ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第337話 1993年高松琴平:凸凹3連を求めて

1993年はGWに琴電を訪れたものの、あいにくの雨でまともな撮影もできませんでした。その時の様子は、第241話~第243話で報告しましたが、その後、同じ年の1993年11月に琴電を訪問するチャンスが到来しました。

この年の夏頃から仕事で広島に出張する機会が増え、休日を挟んだ出張を無駄にするわけにはいきません。金曜日に仕事を終えたら速攻で高松へ移動です。なぜなら土曜日の琴電長尾線は、平日同様に朝のラッシュ時に3連が走ります。これを逃してはいけません。

 

1.62+760+860 (高田~西前田:1993年11月)

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琴電長尾線の3連撮影はこの日が初めてでした。3連を撮るためには平日か土曜日の朝ラッシュしかチャンスはなく、どうしても撮影前日に高松入りしなければなりません。この日は3連撮影のまたとないチャンスで、休日でしたが出張途上であったため、スーツ姿のまま撮影に出向きました。 

 

2.62+760+860 (高田~西前田:1993年11月)

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 この日は朝から快晴でした。スーツ姿で気合がはいりました。

最初の3連は、高田~西前田間の田園地帯で撮影です。刈入れが終わった田圃のど真ん中で、朝っぱらからスーツを着たサラリーマンが仁王立ちして電車の写真撮影をしている光景はいかがなものでしょうか?犬を散歩する近所のオジサンが不思議そうに私を見ていました。

ところで、やって来たのは62+760+860の凸凹3連です。体裁など気にしてはいられません。気合のハンドドライブで連写です。

 

3.750+870+510 (高田~西前田:1993年11月)

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 続いてやって来たのは、750+870+510の凸凹3連です。

 これら3連の組合せは、2連に1M車が増結するかたちで運用されました。ベースとなる2連はラッシュ後もそのまま運用されるものと入庫するものがあり、たいていは元京急の30形もしくはオリジナルのMM2連が残るケースが多く、雑多なMT2連は入庫してしまいます。

そして、Tc車は原則として瓦町寄りに連結されるので、朝順光となる長尾寄りの先頭には絶対に出て来ませんでした。

 

4.750+870+510 (高田~西前田:1993年11月)

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 この3連は、先頭が元玉野市営、中間が元山形交通、最後尾が琴電オリジナルといった凸凹編成です。この頃の琴電は、こういった出身も容姿も異なる車両の無造作な連結運転が楽しめました。

 

5.33+34 (高田~西前田:1993年11月)

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 長尾線のラッシュは、かなりの高密度運行なのであらゆる車両が見られますが、全てが3連と言うわけではありません。2連の元京急の30形もしっかり走っていました。

 

6.29+30 (高田~西前田:1993年11月)

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 運用によっては、この30形にも1M 車が増結されて3連になりますが、この日はたて続けで2連の30形がやって来ました。

 

7.33+34 (高田~西前田:1993年11月)

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 毎度30形が多くてうんざりしますが、この車両はすばらしいデザインだと思います。そして、私個人的に京急時代のカラーよりも琴電カラーの方が似合っていると思います。

第336話 1990年秩父:なぜか気合が入らず!!(その2)

秩父鉄道は、写真がほとんどありません。

結局、秩父鉄道のまともな撮影を行わないまま、旧型車は引退してしまいましたが、1990年に観光目的?で秩父に出向いた際に、三峰口の構内に保存された車両に遭遇しました。これもとりあえず撮影していましたので、今回報告します。

 

1.保存車:クハニ29Ⅱ+デハ107 (三峰口:1990年9月)

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 1990年当時の保存車は、クハニ29+デハ107、デキ1、ED381、ワフ51の計5両で、車内の見学もできるようになっていました。この場所は三峰口駅の構内外れにあり、秩父鉄道車両公園として整備されたもので、その後も貨車の保存車が増備されました。

 

2.保存車:クハニ29Ⅱ+デハ107 (三峰口:1990年9月)

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デハ100形、クハ60形、クハ二20形はみな同じ顔をしていましたが、側面のドア配置が異なりました。デハ100形は2ドア車で、クハ60形は3ドア車、そしてクハニ20形は3ドアですが運転室寄りのドアが荷物室用で運転室のすぐ後ろにあり、そこが荷物室でした。

 

3.保存車:クハニ29Ⅱの車内 (三峰口:1990年9月)

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クハニ29Ⅱは他のクハニ20形とは異なる経過を辿り、車体更新後はクハユニ31となり、クハニ20形と同形態の荷物室合造車でしたが郵便合造車として区分されました。しかし、郵便輸送が廃止されると、ちょうどクハニ20形の異端車で休車中だった初代クハ二29に代わって2代目クハニ29となり、奇しくもクハニ20形の代表車としてデハ107と共に保存展示となりました。

 

 4.保存車:ED381 (三峰口:1990年9月)

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 ED38形は元阪和電鉄ロコ1000形を前身とする国鉄買収電機です。

秩父鉄道にはED381~383の3両が集結しましたが、出力が小さい関係で新税のデキ500形の増備で廃車となり、最後まで残ったED381(注1)が保存されました。

(注1)ED381の車歴

秩父ED381←国鉄ED381←阪和ロコ1001:1930年日本車輌

 

5.保存車:デキ1 (三峰口:1990年9月)

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 デキ1形は、秩父鉄道電化時に5両導入されたウエスチングハウス社製の舶来機で当初はDC1200V仕様でした。その後国鉄の直流電化仕様に合わせてDC1500V化されました。この車両も大型機の増備で活躍の場が狭くなり、最後まで残ったデキ1(注2)が保存されました。形態は凸型38.2tで、他車のウエスチングハウス社製同様に妻面の出入り口の関係でボンネットが前後で非対称配置となっています。

(注2)デキ1の車歴

秩父デキ1:1918年ウエスチングハウス社製

 

6.保存車:デキ1 (三峰口:1990年9月)

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 いままで適当に見てきた車両達ですが、改めてじっくりと見ることができました。

それにしても、これらの保存車両をチョイスした秩父鉄道には、かなりマニアックな方が居られたのではないかと思います。しかしながら、これらの保存車両も老朽化には勝てず、つい最近、保存から30年目にして処分されたようです。非常に残念です。

 

7.1000系3連 (三峰口:1990年9月)

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 ただでさえ撮影に気合が入らなかった秩父鉄道ですが、その決定的となったのがこの1000系導入です。この車両は説明するまでもなく元国鉄101形です。旧型車の置き換え用に導入されましたが、一挙に3連が12編成も配属されて、あっと言う間に吊掛車がいなくなりました。これ以降、秩父鉄道とは縁が切れてしまい、現在に至りますが、この1000系も過去の車両になってしまいました。

第335話 1983,86年秩父:なぜか気合が入らず!!

今回は、なぜか撮影に気合の入らなかった秩父鉄道です。

秩父鉄道は路線長が70kmにも及ぶ長大路線であり、準大手のような存在だったことと、車両もそれほど面白くなかったのが気合の入らなかった理由と思います。

もともと私は電車にはあまり興味がなく、気動車ばかり追い掛けていましたが、1983年5月に廃止直前の東武鉄道熊谷線を見に行った際に、どういうわけか熊谷駅で秩父鉄道の車両を撮影していました。インスタントカメラで撮影したプリントのスキャンなので画像が粗くお見苦しい写真ですが、少々ご覧下さい。

 

1.デハ100形他4連 (熊谷:1983年5月)

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 当時の秩父鉄道は旧型車といえば、この100系(デハ100形(注1)、クハ60形(注2)、クハニ20形(注3))が存在していましたが、皆同じ顔をしており、イマイチ興味をそそりませんでした。しかし、その車歴は様々で、一筋縄では語れません。ここでも「車歴の呪縛」に翻弄されました。

(注1)デハ100形の車歴

秩父デハ101,102:1950年日本車輌製(←省マユニ29005,マユニ29006)

秩父デハ103,104:1951年日本車輌製←秩父デハ10,12:1921年梅鉢鉄工所製

秩父デハ105~107:1952年日本車輌製←秩父デハ17~19:1925年日本車輌

秩父デハ108:1952年日本車輌製←秩父デハ11←秩父クハ13:1921年梅鉢鉄工所製

秩父デハ109,110:1953年日本車輌製←秩父デハ13,14:1923年梅鉢鉄工所製

デハ100形は車両近代化名目で13両導入されました。このうちデハ101、102は新製名義ですが、実態は元鉄道省の木造客車の台枠流用と言われています。以下デハ103~113は、電化当初に製造された木造電車の鋼体化改造名義ですが、800系の増備により1983年時点では、すでにデハ111~113は廃車されていました。

 (注2)クハ60形の車歴

秩父クハ65:1953年日本車輌製←秩父クハ11:1925年汽車会社製

秩父クハ66:1953年日本車輌製←秩父クハ31←国鉄サハ25010:1919年汽車会社製

秩父クハ67:1953年日本車輌製←秩父クハ32←国鉄サハ25029←国鉄サハ23629←国鉄サハ23627←国鉄デハニ6470←国鉄デハニ6258←国鉄ナデ6108←国鉄ホデ6108←国鉄ホデ9:1909年日本車輌製(クハ67の車歴は鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり特輯第3輯による)

クハ60形は、デハ100形とコンビを組む制御車として、7両導入されましたが、この車両も恐ろしいほど複雑な過去を持つ面々でした。クハ61,63,64はサハ化されましたが、1980年に廃車となり1983年当時はクハ65~67の3両が残っていました。

(注3)クハニ20形の車歴

秩父クハニ21Ⅱ:1953年日本車輌製←秩父クハニ21:1921年梅鉢鉄工所製

秩父クハニ22Ⅱ:1951年日本車輌製←秩父クハニ22:1921年梅鉢鉄工所製

秩父クハニ23Ⅱ:1953年日本車輌製←秩父クハニ23:1925年汽車会社製

秩父クハニ24Ⅱ:1951年日本車輌製←秩父クハニ24:1921年梅鉢鉄工所製

秩父クハニ25:1952年日本車輌

秩父クハニ28:1953年日本車輌

秩父クハニ29Ⅱ←秩父クハユ31:1953年日本車輌製←秩父クハユニ31:1921年梅鉢鉄工所製

クハニ20形もデハ100形とコンビを組む荷物室合造制御車として、10両導入されました。このうちクハニ21~24,29,30は木造車の鋼体化名義、クハニ25~28は新車名義でした。1983年当時はクハニ26,27,30が廃車されていました。

 

2.デハ502他 (熊谷:1983年5月)

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 500系(注4)は1962年~1967年にかけて製造された湘南タイプのカルダン車でした。カルダン車なのでどうでも良い存在でしたがなぜか写真を撮っていました。

この500系は、1959年に急行用として製造された300系の増備車でした。300系クロスシート車ですが500系ロングシート車で、窓割とドア配置が異なり、前照灯300系は1灯に対し500系は2灯です。長距離路線なのでどちらもトイレ付きでしたが、実際は使用されていませんでした。500系はMc+Tcの2連で使用されましたがユニット車ではありませんでした。300系は1961年に中間車が増備されてMc+T+Mcの3連で使用されました。丸っこい湘南顔はどことなく富士急行の3100形にも似ていますが、ほぼ同年代で製造メーカーも同じ日本車輌なのが理由のようです。

(注4)500系(デハ500形、クハ600形)の車歴

秩父デハ501~507:1962年日本車輌

秩父デハ508,509:1967年日本車輌

秩父クハ601~603:1962年日本車輌

秩父クハ604,605:1964年日本車輌

秩父クハ606,607:1966年日本車輌

秩父クハ608,609:1967年日本車輌

 

3.クハ852他 (熊谷:1983年5月)

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 そして、この頃秩父鉄道には、800系(注5)として元小田急1800系が2連10編成も導入されていました。これも興味の湧かない原因でしたが、この車両も元を正せば戦後の国電供出車で、あの悪名高き63形の成れの果てです。

小田急時代に徹底的にテコ入れされましたが、秩父ではあまり長続きせず1990年までに全廃されました。

(注5)800系(デハ800形、クハ850形)の車歴

秩父デハ801←小田急デハ1801←東急デハ1801←国鉄モハ63050:1946年川崎車輌

秩父デハ802←小田急デハ1802←東急デハ1802←国鉄モハ63052:1946年川崎車輌

秩父デハ803←小田急デハ1803←東急デハ1803←国鉄モハ633064:1946年川崎車輌

秩父デハ804←小田急デハ1804←東急デハ1804←国鉄モハ633098:1946年川崎車輌

秩父デハ805←小田急デハ1805←東急デハ1805←国鉄モハ633088:1946年川崎車輌

秩父デハ806←小田急デハ1811Ⅱ←小田急デハ1821←国鉄モハ42004:1952年日本車輌

秩父デハ807←小田急デハ1807Ⅱ←小田急デハ1810←東急デハ1810←国鉄モハ63252:1946年汽車会社製

秩父デハ808←小田急デハ1808Ⅱ←小田急デハ1811←名鉄モ3704←国鉄モハ63129:1946年日本車輌

秩父デハ809←小田急デハ1809Ⅱ←小田急デハ1812←名鉄モ3705←国鉄モハ63131:1946年日本車輌

秩父デハ810←小田急デハ1810Ⅱ←小田急デハ1813←名鉄モ3706←国鉄モハ63123:1946年日本車輌

秩父クハ851←小田急クハ1851←東急クハ1851:1946年日本車輌製?

秩父クハ852←小田急クハ1852←東急クハ1852:1946年日本車輌製?

秩父クハ853←小田急クハ1853←東急クハ1853←国鉄モハ63317:1946年日本車輌

秩父クハ854←小田急クハ1854←東急クハ1854←国鉄モハ63319:1946年日本車輌

秩父クハ855←小田急クハ1855←東急クハ1855←国鉄モハ63305:1946年日本車輌

秩父クハ856←小田急クハ1861Ⅱ←小田急クハ1871←小田急クハ1661←国鉄モハ60050:1950年日本車輌

秩父クハ857←小田急クハ1857Ⅱ←小田急クハ1860←東急クハ1860←国鉄モハ63193:1947年汽車会社製

秩父クハ858←小田急クハ1858Ⅱ←小田急クハ1861←名鉄ク2704←国鉄モハ63272:1946年近畿車輌

秩父クハ859←小田急クハ1859Ⅱ←小田急クハ1862←名鉄ク2705←国鉄モハ63274:1946年近畿車輌

秩父クハ860←小田急クハ1860Ⅱ←小田急クハ1863←名鉄ク2706←国鉄モハ63276:1946年近畿車輌

800系は、デハ801+クハ851~デハ810+クハ860の2連で使用されました。秩父鉄道初の4ドア車で完全な通勤仕様車でしたが、所詮旧国の成れの果てで、くたびれた吊掛車だったので、既存の旧型車もろとも元国鉄101系に置き替わりました。

ところで、この車両も車歴がはっきりしない部分があります。例によっていろんな文献で諸説確認しましたが、何が本当か?今回列挙した車歴もどこまで本当か自信がありません。本当のことがわかる方がいらっしゃったらご教示願います。

 

4.100系4連 (武州日野武州中川:1986年2月)

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 さて、この写真から1986年となり、まともなカメラでの撮影です。この写真もわざわざ撮影に出向いたものではなく、秩父方面へトロッコの散策に出向いた時に撮ったもので、まったく気合が入っていません。しかし、100系はこの頃が最後の活躍時期でした。

 

5.クハ609+デハ509 (武州日野浦山口:1986年2月)

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 ついでに500系も撮っていましたが、正面に陽も当たらず、いかに適当だったのかが良くわかります。

 

6.デハ509+クハ609 (武州中川:1986年2月)

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 しかしながら、500系の写真もこれだけです。

ところでこの写真を撮った武州中川には、複線索道のトロッコ軌道がありました。実はこの日、そのトロッコ軌道を見に出かけたのですが残念ながらすでに廃止されたようで、走っていませんでしたが、複線の軌道はまだ残っていました。

 

7.デキ507 (秩父:1986年2月)

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 そして秩父鉄道と言えば貨物です。しかし電気機関車も画一化されており、これも興味が湧きません。

1986年時点、電気機関車はデキ100形が8両、デキ200形が2両、デキ300形が3両、デキ500形が7両在籍していました。メーカーは全て日立製作所製です。

デキ106,107は元松尾鉱業の車両でしたが、それ以外は全て自社発注車です。形態は皆同じような箱型デッキ付きのいわゆるEDタイプで、デキ101は48t機、デキ106,107が49.5t機で、それ以外は50t機です。

写真のデキ507はデキ500形(注6)の最終増備車で、現在も健在です。

(注6)デキ500形の車歴

秩父デキ501,502:1973年日立製作所

秩父デキ503,504:1979年日立製作所

秩父デキ505~507:1980年日立製作所

第334話 1988年南部縦貫:七戸の五右衛門風呂(その4)

この日は、午前中の列車を森田牧場~営農大学間で撮影しました。

結局、快晴ではありませんでしたが、陽の向きを気にせず落ち着いて撮影が出来ました。

 

1.キハ102 (森田牧場:1988年5月)

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 森田牧場前を出発した野辺地行の2番列車です。この辺りで朝から集中して撮影できたのは、やはり七戸に宿泊した効果でした。素泊まり2000円の白鳥旅館は設備がどうであれ結構利用価値がありました。

 

2.キハ102 (森田牧場~営農大学前:1988年5月)

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 午前の2往復目の列車が戻ってきました。

乗客が数名乗車しており、森田牧場前で下車しました。GWだったので皆さん同好者風でしたが、ここで降りても次の列車は2時間以上来ません。どうするつもりなのか?これで午前中の走行撮影は終わりです。私は、国道に出て例の路線バスに乗り、七戸に戻りました。

 

3.キハ102 (七戸:1988年5月)

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 七戸に戻り、車庫内で再び撮影を行いました。

今回は3回目の訪問になりますが、以前の訪問時は2回ともキハ101が運用に入っていたので、キハ102に乗車するのも撮影するのも今回が初めてでした。

 

4.キハ102車内 (七戸:1988年5月)

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 キハ101と102は同時に製造されたので全く同じ双子車両でしたが、長年の使用によりそれぞれ改修が入り、多少の相違が生じていました。例えば車内の床材もキハ101は市松模様ですが、このキハ102は無地の灰色でした。

 

5.キハ101 (七戸:1988年5月)

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 この日は、キハ101がお休みでした。この車庫は現在も、レールバスともども健在です。

南部縦貫のレールバスは1962年製でした。バスの車体ベースなので10年も使用すれば十分な車両のはずですが、この時点ですでに26年も使用されていました。大事に使用されていましたが、痛みが散見されました。部品の確保も大変だったと思いますが、路線休止の1997年5月まで35年間使用され、その後2002年に路線は廃止となりましたが、現在に至るまで動態保存が続いており、御年58歳になります。

 

6.DC251、D451 (七戸:1988年5月)

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車庫内の撮影を終えて、この日は午後からお隣の十和田観光電鉄を訪問しました。

十和田観光電鉄には、例の路線バスが大変便利で、七戸から十和田市まで30分くらいでした。(1988年5月の十和田観光電鉄の様子は、第234~236話をご覧ください。)

現在は営農大学付近に東北新幹線七戸十和田駅があり、遠かった七戸も東京から日帰り圏内となりましたが、ここに新幹線の駅ができるとは、30年前には夢物語のような話でした。

 

 

第333話 1988年南部縦貫:七戸の五右衛門風呂(その3)

南部縦貫鉄道の始発が間もなく発車します。これを撮影するため、構内の外れまで先回りしました。後方の山並みは霞んでいますが、朝もやは徐々に晴れて春らしい天気となり、この日もはりきって走行撮影の開始です。

 

1.キハ102 (森田牧場前~七戸:1988年5月)

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 ほどなく、軽快なクラクションを鳴らしてレールバスがやって来ました。

少しまわりの景色を広く撮ってみましたが、レールバスがあまりにも小さ過ぎてただの風景写真になってしまいました。

 

2.キハ102 (森田牧場前~七戸:1988年5月)

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 しかし、列車本数が少ないのでここは何も考えずに連写です。車内には数名の乗客が乗っていました。とりあえず利用客がいるようで安心しました。

 

3.キハ102 (森田牧場前~営農大学前:1988年5月)

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 続いて、森田牧場まで歩き、お馴染みの直線区間で撮影です。朝のうちは少し晴れましたが、また曇ってきました。

 

4.キハ102 (森田牧場前~営農大学前:1988年5月)

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 前回訪問時は夏でした。周りの木々は鬱蒼としていましたが、今回は早春らしく新緑が目立ちます。例によって、重いズームレンズで仁王立ちハンドドライブの連写です。

 

5.キハ102 (森田牧場前~営農大学前:1988年5月)

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 今回も縦位置にチャレンジです。辛うじて手振れもなく、ピントもまあまあの出来でした。線路に咲くタンポポの花が良いアクセントです。

 

6.D451、キハ102 (七戸:1988年5月)

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この時期、七戸のあたりも桜が見頃でした。 

 

7.キハ102 (森田牧場前~営農大学前:1988年5月)

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 南部縦貫鉄道の沿線で桜の名所は、営農大学です。

南部縦貫鉄道は、営農大学の敷地内を横断していました。花曇りでしたが、ちょうど桜並木の横を走っていたので、レールバスと桜の組合せが撮れました。

第332話 1988年南部縦貫:七戸の五右衛門風呂(その2)

 南部縦貫鉄道の七戸駅では、朝っぱらから車庫内の留置車両を撮影し、レースバスの出庫を待ちました。

 

1.DB11 (七戸:1988年5月)

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 大きなスノープローを付けたモーターカーが居ました。富士重工製の除雪車ですが、一応車籍もあり、冬季は営業時間帯に堂々と本線の除雪を行っていました。もう雪のシーズンも終わり、そろそろ夏の姿に変身する時期です。

 

2.キハ102 (七戸:1988年5月)

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レールバスがようやく庫から出てきました。南部縦貫鉄道の一日の始まりです。この日の運用も昨日と同じキハ102でした。 

 南部縦貫鉄道レールバスは2両在籍していましたが、1日5往復の運用では1両で十分だったので、この2両を半年交代で使用されていました。この当時の在籍車には、もう1両元国鉄キハ10形のキハ104がいましたが、20m車で燃費も悪く、そもそもレールバス1両で十分だったため、ほとんど使用されずに庫内で休眠状態でした。

 

3.キハ102 (七戸:1988年5月)

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出庫列車は、一旦構内の外れまで進み、本線に入線してから折り返して七戸駅のホームに入ります。かつては貨物輸送も行っていたので、構内の有効長は意外と長く、レールバスの出庫は全速力で行っていました。

 

4.キハ102 (七戸:1988年5月)

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 まだ朝もやが掛かり、スッキリしません。露出が厳しい撮影となりました。この時期の七戸は、晴れるとたいてい朝もやが出てスッキリしません。

 

5.D451、キハ102他 (七戸:1988年5月)

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 始発列車が入線しました。 もうまもなく野辺地行の始発が出る時間ですが、お客さんはいないようで、非常にノンビリしていました。

 

6.キハ102、DC251 (七戸:1988年5月)

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この日はこの列車には乗らず、沿線を歩きながらの撮影です。徐々に晴れて来たので、まずはこの始発列車を少し先の田園地帯で撮影することにしました。

 

第331話 1988年南部縦貫:七戸の五右衛門風呂

今回は、1988年GWの東北地方ローカル私鉄早回りで立ち寄った南部縦貫鉄道です。

この日は午前中に栗原電鉄を訪問した後、東北本線を延々と北上して夕刻に野辺地に到着しました。宿を取っておらず、野辺地に泊まるつもりでしたが、公衆電話の電話帳(まだ携帯電話も普及していない頃です)で目に付いたのが七戸の旅館でした。翌日の撮影を考えて七戸に泊まることにし、最終のレールバスで七戸に向かいました。

 

1.キハ102 (野辺地:1988年5月)

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 七戸行きの最終列車は、18:50発でした。数人の乗客を乗せて出発しましたが、天間林あたりで皆降りてしまい、七戸まで乗ったのは私だけでした。

 

2.南部縦貫鉄道野辺地駅 (野辺地:1988年5月)

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 七戸に着いた時は、もうすっかり陽は暮れて真っ暗でした。

宿は取れていましたが、誰もいない真っ暗な七戸駅前は非常に心細く感じました。私が泊まる旅館は、駅前ではなく市街地の方なので、暗い夜道を歩きました。ところで予約した旅館ですが、到着してビックリ、ものすごい旅館でした。今もあるのか?わかりませんが、白鳥旅館というハイカラな名前でしたが、看板がなければ通過してしまいそうな、実態は農家の母屋というか、茅葺屋根の大きな木造2階建てでした。中に入ると昔の造りで相当デカイ建物でした。部屋は迷路のような廊下と階段を2カ所あがった、屋根裏のような2.5階?の消防法に抵触しそうな部屋でした。一応畳敷きの個室にはなっていました。そして風呂は当然の共同浴場で、なんと土間に置かれた五右衛門風呂。今どきの人に五右衛門風呂と言っても、恐らく通じないでしょう。さらにトイレは標高差のある汲み取り式で、用を足して時間差で落下物が着地する音が聞こえました。

いったい何部屋あるのかわかりませんが、GWにもかかわらず泊まっていたのは私一人だけのようでした。当時のメモによると、素泊まり一泊2000円。とにかく座敷童が出て来そうな宿でしたが、一泊だけの辛抱です。

 

3.南部縦貫鉄道本社兼七戸駅 (七戸:1988年5月)

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 座敷童にも会わず翌朝となりました。とっとと宿を出ましたが曇り空です。

早朝から七戸駅に出向きましたがまだ営業前で駅は閉まっていました。

 

4.D451 (七戸:1988年5月)

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 早く来すぎたようで、することもないので構内に留置してあった失業機関車の撮影を行いました。

 

5.DC251 (七戸:1988年5月)

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 構内にはD451とDC251が居ました。この2両は1984年の貨物廃止以来まったくの失業状態です。長らく庫内に閉じ込められていましたが、なぜか追い出されてしまい使われていないホームで、買い手を待つ展示状態のようです。

 

6.DC251 (七戸:1988年5月)

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 国鉄が貨物の合理化を挙行し、各地で機関車達が失業しました。それからは機関車が余剰となり、どこの鉄道も失業した機関車の扱いに悩んでいましたが、なかなか買い手がつかないようで、大抵は保線用や除雪用に成り下がるか、廃車解体の運命でした。