ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第565話 1989年鹿島:忍び寄るNDC

1989年は、関東の非電化私鉄にとって話題の多い年になりました。

最大の話題は、関東鉄道常総線に元国鉄キハ35系が大量移籍となり、バラエティーに富んだゲテモノ車両が淘汰されてしまったことですが、鹿島にも気になる噂が・・・。

  いよいよ新車の動きが・・・。そんなわけで、鹿島に出向きました。

 

1.キハ432 (桃浦~小川高校下:1989年3月)

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この日は、学生時代にバイト先で知合った同好の友人と、久々に気動車三昧となりました。朝から出向きましたが、休日だったので2連は走らず、単行ばかりでしたが、一通りの車両が撮影できました。

 

2.キハ432 (桃浦~小川高校下:1989年3月)

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 まずは、定番の筑波山霞ヶ浦を入れて、キハ432です。スッキリ晴れて最高の撮影日和です。

 

3.キハ712 (桃浦~小川高校下:1989年3月)

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 続いて、キハ712です。この車両は元芦別鉄道の道産子気動車で3両の同形車が在籍していましたが、いずれも更新改造を受けておらず、しかもワンマン化もされていません。この車両よりもっと古いキハ600形がワンマン化されてることを考えると、真っ先に置き換え対象になるはずです。

 

4.キハ712 (八木蒔~桃浦:1989年3月)

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 いったいどんな車両が鹿島鉄道に導入されるのか?まだオープンにはなっていませんでしたが、なぜか私は知っていました。

それは、元国鉄キハ35系ではなく、元国鉄キハ20形でもありません。完全新製のNDCです。この撮影の頃には、すでに2両の鹿島鉄道向けNDCが製造途上でした。

 

5.キハ712 (八木蒔~桃浦:1989年3月)

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 関東鉄道常総線が、旧型車の置き換えに元国鉄キハ35系を導入することになったのに、子会社の鹿島鉄道は新車を導入するとは不思議に思いました。しかし、これには理由が・・・。

 

6.キハ431 (八木蒔~桃浦:1989年3月)

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 この頃、石岡近隣の宅地造成に絡み、住民誘致の一環で通勤通学の交通手段として、この鹿島鉄道をグレードアップするため、バックアップがついたようでした。バブル景気の恩恵なのでしょうか? ちょうど古くなった旧型車を置き換えるチャンスが到来しました。鹿島鉄道にしてみれば、まさに「棚から牡丹餅」です。

しかし、新車が導入されれば、間違いなく廃車が出るはずです。湘南型気動車の楽園もいよいよ見納めか?

第564話 1987年JR北海道:もう一度最果て(その6)

今回は最果てシリーズの最後となりました。

最後は釧路付近で見かけた、あの頃の車両をまとめてみました。

 

1.ひょうきん族 (標茶:1987年8月)

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 「ひょうきん族」とは、当時フジテレビで放映されていた伝説のお笑い番組のタイトルにもありましたが、こんな最果ての地にいたこの2両は、まさに「ひょうきん族」でした。線路脇で何を語っているのか、思わず写真を撮ってしまいました。これも一応車両です。保線用のモーターカーですが、こんなのが酷寒の地で役にたっていたのか?

 

2.キハ2732+キハ27? (別保:1987年8月)

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 北海道最終日は、本州に向けて終日移動となるので、朝のうちに釧路近辺で車両を撮影しました。根室本線ではキハ27形の2連が普通の運用に充当されていました。もしこれがキハ28だったら、恐らく撮っていません。

 

3.キハ40120 (釧路:1987年8月)

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 もうどーでも良いキハ40形100番台ですが、一応まともな形式写真を撮っていました。これも100番台でなかったら、恐らく撮っていません。

 

4.キハ40219+キハ40?+キハ54518 (釧路:1987年8月)

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 キハ40形100番台は、道東ではまだ新車扱いでしたが、この編成の一番奥に、もっと新しいのがいました。

 

5.キハ54518 (釧路:1987年8月)

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 これが当時の最新車だったキハ54形500番台です。この車両は国鉄JR北海道に贈った最後の手切れ贈呈品です。ようやく北海道にも直噴式機関を搭載した一般車が配置されました。しかもSUS車です。でも完全新製車ではないのが玉に瑕!!トルコンと台車は中古品流用で、三セク向けNDC志向の残念な新車でしたが、現在もまだ頑張っています。

 

6.キハ27104、キハ183-500台 (釧路:1987年8月)

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 そして、釧路と言えば、特急「おおぞら号」です。実は、この写真の「おおぞら号」でこの後、札幌に向かいました。

その後、1989年4月に標津線が廃止されました。もう北海道に行く目的もほとんどなくなってしまい、あれから北海道を訪れたのは13年後の2000年の夏でした。その時は鉄道の撮影が目的ではなく、プライベートな旅行でしたが、釧路から根室、別海、知床、網走とレンタカーで巡る途上で、奥行臼、上武佐を経由しました。すでに標津線は自然に帰っており、そこに鉄道があったことなど想像もできない変貌ぶりでした。

第563話 1987年JR北海道:もう一度最果て(その5)

この日も、昼頃には霧が晴れました。

 朝霧の走行撮影をした場所で、もう一度撮影です。私は普段から国鉄(JR)の車両に全く興味がありませんでしたが、標津線にこだわっていたのは、車両よりも沿線風景でした。

 

1.キハ22319 (上武佐~中標津:1987年8月)

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 霧が晴れると、全く違う場所の様です。今度はピントもしっかり合わせてバッチリ撮影できました。やはり天気が良くなければここに来た意味がありません。

 

2.キハ22114 (上武佐~川北:1987年8月)

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 キハ22114がやって来ました。また誰か窓から顔を出していますが、今度は撮影の邪魔はされず大丈夫でした。

 

3.キハ22249+キハ40132 (上武佐~中標津:1987年8月)

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 続いて、2連がやって来ました。キハ22形+キハ40形でしたが、幸いキハ22形が先頭だったのでラッキーでした。

 

4.キハ22114 (上武佐:1987年8月)

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 この日も少し曇ってきました。そろそろ撮影地の変更です。

 

5.キハ22114+キハ40131 (光進:1987年8月)

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 さて、移動と言ってもあてがあるわけではありません。適当に光進と言う無人駅で降りました。ここは駅を出るとジェットコースターの様な下り坂があり、これも標津線ならではの光景です。この写真は後追い撮影ですが、ちょうど勾配を上り切った列車が光進駅に停車したところです。

 

6.キハ22319+キハ22? (光進西春別:1987年8月)

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 光進の辺りは、アップダウンが連続しますが、曲線も多く、なかなか開けた場所がありません。

 

7.キハ40132 (泉川~多和:1987年8月)

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 思ったより、写真にならない場所でした。この日はこのへんで撤収です。明日は本州に向けて戻るので、この日の宿は釧路です。

 

 

第562話 1987年JR北海道:もう一度最果て(その4)

上武佐の武佐岳温泉に宿泊し、翌日も早朝から撮影開始です。

しかし、案の定ひどい霧です。

 

1.上武佐駅舎 (上武佐:1987年8月)

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でも、霧に霞む上武佐駅の情景がなんともノスタルジックです。

前の晩に武佐岳温泉の御主人にこの時期の天候を聞いたところ、根室や釧路ほどではないそうですが、やはり霧が毎日のように出るそうです。この時期、霧は道東の風物詩です。

 

2.上武佐駅標識 (上武佐:1987年8月)

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 濃霧ですが、天気は晴れです。結構明るいので、これはもしかすると面白い写真が撮れるかも知れません。イチかバチか、この日もとりあえず上武佐で粘りました。

 

3.キハ22319+キハ40131 (上武佐~中標津:1987年8月)

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 霧でまったく先が見えない中、鈍いエンジン音と共に、根室標津行きの始発が現れました。ファインダーを見ていても霧で全く見えません。ピントも適当、野生の感覚でシャッターを切ったら、こんな写真が取れていました。この写真、ジッと見ていると徐々に列車が浮かび上がって来ます。

 

4.キハ40131+ キハ22319(上武佐:1987年8月)

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 そして、振り向いて撮った後追い写真がこれです。ちょうど上武佐駅に停車したところですが、こちらは解明不可能な写真になりました。

 

5.キハ40168 (上武佐~川北:1987年8月)

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 続いて、釧路行きのキハ40168です。スキャナーの影響なのか、霧がかなり粒子っぽく写っています。

 

6.キハ40168 (上武佐:1987年8月)

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当時はデジカメではないので、これらの写真は、撮影した時は霧でちゃんと撮れたのか、全く見当もつきません。プリントしてからのお楽しみでしたが、プリントしてみると、結構写っているものです。 

でも、これではどこで撮った写真なのか、撮った人にしかわかりません。

 

第561話 1987年JR北海道:もう一度最果て(その3)

午後になると、霧は無くなりましたが、今度は曇ってきました。線路脇の草むらでアブと戦いながら撮影を続けましたが、同じ様な車両しか来ないのでいい加減飽きて来ました。

 

1.キハ22319+キハ22116 (上武佐~川北:1987年8月)

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今度は、先程キハ27形の回送を連結して4連だった列車が、根室標津から折り返して来ましたが、なぜかキハ27形の姿が見えません。

 

2.キハ22319+キハ22116 (上武佐~川北:1987年8月)

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ところでこの日は、まだ泊まる場所を決めていませんでした。昨晩は根室標津の民宿で相部屋になるほど混んでいたので、早めに宿探しが必要ですが、そう言えば上武佐駅の目の前に確か旅館が1軒あったような・・・

 

3.上武佐駅 (上武佐:1987年8月)

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・・・で、撮影の合間に上武佐駅に戻りました。

この駅前に旅館などある訳ないようですが、この駅前の左側に荘厳な木造建築がそびえていました。

 

4.謎の旅館 (上武佐:1987年8月)

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それが、この怪しい旅館でした。ちゃんと「旅館」の看板までありますが、泊まるのをためらってしまいそうな建物です。

勇気を出して尋ねると・・・廃業でした。ガッカリなのかホットしたのか?

ところで、この廃業旅館ですが、ただものではありませんでした。実はこの建物は、いにしえの北海道殖民軌道武佐線の駅逓でした。まだ標津線が開通する前の大正時代に開拓者のめに敷かれた殖民軌道の拠点だったと言うことです。そんな話を聞くと、泊めてもらいたかったですが、廃業ではどうしょうもありません。

 

5.キハ22114 (川北~上武佐:1987年8月)

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 宿はあきらめて、撮影を続けました。キハ22114はこの日の朝に乗った車両です。もう釧路から戻ってきました。マナーの悪そうな乗客が窓から身を乗り出して、思いっきり撮影を邪魔されました。もしかして、この乗客は茨城あたりから来た「箱乗り常習者」かも知れません。この頃の車両は、まだ側窓が全開出来ましたが、それでも「落っこちるバカ」はいませんでした。

 

6.キハ22114 (上武佐~川北:1987年8月)

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 さて、キハ22114を撮ったら、真剣に宿探しです。ここにいても埒が明かないので、中標津方面に移動です。中標津は大都会?です。きっと宿もなんとかなるでしょう。

 

7.武佐岳温泉のパンフ

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 そして、中標津の公衆電話の電話帳で目に入ったのが、民宿の武佐岳温泉でした。なんと上武佐駅から徒歩1分!! もしかしてあの廃業旅館ではないかと疑いましたが、どうも新しそうです。ためしに電話を掛けたらちゃんとやってました。上武佐なら、明日も朝から撮影に便利です。よってこの日は武佐岳温泉に泊まることになり、上武佐にトンボ帰りです。

 

8.武佐岳温泉のパンフ

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少々脱線しますが、この武佐岳温泉は当時出来たばかりのホヤホヤでした。あの廃業旅館の目の前といっても良い程、本当に目の前にありましたが、全く気が付きませんでした。この日の宿泊客はたったの2名でした。宿の御主人のはからいで、夕食後に開陽台に車で連れて行ってもらい中標津の夜景と満点の星空を鑑賞しました。これで一泊2食付き3800円也。しかも温泉付きの格安です。しかし、この武佐岳温泉は現在なくなってしまいました。

第560話 1987年JR北海道:もう一度最果て(その2)

今回の渡道は、標津線の撮影に来たものの、これと言ったあてもなく、この日どこに行くかは、列車に乗って考えることにしました。

 

1.キハ22114 (根室標津:1987年8月)

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 濃霧の中、根室標津では、釧路行きのキハ22114が佇んでいました。

キハ22形といえば、私は茨城交通で元留萌鉄道や元羽幌炭鉱鉄道のキハ22モドキをさんざん見て来ましたが、これが本物です。標津線が廃止されれば、恐らく多くのキハ22形は廃車になるでしょうが、いまさらこの車両を引き取ってくれる鉄道はありません。

 

2.キハ22114 (根室標津:1987年8月)

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 この列車は釧路行ですが、釧路まで乗ってしまうと、何しにここまで来たのかわからなくなるので、標津線内で降りなければなりません。

 

3.キハ22116+キハ22319+キハ27?+キハ27211 (上武佐~中標津:1987年8月)

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 そして、下車したのは2駅先の勝手知ったる上武佐でした。

しかし、上武佐も霧!。はるか霧の彼方からキハ22が接近してきましたが、何か連結している様です。

 

4.キハ27211+キハ27?+キハ22319+キハ22116 (中標津~上武佐:1987年8月)

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 何かと思ったら、定期のキハ22形2連にキハ27形2連の回送を連結した4連でした。キハ27形は後期型の急行色でした。かつては標津線内も急行が運転されていましたが、利用客が減ったためか、標津線から急行は撤退してしまいました。

しかし、この列車の回送は団体客でもあったのか?回送とは言え、急行型が標津線内を走る姿を初めて見ました。

 

5.キハ40132 (上武佐~川北:1987年8月)

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 昼頃になって、ようやく霧は晴れてきましたが、コイツが来ると何か気合が入りません。

 

6.キハ22319+キハ22116 (川北~上武佐:1987年8月)

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 霧が晴れると、ジリジリと蒸し暑くなって来ました。

この時期は変な虫がいっぱい飛んでおり、昆虫たちが短い夏を謳歌していました。8月の下旬になれば、この辺りもカラッと爽やかな天候になります。できれば、天候の良い時期に来たかったのですが、会社の夏季休暇は8月のお盆の時期しか取れず、仕方ありません。

 

第559話 1987年JR北海道:もう一度最果て

1987年8月、 社会人になった最初の夏季休暇に、これが最後になるだろうと、標津線に向かいました。すでに標津線国鉄ではなく、JR北海道になっていましたが、「最後になるだろう」とは、標津線が廃止対象路線になっていたからです。

 

1.キハ40132 (根室標津:1987年8月)

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 今回の渡道は4回目となりました。学生時代とは違い、一応社会人の身分ではありましたが、相変わらず貧乏旅行から脱せず、今回も上野発の夜行列車で向かいました。とは言え、学生時代の様に時間はなく、北海道の滞在は行き帰りの移動日を含めて5日間です。実質フルに使えるのは3日間。よってピンポイントで標津線撮影となりました。

 

2.キハ40132 (根室標津:1987年8月)

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 最初に向かったのは、最果ての根室標津でした。上野を出て翌々日の夕方に辿り着きました。まずは、乗って来たキハ40132の撮影です。キハ40132には、しっかりとJRマークがついていました。

そして、この日は民宿泊まりです。結構混んでいたので知らない学生風の人と相部屋でした。そして翌日は早朝から武佐川の湿原あたりで撮影です。

 

3.キハ22249 (根室標津~川北:1987年8月)

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 ところが、翌朝はこの霧です。そういえば、この時期の道東は晴れても霧の日が多く、作戦をミスってしまいました。が、しかし、そこは霧を逆手に取って幻想的な撮影にチャレンジです。

 

4.キハ22形2連 (根室標津~川北:1987年8月)

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 霧の撮影は、南部縦貫鉄道や栗原電鉄でさんざん悩まされましたが、道東の霧はそれらと比べものにならないくらい強烈です。立っているだけで全身ずぶ濡れになるほど湿気を含んでいます。傘も役に立ちません。

 結局、3列車撮影して撤収です。まあ、そのうち晴れるはずなので撮影場所を移動することにしました。

 

5.キハ22114 (根室標津:1987年8月)

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腕木信号機の先は、根室標津駅です。ここが最果ての駅ですが、こんなところまで鉄道を敷設した理由は、北海道開拓の物資輸送のためだったそうです。まともな道路もなく、馬車軌道がベースの殖民軌道では限界だったことから標津線は建設されました。最初は厚床から建設が始まり、厚床中標津間の開通が1934年。つづいて、標茶根室標津間の開通が1937年です。

しかも、根室標津から折り返して斜里と結ぶ路線も一部で建設が着手されていたそうです。ちなみに斜里側は先行して建設が始まり、斜里~越川間は根北線として1957年から1970年まで存在しました。しかし、根北線の廃止で、根室標津~斜里間の計画は消滅しました。

 

6.キハ22114 (根室標津:1987年8月)

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 根室標津駅には、キハ22114が発車を待っていました。この車両も路線廃止と共に廃車になる運命ですが、このタラコ色には何の感動もありませんでした。