旧型車両が淘汰されることから、長野電鉄には寄らずに別所線を優先しました。しかし、このツアーはずーっと天気が悪く、とうとう最後の別所線まで雨を引きずりました。

 

1.モハ5271+クハ271 (八木沢:1986年8月)

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 お目当ては、いつもの丸窓ですが、今回はなんと「川造」コンビが走っていました。

思えば、「川造」コンビの走行は今回が初めてです。よって、天気は冴えませんが先ずは「川造」を追い掛けました。

 

2.クハ271+モハ5271(舞田~八木沢:1986年8月)

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 この「川造」コンビは、共にお隣の長野電鉄から、長野駅地下化で追いやられて来た可哀そうな車両達です。意外にも全鋼製の車両ではありますが、いわゆるAA基準を満たさなかったので、半鋼製車両と同じ扱いにされてしまいました。

 

3.クハ271+モハ5271(八木沢~別所温泉:1986年8月)

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 別所線と言えば「丸窓」ですが、この「川造」コンビは「丸窓」と同じ1927年生まれでした。「丸窓」は丸窓がチャームポイントですが、「川造」は赤い帽子がチャームポイントです。

 

4.クハ271+モハ5271(寺下~神畑:1986年8月)

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「川造」の編成美です。この電車は長電時代のエンジ色よりもシックな上田ブルーの方が似合っているように思います。

 

5.モハ5271+クハ271 (上田:1986年8月)

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上田駅でようやく「川造」の形式写真が落ち着いて撮れました。

モハ5271は元長野電鉄のモハ612です。長野電鉄発注の「川造」タイプで、この頃はまだ各地に同型車が健在でした。1927年製なので「丸窓」と同年代の車両ですが、こちらは全鋼製車です。モハ5271は長野時代に事故に遭い、パンタ寄りの前面窓がHゴム化されています。

 

6.クハ271+モハ5271(上田:1986年8月)

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 クハ271は元長野電鉄のモハ604です。上田交通移籍時に両運のままクハ化されました。もともとモハ5271と長野時代は同じ形式車両だったので、車体形態は全く同じです。

 

第394話 1988年新潟臨海(東新潟港):その先の臨港線(その2)

国鉄の貨物合理化以降、国内の臨港線は相当整理されたと思いますが、1988年当時は新潟市内の臨港線がまだ辛うじて存続していました。

 この東新潟港線の東新潟港駅の先には、昭和シェル石油の製油所、臨港海陸運送の倉庫などがありました。その他にも、かつては農林水産省の倉庫などもあり、それぞれに引き込み線が敷設されていました。

 

1.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 当時臨港線として機能していたのは、臨港海陸運送の倉庫街に入り込んだ引き込み線だったと思われます。今となっては懐かしい元国鉄DD13初期車の様な機関車が茶色のワムを連れて倉庫街から出てきました。

 

2.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 このDD13モドキの機関車は本物の元国鉄DD13です。前照灯が1灯の初期車ですが、塗装は新潟臨海鉄道の標準であるオレンジとグレーに黄色のライン入りなので、一見オリジナルの私有機のように見えます。特に改造もされずにそのまま使用されていましたが、形式はDD55形と称していました。新潟臨海鉄道では自重が形式となるようで、この機関車は55t機でした。

 

3.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 この引き込み線は倉庫に挟まれ、後方には新潟西港のクレーンも望まれていかにも臨港線といったロケーションです。ひと昔前までは、こんな光景は各地で見ることができましたが、最近はどこへ行けばこの様な光景を見ることができるのかわからない程激減してしまいました。

 

4.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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ところで、東新潟港線にはこのDD55形が2両配属されていました。

 DD55形(注1)は2両とも1981年に国鉄から譲渡されたものですが、1989年~1996年までJR貨物に転籍となり、1996年から新潟臨海鉄道に再び復帰となりますが、そのまま廃車となりました。しかし、車籍は二転三転しましたが、2両とも東新潟港線を離れることはありませんでした。

 

5.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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(注1)DD55形の車歴

・新潟臨海DD551←国鉄DD1361:1960年日本車輌

・新潟臨海DD552←国鉄DD1371:1959年汽車会社製

 

6.東新潟港貨物駅構内 (東新潟港:1988年9月)

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 最後は東新潟港貨物駅構内の様子ですが、ド派手な気動車が停車していました。

これは新潟鐵工所で落成したばかりの、山形鉄道向けNDCの甲種回送です。この頃、新潟鐵工所の車両工場は東新潟港貨物駅に隣接した場所にあり、甲種回送は新潟臨海鉄道の機関車が直接、新潟鐵工所の工場内に引き取りに出向いていました。

JRの新製気動車などは、上越線の長岡あたりで公式試運転を行うので新潟鐵工所から自力走行で東新潟港線を走行していました。

さて、東新潟港線は現在も辛うじて一部区間が存在していますが、新潟臨海鉄道自体は2002年に会社が解散してしまい現存しません。このあたりの経緯は別途、新潟臨海鉄道新潟東港線の報告時に話題に挙げさせて頂きます。

 

第393話 1988年新潟臨海(東新潟港):その先の臨港線

私は仕事の関係で新潟に出張する機会がよくありました。1988年当時、会社の工場が新潟市内にあり、そのすぐ脇をJRの貨物線だった東新潟港線が通っており、その先の臨港線が非常に気になっていました。

今回は、東新潟港線の話題ですが、タイトルの新潟臨海鉄道とは少々ややこしい関係がありますので、先ずは実態を説明します。

 

1.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 新潟臨海鉄道は、新潟東港の開設と同時期にJR白新線黒山駅から新潟東港の太郎代(たろうだい)貨物駅までを結ぶ貨物鉄道として1969年に設立された会社ですが、新潟市内に存在する国鉄時代に開業した臨港線の貨物輸送も1981年から請け負っていました。その関係で一時期、東新潟港線の貨物を新潟臨海鉄道の所有機が牽引していたので、東新潟港線を新潟臨海鉄道と勘違いされた人が結構いた様です。そして、さらに混乱を招いたのが東新潟港線という名称です。新潟臨海鉄道の路線があるのは新潟東港ですが、東新潟港線があるのは新潟西港です。これはどういうことかと言うと、元々新潟には新潟港しかなく、東新潟港線は、新潟港の東に位置していたので、上沼垂~沼垂間の新潟港線と区別するため東新潟港線と命名されましたが、後から出来た新潟東港の建前、元々の新潟港が新潟西港となりました。しかし、その後も路線名はそのままだったことが混乱の原因です。

それにしても、新潟西港に行く路線が東新潟港線とは、やはり変です。

ちなみに、新潟港線は沼垂(ぬったり)線と称し、その中核である沼垂貨物駅はかつての新潟駅でしたが、この路線はすでに廃止になっています。

 

2.新潟市内地形図(引用:国土地理院1/50000地形図「新潟」平成9年発行) 

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 長々説明しましたが、手っ取り早く言うと、上図をご覧ください。地図の中央から真上の新潟西港へ延びる「貨物線」が、JR東新潟港線で、この貨物線で走っていた機関車が新潟臨海鉄道の所有車両だったと言うことです。そして、この路線はJRの路線であり、本来の新潟臨海鉄道の路線は別(新潟東港)にありました。

本来の新潟臨海鉄道の路線の状況は別途報告します。今回は、JR東新潟港線で活躍する新潟臨海鉄道の機関車の話題です。

 

3.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 さて、ようやく本題に入りますが、この東新潟港線は歴史が古く、遡れば大正13年に開業した新潟臨港という会社が運営する貨物専用の地方鉄道でした。その後1941年に国有化されましたが、2002年頃には東新潟港駅の使用をやめたようで、現在途中駅の焼島貨物駅までの路線となっています。そして、現在は新潟臨海鉄道という会社は存在せず、貨物輸送はJRが行っています。かつては、地図にも記されている通り、焼島から先の東新潟港貨物駅まで路線があり、多くの引き込み線がありました。現在は焼島にある北越製紙の輸送のみとなってしまいましたが、1988年当時は東新潟港にあった新潟鐵工所鉄道車両甲種輸送なども行っていました。

 

4.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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 そして、私が気になっていたのが、東新潟港貨物駅の先に延びる引き込み線の行方でした。ちょうど新潟出張中の休日に、いつもの新潟交通には行かずに臨港線の散策に出向きました。

 

5.DD552の貨物操車 (臨港町付近:1988年9月)

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この日は休日でしたが、運よく貨物の入換を撮影することが出来ました。

この場所は、東新潟港線の終端に近い新潟西港です。国土地理院の地図は臨港線が大雑把なので、当時のこの付近の路線と撮影エリアの概略図を下記に示します。

 

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今回の撮影場所は意外にも、いつも会社の工場に出向く時に乗る、臨港二丁目行バスの終点でした。図の東新潟港貨物駅の部分はヤードになっており、ここに機関車の車庫がありました。

現在この辺りは、信濃川を横断する海底トンネルの出入り口となっており、この当時の面影はありません。

第392話 1988年関東(常総):いやな予感!(その4)

水海道機関区での車両撮影を終えて、こんどは水海道より北側で走行撮影を行うことにしました。

水海道から下館間はいきなり単線のローカル線となり、列車本数も半減します。

 

1.キハ004+キハ003 (北水海道~中妻:1988年1月)

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 常総線の沿線は水海道より取手方面は丘陵地帯ですが、下館方面は平坦な田園地帯です。駅周辺を外れると障害物も少なく、東側には筑波山も望めます。線路沿いには通信ケーブルの電線柱もなく、非常にスッキリしています。こんな風景なら旧型車がぴったりですが、やって来たのは幻滅のキハ0形でした。

 

2.キハ805+キハ701 (北水海道~中妻:1988年1月)

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 この頃は、水海道以北も今ほど乗客が少なかったわけではなく、結構2連が運行されていました。この区間には通勤型よりも、このキハ800形やキハ500形がちょうど良い様に思えましたが、いずれは元国鉄キハ35系ばかりになってしまうのかも・・・。

 

3.キハ316+キハ315 (北水海道~中妻:1988年1月)

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 常総線もこのあたりまで来ると、筑波鉄道と変わらない風景が展開していましたが、本当は景色の良い撮影ポイントがもっと下館寄りにありました。しかし、そっちの方は列車本数が少なく、そしてそこまで行くには時間もお金もかかるので、まあこの辺りの撮影が無難です。

 

4.キハ813+キハ721 (中妻~北水海道:1988年1月)

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 キハ813+キハ721の凸凹コンビがやってきました。少し曇ってきたので、逆光を気にせずキハ813の顔が写せました。

 

5.キハ813+キハ721 (中妻~北水海道:1988年1月)

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 キハ813は北海道の雄別鉄道からやって来た道産子気動車です。常総線においては移籍車両で唯一オリジナルの外観を維持していた車両です。雄別時代には常総線のような強烈なラッシュはなく、こんな感じで平坦な釧路湿原をのんびり走っていたのでしょうか。雄別時代の仲間の気動車は全て筑波鉄道に在籍しましたが、筑波亡き後はこの車両だけになってしまいました。

 

6..キハ721+キ813 (北水海道~中妻:1988年1月)

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キハ721は富山の加越能鉄道加越線からやって来ました。元々両運車でしたが、関東流通勤車化の洗礼を浴びて片運化されました。もともと3扉車ですが、中央扉を両引き化したこだわりようです。中央扉の戸袋窓は左右で大きさが異なりますが、大きい方の窓は片引き扉時代のものをそのまま流用しています。これは改造上の手抜きのように見えますが、実はこの窓の扉側に車内に排気管が立ち上がっており、それを位置変更できなかったものと思われます。よって、中央扉は車両中心から少し偏心しています。

 さて、いやな予感は的中してしまいました。常総線は元国鉄キハ35系の導入に伴い、この年から雑多な旧型気動車の淘汰が始まりました。本来なら平日のラッシュ時に、旧型車を追って最後の活躍を記録に留めたいところでしたが、残念なことに社会人になった私には、なかなか余裕がなく、せいぜい休みの日に車庫に押し込まれた車両を見にいくことが精一杯でした。それでも減って行く旧型車を最後まで追い続けました。

第391話 1988年関東(常総):いやな予感!(その3)

常総線への元国鉄キハ35系導入は衝撃的でした。これらの車両導入の影響がどこまで波及するかが問題でした。

恐らく、老朽化が懸念される元国鉄機械式気動車の成れの果てと、不経済なダブルエンジン車は真っ先に淘汰されるでしょう。

 

1.キハ802 (水海道:1988年1月)

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そして、気掛かりだったのが関東鉄道オリジナルの車両達です。

優雅な時代を象徴するキハ800形ですが、通勤路線となった常総線にはもう時代遅れです。

 

2.キハ803 (水海道:1988年1月)

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関東流通勤車化の洗礼を浴びなかったキハ800形は、ラッシュ時のお荷物になりつつありましたが、いまさら3扉化されるはずもなく、そうなると先行きが危ぶまれます。

 

3.キハ804 (水海道:1988年1月)

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 しかし、この日のキハ800形は3連増結用に大活躍でした。通勤用には難ありかも知れませんが、両運なので波動輸送用の増結にはちょうど手頃な車両だったようです。

 

4.キハ502 (水海道:1988年1月)

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 そして、キハ500形も同様です。こちらは18m車でキハ800形よりも小型なので、さらに肩身が狭い車両でした。

筑波鉄道が廃止になり、筑波にいた同型のキハ503~505は結局常総線には転じず、あっけなく廃車解体されました。その流れからすると、キハ501,502も先はありません。

 

5.キハ721+キハ813 (水海道:1988年1月)

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 先行きが微妙なのが、キハ721+キハ813のコンビです。

共にまだ新しく、キハ721は1964年製、キハ813は1969年製です。しかし、キハ813は北海道仕様のステップ付き2扉車なので、ラッシュ時のネックです。

 

6.キハ008+キハ007 (水海道:1988年1月)

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 キハ0形は残るでしょう!!しかし、足回りはキハ30,35形よりも先輩格のキハ20形の臓物流用です。

 

7.キハ754 (水海道:1988年1月)

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車庫の外れにこんな車両がいました。何かの広告車なのか塗りたてで大変きれいですが、ちょっと変です。

車両の後ろ半分は塗装が違います。そして、この車両の反対側面は全く違う青色。何だこれはと思ったら、実は新しい車体塗装の試験塗装でした。元国鉄キハ30,35形導入にあたり、車体塗装を一新するために、キハ754が塗装試験車に提供されていました。

ところで、この車両はこの塗装で走るのかと思いましたが、残念なことにこのまま廃車となりました。

さて、タラコ色の車両達はどんな塗装になるのか?既存車も新塗装になるのか?まさか茨城交通・・・・の二の舞にはならないだろうか?

とにかく不安でいっぱいでした。

第390話 1988年関東(常総):いやな予感!(その2)

小絹からぶらぶら撮影しながら水海道まで歩いてきました。

今回は元旦恒例の水海道機関区訪問です。が、その前に目に飛び込んできたのは、多量のタラコ色の車両でした。いやな予感!が・・・・。

 

1.元国鉄キハ35190、キハ612他 (水海道:1988年1月)

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 いやーぁ参りました。タラコ色の正体は元国鉄キハ35系です。

国鉄はJRとなり、余剰となったキハ35系清算事業団に払い下げましたが、その車両が水海道に集結です。もしや、解体作業を関東鉄道が請け負ったのかと思いましたが、キハ35系は写真のキハ612よりも30年も若い車両なので、どう考えてもキハ612を差し置いて解体されるわけがありません。

 

2.元国鉄キハ35190他 (水海道:1988年1月)

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 ・・・と、言うことは、これらの元国鉄キハ35系常総線に・・・・。

冗談じゃありません。正月早々大変なことになってしまいました。

 

3.元国鉄キハ357他 (水海道:1988年1月)

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 えっ!亀山ー奈良!!。この車両ははるばる関西本線からやって来たようです。

常総線では、先に筑波鉄道からキハ301を譲受しましたが、この同型車が一挙に増えることになりました。

 

4.キハ612他 (水海道:1988年1月)

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 さあ大変です。こうなるとこのキハ612など、もういつ廃車解体されてもおかしくありません。

まずは、気を取り直してキハ612の撮影です。

 

5.キハ612サイド (水海道:1988年1月)

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 ちょうど良い場所だったので、側面のディテールを・・・。

この車両は言うまでもなく、元は優美な流線形でした。ドアの左側が流線形だった部分ですが、ちょうど立樋のあたりで切妻の前頭部を切り継いだもので、屋根に切り継ぎの痕跡が伺えます。この立樋の左が1974年製で右が1936年製です。

前頭部はさておき、ウインドヘッダーに残るリベットやこの窓配置、そして華奢な菱枠台車はまぎれもなく元国鉄キハ42000形です。国鉄時代に後輩のトルコン車に追いやられて常総線に流れ着いた車両ですが、今度も再び国鉄時代の後輩に常総線を追いやられることになりました。

 

6.キハ612サイド (水海道:1988年1月)

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 容赦ない関東流通勤車化の洗礼を浴びたキハ610形ですが、この中央扉の部分は元は片引き扉でした。少しでも乗降時間を短縮するため、あえて両引き扉に改造されましたが、中央扉のみ両引き扉の発想は、その後の新車(両運ワンマンカー)にも一部引き継がれています。ところで、一見今風の両引き扉ですが、ヘッダーがしっかり付いており、新しいのか、古いのか、よくわからない体裁をしていました。

 

7.キハ612サイド (水海道:1988年1月)

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 わざわざ流線形を切妻に変更したのも関東流通勤車化の洗礼によるものです。これでどの程度定員が増加したのか?そのくらい通勤車が欲しかったわけです。ドアの右側の車端部は流線形を切妻にした部分です。こちら側の屋根も接合部が不自然ですが、車体中央寄りの屋根は少しへたっていました。車端の側窓上下にも律儀にヘッダーとシルが施されています。さすがにこの部分の外板は溶接構造なのでリベットはありません。もともとドアはステップ付きでしたが、通勤車化改造でステップレスとなりました。しかし、扉は下部をカットして再利用されたので、中途半端なプレスの跡が残っています。