ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第510話 番外編:NDC考察(その11)

NDCは、ローカル線向けに開発された安価な気動車ですが、転じて一般型気動車にもその発想が展開されました。ある意味では当然のことですが、その代表例が関東鉄道常総線に1993年から導入されたキハ2100形でした。

当ブログでは、関東鉄道常総線の古い車両をことごとく皮肉っておりますが、直近の第453話の頃でも、まだまだ旧態然とした雑多車両が大活躍していた頃で、とてもこんな新車が投入されるとは夢にも思っていませんでした。

キハ2100形はNDCではありませんが、NDCの変遷のなかで波及した系列として今回話題にあげます。

 

1.関東鉄道キハ2100

f:id:kk-kiyo:20200429105926j:plain

 ところで、キハ2100形は通勤路線である常総線向けに新規設計された気動車です。ローカル線用などと言ったら怒られてしまいます。当時このクラスの通勤形気動車車両をJRで例えると、JR東日本キハ38形あたりに相当しますが、キハ38形も所詮ローカル線用であり、ちょっと設計コンセプトが異なるようです。

関東鉄道は、今後の増備を踏まえて、久々に導入した本物の新車なので相当気合が入っていましたが、やはり「長いものには巻かれろ」と申しますか、新潟鐵工主導の設計だったので、各所にNDCが露見されます。

 

2.関東鉄道キハ2100形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429140537j:plain

 

キハ2100形の顔は、モロNDCです。久々の新車なのにがっかりですが、この顔はライトの位置が変わりましたが、いまだに常総線の新車に踏襲され続けており、いつしかNDCの顔から関東鉄道の顔になったようです。

 

3.関東鉄道キハ2100形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429140608j:plain

車体は常総線の標準である20m3ドア車です。年代的にはそろそろSUS車両が増えてきた頃ですが手堅く鋼製です。そして注目は床面高さです。当時のNDCは一部を除いてほとんどが1240㎜でしたが、 キハ2100形は1140㎜でフラットなノンステップとなりました。床面が100㎜も低くなり、ホームとの段差も減り、一応都会の電車に近づきました。

 

4.一般NDCとの台枠高さの比較

f:id:kk-kiyo:20200501160917j:plain

御覧のように、左側の関東鉄道の車両は、右側の一般NDCに比べて台枠の低いことが一目瞭然です。 

 

5.関東鉄道キハ2100形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429140646j:plain

車内は、それまでの新車と言われた0形が、私鉄版103系と言われた内装でしたが、  キハ2100形は床面フラットでさらに電車に近づき、当時の205系並となり、まずは、取手から出ている汚れたディーゼルカーのイメージを払拭出来たと思われ、ようやく常磐線の電車とバランスが取れました。

 

6.関東鉄道キハ2100形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429140715j:plain

f:id:kk-kiyo:20200429140736j:plain

キハ2100は性能的にもNDCを踏襲しています。エンジン出力は330PS、台車はボルスタレスのNP128です。車両長20mで自重31.5tなので鋼製車としてはまずまずの軽量車です。同クラスのJR東日本のキハ110系はエンジン出力が420PSなので、性能的にやや劣る感じですが、常総線は比較的平坦路線なので問題ないようです。

 

7.関東鉄道キハ2000形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429142227j:plain

キハ2100形に続き、両運車のキハ2000形が登場しましたが、これは常総線向けではなく、関東鉄道ガラパゴス的存在である竜ケ崎線用に新製された車両でした。一見、キハ2100形を単純に両運転台化しただけの車両に見えますが、良く見ると変な車両です。運転席が同じ側に配置されて、乗務員室扉が運転席の反対側にしかありません。この変則的な設計もガラパゴスの進化に合わせたもので、わずか2両ですが他には展開されることはない、竜ケ崎線オンリーのバージョンです。 

 

8.関東鉄道キハ2200形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429144218j:plain

f:id:kk-kiyo:20200429144250j:plain

そして、常総線用の両運車であるキハ2200形は、キハ2100形に遅れること4年目の1997年に登場します。この車両は水海道以北の閑散区間用に導入された車両で、ワンマン運転のため、料金の授受を考慮して、運転室後部の側扉を片引きとし、運転席に寄せた配置となりました。なんだか、それまでの旧態然とした気動車が受けた関東流の通勤車化洗礼を自ら浴びたような形態ですが、これが3ドア両運ワンマンカーの基本となり、以降の車両にも展開されました。

その後、関東鉄道ではキハ2100形、2200形の後継車へと移行して現在に至ります。

第509話 番外編:NDC考察(その10)

今回は、当ブログの本題である「ローカル線の回顧録」にも関わりが深い、民営鉄道に導入されたNDCについておさらいです。

 NDCの拡販は、元々が「落穂拾い」でしたが、新規開業の第三セクター化路線も先が見え、なかなか厳しい状況で更なる「落穂拾い」が続きました。そんな中、既存のローカル私鉄から声が掛かりました。

 

1.鹿島鉄道KR-500形

f:id:kk-kiyo:20200429100618j:plain

初の民鉄向けNDCとなったのは、鹿島鉄道のKR-500形でした。当時の鹿島鉄道は、当ブログでもご紹介している通りの、元国鉄機械式気動車の成れの果てや湘南顔の気動車天国でした。近い将来、車両の置き換えが必要になるとは思っていましたが、おそらく旧国鉄の中古気動車だろうと、期待もしていませんでした。ところがバブル期に石岡近辺の宅地開発が後押しとなり、区間運転大増発用にNDCが採用されました。このNDCは、16m級の非貫通タイプですが、前面形状が従来の角ばった平面構成からパノラミックウインドを使ったソフトなR構成に変更され、ドアもバス用を嫌って片引き戸となりました。最初の導入は1989年に2両で、石岡~玉里間の区間運転専属になっていましたが、その後道産子気動車の置き換え用に同型車が増備されて4両となりました。一応在来車との併結運転も可能でしたが、専ら単行のワンマン運転に充当され、私は営業車で併結運転を見たことがありません。なお、この外観デザインは、他路線のNDCには普及せず、鹿島鉄道オリジナルとなりましたが、その鹿島鉄道も廃止となりKR-500形も運命を共にしました。

 

2.島原鉄道キハ2500形

f:id:kk-kiyo:20200429105744j:plain

民鉄向けNDCの第2弾は、鹿島鉄道向けNDCから少し間が空きましたが、島原鉄道にまとまった両数が導入されました。

江若鉄道亡き後、「西の非電化私鉄の雄」となった島原鉄道ですが、島原鉄道と言えば、かつては国鉄に乗り入れて博多や長崎方面に直通する国鉄気動車を自前調達し保有していました。その後は旧型車の置き換えとして、元国鉄のキハ17形やキハ20形の中古車を導入して、国鉄島原線と化していましたが、それも老朽化が進み新車の導入となりました。しかし、島原鉄道は、近隣で増殖する第三セクター向けの16m級NDCではなく、JR九州キハ125形と同型の18m級NDCを選択しました。どうも所帯の大きいJR九州と互換性のある車両の方が無難との堅実なお考えだった様で、島原版キハ125形は、キハ2500形と名乗り、1994年~2000年までの間に15両(最終増備の2両はキハ2250形)も製造されました。 

 

3.水島臨海鉄道MRT-300形

f:id:kk-kiyo:20200429105538j:plain

 NDCは水島臨海鉄道にも導入されました。それまでの水島臨海鉄道は、元国鉄のキハ20形オンリーで長年中古車ばかりの新車に全く縁のない鉄道でした。しかし、地元の議員さんに車両が汚いと言われ、奮起して1995年導入されたのが、21m級超大型NDCのMRT-300形でした。写真を見ても分かるようにデカイです。そもそもNDCはローカル線用に開発された車両で、当初は15m級を標準車として当て込んでいましたが、こんなデカイのが導入されるとは想定外でした。大きさだけ見ると、ダブルエンジンで艤装が20mに収まらなかった国鉄キハ52形と同じサイズです。

MRT-300形は、車体も大柄でエンジンも330PS、台車はボルスタレスタイプのNP129となり、1998年までに6編成導入されましたが、その後は元国鉄キハ20形が冷房化されてはびこり、最近ようやく淘汰されましたが、その代わりの車両はあろうことか、元JR久留里線でお払い箱となった、キハ30形、キハ37形キハ38形!!

ちなみに、水島臨海鉄道第三セクターですが、新規開業ではなく老舗です。コンビナートの貨物輸送に支えられて、いまやローカル線ではありません。路線は高架化が進み、そのうち電化でもされてしまいそうです。

 

4.茨城交通キハ3710形

f:id:kk-kiyo:20200429105622j:plain

茨城交通湊線にも1995年に、いよいよケハ601以来のまともな新車が35年ぶりに投入されました。車両形式は湊線をもじって、キハ3710形。ようやくアメリカン塗装も馴染む車両となりましたが、この車両はJR九州向けのNDCであるキハ125形に続いて製造されたような車両で、キハ125形の色違いと言った感じの車両です。まあ、安くするためには「長いものには巻かれろ」です。 このタイプの気動車が2両導入されましたが、茨城交通は経営難から湊線を分離独立させて、ひたちなか海浜鉄道となります。ひたちなか海浜鉄道になってから、もう1両同型車が新潟トランシスで製造されました。しかしその後は新車に投資ができず、中古車に頼る現在ですが、中古車もNDCのたらい回しとなる時代になり、昨今では元JR東海キハ11形が2両移籍しています。

 

5.津軽鉄道 津軽21形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429111712j:plain

 

1996年には、青森の津軽鉄道にもNDCである津軽21形が2両導入されました。

ちょうど開業66年を記念しての新車です。寒冷地仕様のNDCは秋田内陸縦貫鉄道のAN-8800形で標準化が図られましたが、すでに8年が経過し、津軽21形ではAN-8800形をベースとし、当時のNDC標準仕様にバージョンアップとなりました。その結果、外観は側窓が固定化され、エンジンは330PS、台車はNP126となり、暖房も強化されました。

 

6.津軽鉄道 津軽21形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429111804j:plain


津軽21形はその後も増備されて5両の陣容となり現在に至りますが、この車両が下北交通大畑線や弘南鉄道黒石線に展開されないかという淡い期待がありました。しかし現実は厳しく、両線とも新車投入どころか廃止されてしまい、叶わぬ夢となりました。

純粋な民営鉄道へのNDC導入はこれが全てです。気が付けば、第三セクターを除くと非電化私鉄もずいぶん減りました。第三セクター以上に民営鉄道は存続が厳しく、NDCを導入した鹿島鉄道は廃止となり、茨城交通湊線は第三セクター化されました。残された非電化私鉄も「風前の灯」です。 これからは、第3セクター同様に、より安価な次世代NDCが必要です。

第508話 番外編:NDC考察(その9)

北海道ではさんざんな結果となったNDCでしたが、本州以西の地域では結構受け入れられたようです。その成果が見えたのがJR各社のNDC導入です。しかしながら、かつて国鉄時代の制式に対するこだわりもJRにはなくなってしまったようで、民営化されて考え方が刷新されたのでしょうか?とも思われましたが、民営化されたJR各社には、ローカル線向け車両を新規開発する投資など、するつもりがなかったと言うのが本音のようで、手っ取り早く既製品に手を出した感じです。

一番最初にNDC?を導入したのはJR四国のキハ32形でした。しかしこれは、JR四国の意に反し?国鉄末期の三島対策のおまけで投入された、いつまでモツか分からない中古品再生の新車モドキでしたが、いまだに健在です。続くJR北海道のキハ130形は、言わずもがなの結果でした。そして、3例目となったのはJR東海キハ11形です。

 

1.JR東海キハ11形カタログ抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429092545j:plain

 キハ11形は秋田内陸縦貫鉄道NT-8800形を少し短く17.5mとし、側窓を1段下降としたタイプですが、電化区間にも乗り入れるため高加速性能が必要となり、エンジンは輸入品のカミンズ製330PSであるC-DMF14HZAが採用されました。

この頃から一般気動車にも高出力のエンジンが搭載されるようになり、エンジンメーカーも海外や国内では建設機械メーカーの小松製作所鉄道車両用エンジンに参入して、エンジンメーカーの熾烈な戦いが始まります。素人的にエンジンを見ると、新潟は船のエンジン、小松はブルドーザーのエンジン、カミンズはよくわかりませんが、使い捨てエンジンと言ったところでしょうか。

 

2.JR東海キハ11形カタログ抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429093855j:plain

 キハ11形はJR東海保有するキハ20系、35系などの置き換え用に1988年から導入されました。最初の0番台10両は新潟鐵工製で、続く100番台23両は新潟鐵工とJR東海によるノックダウンとなり、200番台は、1993年に第三セクターで開業した東海交通事業向けに4両が製造されました。そして、これで打ち止めと思っていたら、1999年にマイナーチェンジしたSUS製の300番台が6両新潟鐵工で製造され、総勢43両となりました。しかし、その後、JR東海日本車輌を傘下として、自社の車両を全て日本車輌で製造するようになり、以降の新車からNDCの導入はストップし、現在は新潟鐵工を継承した新潟トランシスも立ち入れない状況です。

ところで、現在キハ11形は初期車がJR東海での役目を終えて、ミャンマーに譲渡されましたが、その後の話題では、ひたちなか海浜鉄道にも譲渡されて、新車のごとく活躍しています。

 

そして、JR東海に続きJR西日本もローカル線にNDCを導入しました。こちらは、九州向けのNDCでよく見かけた、スタンダードの16m級貫通タイプが採用されましたが、投入範囲が広く、1992年~1996年の間に89両も製造され、2次車からSUS製となりました。

 

3.JR西日本キハ120形

f:id:kk-kiyo:20200428223458j:plain

 キハ120形はJR西日本の多くの非電化路線に投入されたため、その路線に応じて座席配置やカラーリングが採用されました。ちなみに、このカラーリングは木次線用です。

 

4.JR西日本キハ120形(関西本線向け)カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429094834j:plain

キハ120形の1次車(200番台)は、鋼製車体で8両製造され、福井の越美北線と米子に配置されました。この8両は松浦鉄道などの九州の第三セクターに導入された16m級貫通タイプのNDCそっくりでしたが、エンジンがコマツ製250PSのDMF11HZタイプを搭載し、 車輪径がJR規格のΦ860となったため、台車はNP120をアレンジしたWDT53になりました。

 

5.JR西日本キハ120形(関西本線向け)カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429094901j:plain

そして、2次車(0番台)はSUS構体となり、側窓が1枚固定化、ロングシート化され、1993年に22両が製造されました。また、2次車から、車体幅が100㎜拡張されて 2800㎜となり、エンジンもコマツ製の330PSに出力アップされ、米子、関西本線亀山、新山口に配置されました。

 

6.JR西日本キハ120形(美祢線向け)カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429094935j:plain

2次車は評判が良かったのか?続く3次車(300番台)は、セミクロスシートに戻った他は2次車と同仕様で、1994年~1996年の間に59両が製造されました。 やはり第三セクターの落穂拾いとは違い、JRは当たりが出るとメーカーには嬉しいまとまった受注となります。

 

7.JR西日本キハ120形(高山本線向け)カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429094616j:plain

 この3次車は、関西本線用の増備車と、山陰本線浜田、広島、岡山、富山にも配置されてJR西日本のローカル線の顔となりました。そして、第三セクターの初期のNDCが引退して行くなかで、現在もまだまだ元気です。しかし、この車両が走れなくなったら、その時は路線も廃止?との裏話もチラホラ!!そうならない様に、安価な次世代NDCが望まれます。

 

8.JR西日本キハ120形(高山本線向け)カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429094759j:plain

  また、JR九州も1993年にキハ125形として25両導入しました。ところが、キハ125形は、九州の第三セクター路線で主流となった16m級のNDCではなく、18m級貫通タイプのNDCを採用しました。

JR各社でNDCを導入しなかったのは、JR東日本だけでしたが、JR東日本では1990年から古い気動車の置き換え用にキハ100,110系の量産化が始まり、この系列の気動車JR東日本が開発した高出力で軽量な軽快気動車でした。1999年までに富士重工と新潟鐵工で279両も製造され、NDCの入り込める余地がなかったと言うことです。

 ところで、時代は人件費の高騰で、いずこも省力化=メンテナンスフリーが歓迎される世の中になっていました。メンテナンスフリーはメーカーにとっては、部品販売などに打撃を与えることになります。そこでノーメンテ、使い捨てとした代償に、ライフサイクルを短縮することで、ユーザーもメーカーもwin-winとなる考え方がはやりました。この考え方は、まさしくカミンズのエンジンで、輸入品にもかかわらず勢力を拡大しました。何度も繰り返し整備して長持ちさせる考えはもう古い!!この考え方には、当時の国内製造メーカーの大半に衝撃が走ったものと思われます。
当時はこれに限らず、世の中の動向はみな同じ方向でした。代表的なものにJR東日本の209系電車もそうでした。「使い捨ては、もったいない」と言う、日本人の「わびさび」的な感情を逆なでしたような車両でした。
しかし、「ライフサイクルの短縮」は必ずしもそうではありませんでした。意外と「ものもち」が良すぎて、10年経ったものの「捨てるのがもったいない」と言う大半の結果です。これにはメーカーもブーイング!! 結局、京浜東北線の209系電車などは、世間体、お約束通り退きましたが、どっこい、いまだに都心から離れた場所で隠れて?走っているようです。

第507話 番外編:NDC考察(その8)

さて、NDCのアレンジバージョンで行き着いたのが優等列車用でした。

そもそもローカル線なのになぜ優等列車が必要なのか?仮にJRが路線の運行を引き継いでいたとして、優等列車など走らせたのだろうか?しかしそこには、第三セクターを立ち上げた地元の熱意がありました。

 

1.秋田内陸縦貫鉄道NT-8900形

f:id:kk-kiyo:20210110061658j:plain

 赤字転換路線と言えども、路線長が100kmにも及ぶ長大路線が存在しました。地域活性化や観光化の促進のためにも優等列車が望まれました。そして、人を寄せるためにはいつもの安っぽいNDCではいけません。しかし、お金はかけられません。そんな思いが込められて登場したのが、優等列車用NDCでした。その代表となったのが秋田内陸縦貫鉄道の急行用兼イベント用のNT-8900形でした。

 

2.秋田内陸縦貫鉄道NT-8900形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425142258j:plain

 この車両は、NDCの優等列車バージョンとしては2例目となります。前例は会津鉄道AT-200形(第503話参照)ですが、ずいぶん変身しました。

いきなり大型曲面ガラスの流線形となり、側窓も高さが1mを越える大型固定窓。外観はNDCとは思えないゴージャスぽい雰囲気が漂っていますが、中身も!!

 

3.秋田内陸縦貫鉄道NT-8900形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425142334j:plain

この車両のコンセプトが、上記の車両カタログに書かれています。それによると、誰が調べたのか、この外観は、「特にヤングレディに人気がある」ようですが、どこのヤングレディなのか?。恐らく鷹ノ巣あたりのヤングレディだと思いますが・・・そして車販コーナー、コーヒーウォーマー、自販機、ビデオ、カラオケデッキ付きの重装備車両です。吉幾三の歌の通り、沿線にはカラオケボックスなどないようですが、この列車に乗ればカラオケボックスがあるのと同然、空調やトイレもあり、コーヒーも飲めておつまみも買えます。ヤングレディ(鷹ノ巣?の)に人気があるとはこのことか!?

 

4.秋田内陸縦貫鉄道NT-8900形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425142407j:plain

f:id:kk-kiyo:20200425142438j:plain

 外観だけなら「ドリフの舞台セット」と言われそうですが、内装も限られた予算のなかで精一杯頑張った様です。カタログには車内の写真が掲載されていますが、車体の中央に鎮座したのは囲炉裏ではなく、ソファーもどきに囲まれたサロンコーナーでした。バブル期にはやっていたハイデッカーのサロンバスのパクリとでも言いましょうか、新宿5丁目あたりの場末のスナックを想像させます。私など転換クロスシートに挟まれた空間は、恐縮してくつろげそうにありません。混んできたら最後に埋まるスペースの様に思いますが、実際はどうなのでしょうか。

 

5.秋田内陸縦貫鉄道NT-8900形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425142501j:plain

 この車両は、秋田内陸縦貫鉄道の南線、北線が全通した1989年に導入されました。

上図の片運2連が基本編成です。これが2本と、これに検査予備用のサロンコーナーがない貫通型両運車(前面はNT-8800で側面はNT-8900同様)が1両加わり、総勢5両の優等列車の陣容でした。

そして、このタイプの車両が高千穂鉄道にも出現し、続いて、バージョンは異なりますが、南阿蘇鉄道にはこの流線形を採用した両運車が、イベント車として登場します。

 

6.秋田内陸縦貫鉄道NT-8900形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425142542j:plain

 

7.秋田内陸縦貫鉄道NT-8900形

f:id:kk-kiyo:20210110064430j:plain

NT-8900形は製造時期が1989年であったことから、それまで採用されて来たNDCの総決算的な車両です。所詮NDCなので、要所に垢抜けない安っぽさが漂う、これもバブル期の副産物でした。しかし、国鉄が見切りを付けた赤字ローカル線にこの様なインパクトのある車両を導入された関係者の熱意には頭が下がります。時代が変わり、ローカル線には厳しい現況ではありますが、この路線の末永い存続と、再びインパクトのある次期車両を期待します。

第506話 番外編:NDC考察(その7)

NDCの標準タイプが出そろうと、次はアレンジバージョンが現れました。それがJR北海道向けに初の酷寒地用NDCとなったキハ130形です。

 キハ130形は日高本線に11両が導入されました。アイボリーに緑と水色のラインがいかにも軽快そうで、とても酷寒地の車両と思えません。

 

1.JR北海道キハ130-5

f:id:kk-kiyo:20200425155731j:plain

 JR北海道には、国鉄末期に三島対策として、酷寒地用の一般及び急行型のキハ54形が投入されましたが、ローカル線の実態はキハ22形、キハ40形100番台がほとんどで、特にローカル線向けに燃費の良い軽量車が欲しかったわけです。しかし、JRになってからはローカル列車にお金が掛けられないため、とうとうNDCに白羽の矢が立ちました。JRへのNDC投入は、国鉄末期の四国へ投入されたキハ32形というNDCモドキに続き2例目でしたが、今度は本当のNDCでしかも初の酷寒の地です。NDCの製造メーカーである新潟鐵工所と言えば、かつては酷寒地用気動車ディーゼル化やトルコン化を手掛けた、国鉄時代からの酷寒地の強い味方だったので、なんとかなるだろうと思われたのでしょうか。

 

2.JR北海道キハ130-5の車内

f:id:kk-kiyo:20200425155755j:plainしかし、出来上がった酷寒地用NDCのキハ130形は、見た感じいつものNDCと変わりません。北海道と言えば、デッキ付き、2重窓が当たり前?ですが、キハ130形は、デッキなし、窓は普通の2段サッシでした。やはり「安かろう悪かろう」なのか?まあ、過去の車両を思い起こせば、元国鉄のキハ21や雄別鉄道などにいた気動車などもデッキなしでしたし、時代も変わりキハ130形は直噴式エンジンなので始動もまずは問題なく、暖房さえ効いていれば大丈夫でしょう。と思ったのは私だけか?

 ところでキハ130形の車内は、設備こそNDCですが、室内色がなんとも地味な国鉄色でした。せっかくJRになったのに・・・。

 

3.JR北海道キハ130形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425155819j:plain

カタログを見ると、この車両は軽快気動車ではなく、軽気動車となっています。 

キハ130形のベースになったのは会津鉄道向けのNDCでした。車両長は16m級で酷寒地仕様に改良し、台車はNP120タイプの空気ばねですが車輪径がJR仕様のΦ860となり、まずはお試しの5両が1988年に導入されましたが・・・。

 

4.JR北海道キハ130形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425155858j:plain

 しかし、NDCにとって北海道は甘くありませんでした。致命的だったのは華奢な構体でした。2度の踏切事故に遭遇し、1度目は運転室が大破して運転士さんが大怪我を負いました。2度目は車両が丸々大破して廃車。これらは事故でしたが、それ以外にも環境に不適合を生じ老朽化が著しく、わずか14年で重量級の先輩であるキハ40系にバトンタッチして全廃の運命でした。結果的には「安かろう悪かろう」でした。このため、キハ130形はJR北海道の他線区には展開されませんでした。

 ところが、このキハ130形と同型車が北海道の赤字転換路線である池北高原鉄道に登場しました。

 

5.池北高原鉄道CR70,75形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425155934j:plain

 池北高原鉄道は、1989年に元国鉄池田線を第三セクター化した路線でした。石北本線の北見と釧路本線の池田を結ぶ路線長140kmの長大ローカル線でした。開業の時期的にJR北海道が導入したキハ130形を導入せざるを得なかったと言うか、選択の余地がなかったため、キハ130形と同型車をCR70,75形として、本家のJR北海道よりも多い12両を導入しました。

 

6.池北高原鉄道CR70,75形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200425160012j:plain

 こちらの路線は、海こそありませんが、日本一寒い地域で真冬には氷点下30度にもなる日があり、これまたNDCにとってはこの上ない過酷な路線でした。しかし、こちらのCR70,75形はあまり悪評が聞こえてきませんでした。きっと、「おらが町の鉄道」として大切に使用されたのでしょうか。

池北高原鉄道は、21世紀になると輸送需要の低下と長大路線がお荷物となり、2006年4月20日をもって廃止されました。廃止までの17年間は輸送需要の低迷で余剰となった2両のCR70形が廃車になった他は路線廃止まで健在でした。廃止後は6両が動態保存として残り現存しますが、はるか南国のミャンマーへ3両が譲渡されました。廃止後もまだまだ活躍できる余力を持っていた様ですが、JR北海道のキハ130形とは何が違っていたのか?池北高原鉄道のCR70,75形だけを見る限り、この酷寒地用NDCは「安かろう悪かろう」ではなく、日本一寒い地域でそれなりの任務を果たしたように思えます。

第505話 番外編:NDC考察(その6)

1987年時点でNDC一般車のラインナップはほぼ確立したと言えます。これから後は、いよいよNDCの量産となり、18m級NDCを採用した秋田内陸縦貫鉄道と16m級NDCを採用した松浦鉄道に続きます。

 

1.秋田内陸縦貫鉄道AN-8800形

f:id:kk-kiyo:20200428220255j:plain

秋田内陸縦貫鉄道は、1986年に元 国鉄阿仁合線と角館線を第三セクター化して開業した路線ですが、当初は国鉄からキハ22形を借用してスタートし、1988年に新製したNDC9両と置き替えました。

 

2.秋田内陸縦貫鉄道AN-8800形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200419160159j:plain

 秋田内陸鉄道は、雪深い山間部を通るため、このAN-8800形は、会津鉄道若桜鉄道のNDCをミックスした寒冷地仕様となり、形態的には若桜鉄道同系列の18m級となりました。

 

3.秋田内陸縦貫鉄道AN-8800形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200419160221j:plain

AN-8800形はまさに18m級NDCの決定版で、その後もこのタイプのNDCが増殖して行きます。形態的には平凡で面白味に欠けますが、このタイプの気動車が現在も新製されているとは、低廉化の矛先が設計を変更しないという消極的な考え方に陥ってしまった様です。

 

4.松浦鉄道MR-200形

f:id:kk-kiyo:20200428220700j:plain

 一方、松浦鉄道は、1988年に元国鉄松浦線第三セクター化して開業した路線です。この路線には、錦川鉄道タイプの16m級NDCが開業時にイベント車も含めて18両も導入され、その後も同形車が6両増備されました。

 

5.松浦鉄道MR-100,200形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200419160248j:plain

特徴としては、MR-100形が貫通タイプで、MR-200形とイベント車のMR-300形が非貫通タイプであることです。

 

6.松浦鉄道MR-100,200形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200419160313j:plain

貫通タイプのMR-100形は、NDCの非貫通オリジナル形態を無理やり貫通化したような感じですが、この貫通バージョンがその後の主流となり、高千穂鉄道くま川鉄道など九州の第三セクター路線に増殖して行き、何とJR西日本の非電化路線にも、ご存知のキハ120形として登場します。

 

7.松浦鉄道MR-300形

f:id:kk-kiyo:20200428220900j:plain

そして、松浦鉄道にはイベント車のMR-300形が2両導入されました。イベント車と言ってもMR-200形をオールクロスシートにして、カラオケ・ビデオセットを搭載しただけですが、93.8kmの長大路線に何かインパクトが欲しかったのでしょうか?しかし、MR-300形は1995年にはロングシート化され、廃車後はミャンマーへ旅立ちました。

 

8.高千穂鉄道TR-100,200形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20210104165854p:plain

高千穂鉄道は、1989年にJR高千穂線を第三セクター化して開業した路線です。当初は松浦鉄道と同様の16m級貫通タイプのNDCを7両導入しましたが、路線は50.1kmあり、観光路線的な性格が強く、後にイベント車を積極的に導入して観光化に力を入れていました。しかし、2005年の台風14号により発生した甚大な水害に被災し、路線存続を断念することになり、非常に残念でしたが同年12月に全線廃止となりました。一部の車両は、JR九州阿佐海岸鉄道に引き取られましたが、これがNDCの転職の先駆けとなりました。

 

9.くま川鉄道KT-100,200形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20210104171719p:plain

そして、高千穂鉄道に続き1989年にJR湯前線第三セクター化して開業したのが、くま川鉄道です。この路線も16m級貫通タイプのNDCを7両導入しました。これにより、16m級貫通タイプのNDCが九州地区の主流となりました。

その後、くま川鉄道は26年間もの長きにわたり、KT-100,200形を運用されて、現在は新潟トランシス製の第2世代の軽快気動車5両に置き替わりました。しかし、昨年発生した熊本県南部の集中豪雨で、まだ新車である気動車が全車浸水し、路線も甚大な被害を受け、現在運休を余儀なくされています。ローカル線存続の危機は経済環境ばかりではなく、昨今多発している未曾有の自然災害も避けることができない敵です。

くま川鉄道の存続を願っています。なんとか頑張って下さい。

第504話 番外編:NDC考察(その5)

次に、この車両をNDCと言えるか微妙ですが、NDCの異端車として位置づけされる、土佐くろしお鉄道TKT-8000形です。

鉄道車両は自動車と違い、納入先の地域性やユーザー要望を重んじる慣習があり、なかなか車種の統一が難しく、せいぜい搭載部品や作り方の標準化が精一杯といったところでしょうか。特にローカル線ともなれば、地域性やユーザー要望が強く、そうした背景から今回ご紹介するような車両が派生することになった様です。まあ、高い買い物なので、家を建てるのと同じ感覚なのでしょうか。

 

1.土佐くろしお鉄道TKT-8000形

f:id:kk-kiyo:20200419110231j:plain

土佐くろしお鉄道は、高知県内に長大な2路線を持つ大手?の第三セクターですが、最初に開業したのは、1988年に元国鉄中村線第三セクター化した路線で、開業に合わせて5両のNDCを導入しました。

2.土佐くろしお鉄道TKT-8000形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200328142432j:plain

ところが、このTKT-8000形は、それまでのNDCとは全く異質の形態となりました。まず、海岸沿いの路線であるため車体がSUS製となりました。一応観光路線なので転換式クロスシートロングシートのチャンポンとなり、観光列車なのか通勤列車なのか、どっちもつかずの車両です。SUS構体の採用は、国鉄が末期に四国に送り込んだキハ54形の影響によるものと思われますが、キハ54形は20m車だったので、あえて新設計を避けるため17m車であった九州向けのキハ31形をベースとし、強引にかつ、安上がりにNDC化した感じです。しかし本来はお金の厳しい赤字転換路線のはずでしたが、遊び心旺盛な偉い人でもいたのか、ただのキハ31形には留まらず、展望車モドキに変身させて登場です。

本来、第三セクター化された路線であれば、おとなしく普通のNDCか、四国ならNDC血統のキハ32形でも導入するのが当たり前とも思われましたが、いろいろとしがらみがあるのでしょう。バブル期の副産物的存在です。

3.土佐くろしお鉄道TKT-8000形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200328142451j:plain

 このTKT-8000形は、外観以外はNDCを基本としていました。よって、エンジンは直噴式6H13AS、台車は2軸空気ばね台車NP-120ですが、クーラーはキハ31形と同じバス用のセパレートタイプで、クーラー用のサブエンジンを搭載したことが他のNDCと異なります。また、トルコンもその後の標準となる、高加速タイプの新潟コンバータ製TACN-22-1100になりました。

ところで、この車両はさすがに土佐くろしお鉄道のオーダーメイドと思っていましたが、意外にもほとんど同型車両(座席配置が一部異なる)が他社にも登場しました。それがお隣の阿佐海岸鉄道のASA-100,200形の2両です。この阿佐海岸鉄道は1992年に新規開業した路線ですが、国鉄が建設を放棄した路線を第三セクターで開業させたいわく有りの路線で、全長は8.5kmたらずの微小路線です。JRからの乗り入れ列車もあり、JRの車両を借用すれば自前の車両を持たなくても良いと思いますが、経営環境が厳しい路線にもかかわらず新車を2両も新調するとは太っ腹な鉄道です。しかし、最近は経営環境が更に悪化し、とうとう気動車を手放して、冗談と思っていたDMVを導入することになったそうです。そこまでして鉄道を残そうと言う信念には頭が下がりますが、5年先、10年先にDMVがBUSになっていないことを祈るばかりです。

 

4.土佐くろしお鉄道TKT-8000形(増備車)カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200426182648j:plain

 そして土佐くろしお鉄道では、1997年の路線延長に合わせてTKT-8000形の増備車が2両加わります。すでにバブルな時代はとっくに過ぎていましたが、初期車がバブル期の副産物だったプライドなのか、増備車は当時お約束だったビデオ、カラオケ付きの娯楽列車で登場しました。

 

 5.土佐くろしお鉄道TKT-8000形(増備車)カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200426182753j:plain

 ところで、TKT-8000形の増備車は、外観こそ初期車と全く同じでしたが、さすがに初期車の製造から9年も経っていたので、全く同じものが造れず、臓物がマイナーチェンジされました。特に車体構造にも影響したのが冷房装置で、初期車のキハ31形同様のサブエンジンタイプから機関直結タイプとなり、エンジン出力を330PSにアップ。台車もボルスタレスタイプのNP131としました。

結局TKT-8000形は1999年にもお座敷列車に変身可能なロングシートタイプを1両増備し、最終的に8両が導入されました。

 

さて、バブル期にはあちこちでイベント車が導入されましたが、完全なイベント目的で製造されたNDCがありました。それは、1989年に開催された横浜博の会場輸送用に導入されたYES-100形です。この車両は内装を東急車輛が担当した以外はNDCですが、やはりNDCの異端車です。もうこうなって来ると、どうでも良い感じですが、この車両は博覧会の期間だけ運用される目的で製造され、なんとももったいないバブル期の副産物でした。しかし、最初から博覧会後の行き先も内々で決まっていたようで、全車4両が三陸鉄道に移籍(岩手県所有)し、36-500形となりました。

 

6. 横浜博覧会向けイベント車 新潟鐵工車両カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200426182915j:plain

こういう車両の悩ましいところは、普通の車両と同じように造れないことでしょうか。普通に造ると安っぽくなり、本腰を入れると工数が掛かり高価になってしまいます。部品だってこだわれば高価になります。安っぽくではなく、高価にならない様に、それっぽく造らねばなりません。一時的なイベントが済んでしまえば、あとは通常の列車として走らねばならず、その妥協点が悩ましい車両です。まあ厳しい予算で精一杯頑張った感じですが、結果的にはNDCの領域でした。ところでこの車両、結構てこずったのが前照灯具とのこと。レトロ調のコンセプトからオヘソライトは欠かせないアイテムなのですが、こんな部品を売っているところがなく、やむなく特注品?!。こう言ったことの積み重ねで儲けになりません。

この車両は、イベント車を持っていなかった三陸鉄道には手頃な車両だったと思われました。しかし、在来車との総括運転が出来なかったことと、使い勝手が悪い片運車であったため、在来車よりも早く廃車となりました。結果的にこの車両もバブル期の副産物でしたが、この車両はレトロ調のイベント車としは先駆け的な存在でした。そして、これ以降もレトロ調の人気は高く、あちこちでレトロ調のご要望が・・・。