ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

近況編5-2 2025年三岐(北勢線):おもちゃの電車(その2)

久々の北勢線は、正直、初めての場所に来たような感じでした。・・・と言うのも、私が知っている北勢線は33年前の近鉄北勢線です。なにより戸惑ったのが、駅の統廃合によって、33年前の記憶とかみ合わない現状でした。かつての撮影場所も、どこの駅で下車すればよいのか悩んでしまいました。

 

1.クハ202+サハ101+サハ201+クモハ277 (穴太~東員:2025年4月)

以前、この付近には六把野と言う駅があったはずですが、現在六把野駅はありません。この先には車庫があり、北大社駅に隣接していましたが北大社駅もありません。代わりに東員と言う駅が出来ていましたが、六把野駅や北大社駅があった場所との位置関係もよくわかりませんでした。

 

2.クハ202+サハ101+サハ201+クモハ277 (穴太~東員:2025年4月)

さて、ラッシュ時の北勢線は次々と列車がやって来ました。黄色い電車に混じって、こんなシックな電車が登場しました。これは三重交通時代の塗装を再現した列車ですが、頭の3両は三重交通がナロー時代の湯の山線用に自社発注した世にも珍しい3両連接車の200系です。近鉄時代の車体更新時に前面の湘南顔がおかしくなってしまいましたが、辛うじて湘南顔です。

 

3.クハ202+サハ101+サハ201+クモハ277 (穴太~東員:2025年4月)

この200系連接車は、湯の山線から北勢線に転じましたが、厄介な垂直カルダン駆動であったことから電装解除されてしまい、後に新製された力持ちのモ270形と4連固定編成化されて現在に至ります。しかしながら、この編成がラッシュ時に運用されていたとはラッキーです。この後の運用が気になります。

 

4.クハ134+サハ135~、クハ171他 (東員:2025年4月)

ここは東員駅です。近鉄時代にはなかった駅ですが六把野駅と北大社を統合して、幹線道路との交差点にできた駅です。交換駅ですが留置線もあります。北大社の車庫は移転しておらず少し離れているので、ここに留置線があるのかも。

 

5.サハ147車内 (西桑名:2025年4月)

ここで、ちょっとサハ147の車内写真をご覧頂きます。これは、阿下喜行の始発列車です。北勢線の車両は三岐化の一環で冷房化されました。しかし、狭い軽便車両の冷房化は身を削る覚悟を伴います。写真の様にこの小さくて恐ろしく狭い車両は、三重交通時代に製造された軽便客車が前身です。幸い電車化を想定した設計で鋼製車なので、あとは冷房装置の設置スペースの確保が問題でした。

 

6.サハ147車内 (西桑名:2025年4月)

・・・で、冷房装置は車内の車端部を占拠していました。軽便鉄道の車両限界なので、屋根上や床下に設置は困難なので客室に床置きです。天井に冷房ダクトもありません。まあ、冷風が出るだけでもありがたいサービスです。

近況編5-1 2025年三岐(北勢線):おもちゃの電車

25年ぶりに道楽を再開し、今年4月に三岐鉄道へ貨物の撮影に出向きましたが、三岐カンパニーの一員となった北勢線を忘れてはいけません。撮影旅行二日目の午前中は北勢線の近況を確認するため、久々の北勢線に向かいました。久々と言っても、実は2012年に家族旅行で三岐になった北勢線に乗車していました。しかし、さすがに家族同伴では途中下車して列車の撮影などできず、その時はじっとこらえて、「乗り鉄」に徹しました。いつの日か、また「撮り鉄」三昧出来ることを願いつつ、あれから13年、臥薪嘗胆の日々からようやく解放され、今回は念願の北勢線です。

 

1.クハ134+サハ135+クモハ276 (穴太~東員:2025年4月)

北勢線の沿線撮影は実に33年ぶりでした。たしか近鉄220系(旧モニ220形)のサヨナラ運転の日以来です。あれから北勢線近鉄に見放されて三岐に拾われました。よって、電車はすべて三岐カラーとなりましたが、奇跡的に車両の陣容は33年前と変わっていませんでした。あっ、220系はいませんが・・・。

 

2.クハ145+サハ135+クモハ276 (穴太~東員:2025年4月)

この日は気合で始発に乗って向かった先は穴太でした。べつに穴太で撮影する予定ではなかったのですが、北勢線は三岐になってから駅の統廃合を行っており、どこで下車すればよいのか悩んだあげく、過去の記憶を辿って穴太で下車しました。

 

3.クハ141+サハ136+サハ142+クモハ273 (穴太~東員:2025年4月)

とにかく列車本数が多い朝のうちに撮影を開始したかったので、穴太~東員間の見通しの良い畑作地に落ち着きました。この日は平日だったので、朝のラッシュは小っちゃな電車がフル動員です。

 

4.クハ141+サハ136+サハ142+クモハ273 (穴太~東員:2025年4月)

おもちゃの様な4連が来ました。小っちゃな軽便車両が何とも魅力的です。これらの車両はすべて近鉄北勢線時代から走っていたものです。地味だった近鉄マルーンから一転して三岐イエローとなり、雰囲気もずいぶん明るくなりましたが、電車の大きさも路線の規模も小さいナローのままです。

 

5.クハ172+サハ147+クモハ272 (穴太~東員:2025年4月)

北勢線と言えば、近鉄時代のモニ220形を忘れることができませんが、モニなき北勢線の魅力も現代では相当なものです。近鉄内部・八王子を引き継いだ四日市あすなろう鉄道に比べて、北勢線は軽便の雰囲気も感じることができます。

 

6.クハ172+サハ147+クモハ272 (穴太~東員:2025年4月)

北勢線の電車は以前から変わっていませんが、電車の速度が速くなっていました。これは三岐化の一環で高速化が図られたものですが、近鉄時代に比べて明らかに速くなっています。しかし、電車の老朽化が心配です。新しいと思っていたモハ270形も50歳近い状況ですし、三重交通時代に製造された軽便客車たちはすでに70歳を超えたものもあります。まさに老体にムチを打って走っている様です。

第1420話 1996年北陸(浅野川):モハ3563が走った日(その2)

モハ3563の営業運転は滅多にありません。おそらく今回の走行が、古き良き浅野川線に対する最後のはなむけになったと思います。

 

1.モハ3563+モハ3551+クハ1001 (蚊爪~粟ヶ崎:1996年11月)

ところで、モハ3563のおさらいですが、この車両は遡れば、今は亡き北陸鉄道加南線の前身である温泉電軌発注の、1937年木南車輌製デハ19(注1)でした。車歴の詳細は第51話をご覧ください。

(注1)モハ3563の車歴は文献により諸説あるようです。どれが正しいのかよくわかりませんが、過去の経緯から1941年に発生した温泉電軌の車庫火災による車両焼失により、1942年に復旧した車両(実態は新製?)にモハ3563の前身となった車両が含まれています。焼失前の車歴を引きずっていることから、車歴があいまいになった様です。

 

2.モハ3563+モハ3551+クハ1001 (蚊爪~粟ヶ崎:1996年11月)

北陸鉄道では、昭和30年代から電車の更新を自社で行い、独特の改造車美学を築きましたが、このモハ3563はブサイク化を免れて、火災復旧後の原形を比較的保っていました。

まあ、前面窓のHゴム支持はご愛嬌と言ったところです。晩年は昇圧車両導入に伴うホームの嵩上げに合わせて、ステップの切り詰めを行ったので、ちょっと違和感あるスタイルになりましたが、これも時代の流れによるものと諦めて撮影するしかありません。

 

3.モハ3551+クハ1001+モハ3563 (大河端~三ツ屋:1996年11月)

午後もモハ3563を増結した3連は走りましたが、こんどは、連結位置を変更して内灘寄りに連結されました。これは北陸鉄道さんのご厚意によるものだそうです。しかし、天気が危うくなってきました。

 

4.モハ3551+クハ1001+モハ3563 (大河端~三ツ屋:1996年11月)

秋の北陸地方は一日天気がもつことはないと言っても過言ではありません。まあ、陽の射している時に思う存分撮影できたので、あとは野となれ山となれです。

 

5.モハ3563+クハ1001+モハ3551 (粟ヶ崎~蚊爪:1996年11月)

再び大野川橋梁ですが、モハ3563の連結位置に合わせて、今度は粟ヶ崎寄りから撮影です。この時、モハ3563の連結位置が変更された理由がわかりました。よく見ると、こちらの前面にはスノープローが付いてます。モハ3563は冬季は除雪車として、スノープローを付けていました。今年は雪の降る前に引退となりますが、北陸鉄道さんの粋な計らいでした。

 

6.モハ3563+クハ1001+モハ3551 (粟ヶ崎~蚊爪:1996年11月)

そして、最後はスノープロー付きの急行です。小雨がぱらつくなか、3連は内灘に戻って行きました。

これが、浅野川線昇圧前の最後の撮影となりました。モハ3563は昇圧後も補助金の関係で廃車されずにしばらく残ったそうですが・・・・結局、解体処分となりました。ご存知の通り、浅野川線は1996年12月に昇圧されて元京王井の頭線3000系に車両統一されました。その車両もすでに廃車となり、現在は元東京メトロ03系が走っているそうですが、私は昇圧後の浅野川線に未だ出向いたことがありません。

第1419話 1996年北陸(浅野川):モハ3563が走った日

北陸鉄道浅野川線は1996年12月に昇圧され、在籍車両が一掃されるなど新装開店されましたが、新装開店のちょっと前に、モハ3563が走りました。

 

1.モハ3563 (内灘:1996年11月)

この日は朝からモハ3563はパンタを上げてスタンバイです。これは、或る同好団体が企画された特別な運転でした。一般の運用列車にモハ3563を増結するもので、撮影を便乗させてもらいました。

 

2.モハ3563、モハ3551他 (内灘:1996年11月)

浅野川線はもうまもなく昇圧となり、モハ3563だけでなく、ここに写っているすべての車両が廃車の運命です。よって、この頃は時々浅野川線の撮影に出向きましたが、モハ3563の走行撮影だけはなかなか叶いませんでした。しかし、この日はいよいよ待望のモハ3563が走ります。

 

3.モハ3563+モハ3551・・・ (蚊爪~粟ヶ崎:1996年11月)

そして、撮影開始です。ここは蚊爪~粟ヶ崎間の大野川橋梁です。モハ3563は先ほど内灘駅で隣に停まっていたモハ3551+クハ1001の金沢寄りに連結されて、3連でノソノソと鉄橋を渡ってきました。モハ3563が走る姿を見るのは、これが初めてでした。

 

4.モハ3563+モハ3551+クハ1001 (蚊爪~粟ヶ崎:1996年11月)

この日は天気が怪しかったですが、朝は晴れました。この3連も順光でばっちりです。一応、モハ3563も一般運用の増結なのでお客さんが乗っています。

 

5.モハ3563+モハ3551+クハ1001 (蚊爪~粟ヶ崎:1996年11月)

この鉄橋は水路の関係で橋の真ん中だけ橋桁が下路ガーダーになっているため、3連はスッキリした写真が撮れません。しかし、普段は見ることが出来ない3連です。この凸凹編成が何とも言えない味を出しています。列車は最徐行なので、何枚も連写しましたが、なかなか面白い写真が撮れました。

 

6.モハ3563+モハ3551+クハ1001 (蚊爪~粟ヶ崎:1996年11月)

モハ3563はこの日の日中も増結したまま走りました。この写真は2往復目の急行です。モハ3563に掲げられた急行マークが誇らしげです。

第1418話 1994年一畑:もう残念な日曜日ではない!(その3)

とうとう雨になってしまいました。撮影時に雨が降るといつも思うのですが、自分が何の為に撮影に来ているのか、自問自答が始まります。しかし、この日は赤電こそ走りませんが、まもなく置き換わる車両をできるだけ撮影しなければなりません。幸い暗くはなく、まだ時間はたっぷりあるのでしばらく撮影を続けることにしました。

 

1.デハ61+クハ191+デハ91 (津ノ森:1994年5月)

90系が戻ってきましたが、よく見るとデハ61が先頭の3連でした。この3連は定期の運用なのかわかりませんが、混んでもいないのになぜ3連なのか?。日曜日の朝に3連が走るとは思いませんでしたが、どうせなら赤電を増結した旧型車の3連が見たかったのが本音です。

 

2.デハ61+クハ191+デハ91 (長江~朝日ヶ丘:1994年5月)

ここから撮影地の変更です。特に3連の撮影を意識したわけではありませんが、片持ち架線柱でスッキリした写真が撮れる朝日ヶ丘に移動しました。

 

3.デハ23+クハ101 (長江~朝日ヶ丘:1994年5月)

ここはロケーション的には、あまり宜しくありませんが、線路脇に用水路があるので障害物がなく、手堅く車両を撮るには好都合です。ただし、この日は曇っていたのでこの角度で撮影できましたが、晴れていたら逆光になります。

 

4.クハ101+デハ23 (朝日ヶ丘~長江:1994年5月)

天気が悪いので陽の向きも気にせず撮影が出来ましたが、ちょっと暗い。しかし、日曜日の割にはバラエティーに富んだ車両を撮影することが出来ました。

 

5.クハ171+デハ71 (長江~秋鹿町:1994年5月)

雨は止まず、この70系を撮ったら撤収です。

その後は、仕事の関係でなかなか出雲参りが出来ず、この次は1995年元旦の訪問となりました。すでに京王電車が走っており、一畑電鉄は魅力半減と思いきや、まだ置換えの廃車は発生していませんでした。その様子は別途お伝えします。

第1417話 1994年一畑:もう残念な日曜日ではない!(その2)

この前日は素晴らしい五月晴れでした。しかし、この日はどんよりとしており、時々陽が射しましたが基本的に曇り空でした。日曜日なので赤電も走らないので、列車の運用状況を確認したら帰ろうかと思うほど消極的になってしまいました。

 

1.クハ183+デハ83 (津ノ森~伊野灘:1994年5月)

宍道湖で数列車撮影をして津ノ森に戻りました。ここで列車主体の撮影を続けました。急行が来ましたが食パン電車です。日曜日の朝も急行が走っていました。この急行は追い越しをしない急行ですが、普通列車よりも全線の所要時間が10分も短い驚異的な急行です。しかし、さすがに日曜日は通勤通学客もほとんどおらずガラガラです。

 

2.クハ191+デハ91 (津ノ森~伊野灘:1994年5月)

次は西武風湘南電車ですが、これもガラガラです。朝から5列車を確認しましたが、この5列車がこの時の全運用列車でした。この内、4列車が日中の運用に残ります。

 

3.クハ181+デハ81 (津ノ森:1994年5月)

この食パンだけは日中の運用に残って欲しくない電車ですが、それ以前に天気が怪しくなって来たので、何が残ってもどうでも良くなってきました。

 

4.デハ23+クハ101 (津ノ森~伊野灘:1994年5月)

列車はどんどんやって来ますが、ほとんど惰性の撮影です。しかし、この列車だけはちゃんと撮らなといけません。ところで、デハ20形+クハ100形はこの時点で3本在籍していましたが、デハ21+クハ103は事故後復旧されないまま放置されており、予備なしの状態が続いていました。しかし、事故車はこの年の6月末日をもって廃車となりました。

 

5.クハ171+デハ71 (津ノ森:1994年5月)

次の70系もちゃんと撮らなければなりません。しかし、せっかく塗装を塗り直して綺麗な状態ですが、雨が降って来た様な・・・。

 

6.デハ71+クハ171 (津ノ森:1994年5月)

とりあえず、後追いで津ノ森駅に停車中をもう1枚。でも、やはり雨が降ってきました。まだ朝ですが、この後をどうするか悩ましい状況でした。

第1416話 1994年一畑:もう残念な日曜日ではない!

今回の一畑電鉄は、第1324話の続きの翌日です。

この日は日曜日でした。一畑電鉄の日曜日は赤電が走らず、ラッシュもなく、ちょっと前までは残念な日曜日でしたが、秋にはカルダン車が導入されるため、もう残念などと言ってられなくなりました。

 

1.クハ181+デハ81 (津ノ森:1994年5月)

赤電は走りませんが、この日は早朝から津ノ森へ向かいました。初っ端は食パンでした。まあ、これは想定内ですが、食パンが3本共運用されないことを願うばかりです。

 

2.クハ171+デハ71 (津ノ森~伊野灘:1994年5月)

さて、津ノ森に出向いたのは宍道湖を入れて撮影をするためでした。一畑電鉄宍道湖の北岸を走りますが、意外にも宍道湖を入れて撮影できる場所がほとんどありません。しかし、津ノ森~伊野灘間には護岸から宍道湖突堤が突き出した場所があり、午前中はそこから順光で撮影ができました。

 

3.クハ171+デハ71 (津ノ森~伊野灘:1994年5月)

70系がやって来ました。写真の左から自動車もやって来ました。軌道と宍道湖の間には道路があり、自動車に邪魔をされないか心配ですが、電車は少し高い場所なので、とりあえずは問題なさそうです。

 

4.デハ23+クハ101 (津ノ森~伊野灘:1994年5月)

続いて手動ドアコンビです。この列車は平日は赤電を連結して3連になりますが、この日は日曜日なので赤電なしの2連です。

 

5.デハ23+クハ101 (津ノ森~伊野灘:1994年5月)

実はこの場所で、赤電付きの3連を撮ったことがありました。それは1991年の正月輸送の時(第219話)でした。やはり、赤電のあるなしで写真映えが全く異なります。

 

6.デハ23+クハ101 (津ノ森~伊野灘:1994年5月)

しかし、ここでこの電車を撮るのも、これが最後になると思われました。よって、めいっぱいハンドドライブ(手動巻上)炸裂の連写ですが、この日は少々天気が怪く、先が思いやられました。