ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1489話 1997年大井川:吊掛でもカルダンでも、何でも来い!(その3)

この頃の大井川鉄道は、老朽化した電車の置換えを進めていました。そろそろ大手私鉄から初期のカルダン車が放出され始めたので、京阪3000系や南海21000系などが導入されましたが、伊豆箱根1000系初期車や近鉄養老線421系など吊掛車も導入されました。何を目的に様々な車両を購入されているのかよくわかりませんでしたが、要はちゃんと走れば、吊掛でもカルダンでも、何でも来い!と、言ったところです。

 

1.モハ311+クハ511 (新金谷:1997年12月)

さて、運用が気になるこの電車ですが、転線が始まりました。このまま本線へ出て行けば、この日の運用に入りますが、どうでしょうか。

 

2.モハ311+クハ511 (新金谷:1997年12月)

ポイントを渡り、これは運用に入ると確信したのですが・・・エッ、戻り始めました。結局、庫に入ってしまい、どうやらこの日は列車検査の様です。残念!!

 

3.モハ3008+クハ3507 (新金谷:1997年12月)

続いて、京阪特急が出て来ました。富山地鉄に続く京阪の中古車放出をゲットした大井川鉄道でしたが、1本だけとは中途半端でした。しかし、この頃は大井川鉄道で一番新しく綺麗な電車でした。撮るなら吊掛車ですが、乗るならこの電車でした。

 

4.モハ3008+クハ3507 (新金谷:1997年12月)

京阪特急は、そのまま本線へ出て行きました。この日の本線はカルダン車ばかりなのか?。期待薄ですが、この後は吊掛車の撮影のため本線へ繰り出しました。

 

5.モハ21003+モハ21004 (笹間渡~抜里:1997年12月)

そして、ここはいつもの抜里です。早速やって来たのは最新のアオ虫第2編成でした。この日は、もう1本アオ虫が走っています。なんだか、カルダン車ばかりなのかも知れません。

 

6.モハ1001+クハ2001 (笹間渡~抜里:1997年12月)

そして、山を下って来たのは元伊豆箱根です。これも趣味的には面白くない部類です。しかし、一見して新しそうな電車ですが、一応吊掛車です。もしかして、走っている吊掛車はこれ1本だけか?。ところで、この電車は、その後事故に遭遇して、1999年に廃車となりました。

第1488話 1997年大井川:吊掛でもカルダンでも、何でも来い!(その2)

さて、新金谷の留置客車をサラッと眺めたら、次は電車です。この日は大晦日でした。しかし、行楽シーズンではないので、電車の増結はなさそうでした。よって、昼寝の電車が多そうですが、吊掛電車は走るのか?

 

1.E102 (新金谷:1997年12月)

SL列車の入替えが終わったE102が側線で休んでいました。久々のアップ撮影です。この頃の大井川鉄道の電気機関車はE10形が3両在籍していました。E101とE102は同型の三菱電機製、E103は少し角ばった日立製作所製です。その3両の中で私が一番好みだったのは、このE102です。E101とE102の外観上の違いは、第62話に写真をアップしましたが、E102は前面窓に庇がついています。

 

2.モハ311+クハ511他 (新金谷:1997年12月)

再び車庫を覗くと、吊掛車のモハ311がパンタを上げていました。果たして走るのか?。もしかして転線だけなのかも知れません。よって、まだ喜べません。

 

3.モハ21003+モハ21004 (新金谷:1997年12月)

こちらは、この年の8月に新たに増備された2本目のズームカー(アオ虫)です。健脚なこの電車は、もうすっかり大井川の主力車になっていました。しかしながら、この電車の投入で、元名鉄の吊掛車であるモハ3822+クハ2822が廃車になりました。

 

4.モハ21003+モハ21004 (新金谷:1997年12月)

この電車はこれから営業に入る様で、新金谷駅のホームへ出て行きました。ところで、もう1本のアオ虫は車庫内にいないので、すでに本線に出ている様でした。そなると、この日の運用列車のうち、2列車はアオ虫です。

 

5.モハ21001+モハ21002 (新金谷:1997年12月)

・・・と、思っていたら、早速もう1本のアオ虫が登場です。この電車は青いヘッドマークなので、すぐにわかりました。

 

6.モハ21003+モハ21004 (新金谷:1997年12月)

その次の営業列車に2本目のアオ虫が入りました。この年の夏頃まで、私は本家である南海電車のアオ虫を追いかけていましたが、再び大井川まで来てアオ虫を追いかけることになるとは思いませんでした。しかし、できればアオ虫を2本走らせるのではなく、1本は残っていた元名鉄の吊掛車であるモハ3829+クハ2829を走らせてもらいたいのが本音でした。

第1487話 1997年大井川:吊掛でもカルダンでも、何でも来い!

この頃の大井川鉄道は、第1396話 ~第1399話でもお伝えしましたが、ちょっと前の関西私鉄電車の博物館と化していました。これが気になって、この年は年末にも大井川を訪れました。

 

1.E102、旧型客車群 (新金谷:1997年12月)

もう観光シーズンは終わったので、普段通りの大井川鉄道ですが、SL列車は走る様でした。まずは、新金谷の留置線に客車を見に行きました。

 

2.E102の旧型客車入替え (新金谷:1997年12月)

この日走るのは、この3両編成の様です。先頭に立つE102は客車の入替え用ですが、私の本音は、このままEL列車として本線を走って欲しかったです。

 

3.旧型客車群 (新金谷:1997年12月)

客車の入替えが始まり隣の編成が現れました。この編成は、この日はお休みです。しかしながら、国鉄旧型客車は壮観です。手前からオハ3522、2両目は張り上げ屋根、ノーヘッダー試作車のオハ35149です。その後ろの青い客車はスハフ42形でしょうか?

 

4.オハ3522 (新金谷:1997年12月)

元国鉄オハ35系客車(注1)はオハ35形8両とオハフ33形2両が在籍していました。この時点では戦前製の車端丸屋根車の7両は焦げ茶色で、戦後製切妻のオハ35857だけが青色塗装でした。

 

5.オハ35559 (新金谷:1997年12月)

(注1)オハ35系の車歴

・大井川オハ35459←国鉄オハ35459←国鉄スハ35198:1941年日本車輌製

・大井川オハ3522←大井川オハ352022←国鉄オハ352022←国鉄オハ3522←国鉄スハ33671:1939年日本車輌製

・大井川オハ35149←大井川オハ352149←国鉄オハ352149←国鉄オハ35149←国鉄スハ33798:1940年小倉工場製

・大井川オハ35435←大井川オハ352435←国鉄オハ352435←国鉄オハ35435←国鉄スハ33174:1941年日本車輌製

・大井川オハ35559←大井川オハ352559←国鉄オハ352559←国鉄オハ35559:1942年日本車輌製

・大井川オハ35857←大井川オハ352857←国鉄オハ352857←国鉄オハ35857:1946年日本車輌製

・大井川オハフ33469←国鉄オハフ33469:1948年日立製作所製

・大井川オハフ33215←大井川オハフ332215←国鉄オハフ332215←国鉄オハフ33215←国鉄スハフ34934:1941年川崎車輌製

※大井川鉄道移籍時の車番は国鉄時代の車番を踏襲、なお、大井川移籍時に2000番台の車両は電気暖房搭載車であるが、後に電気暖房搭載前の車番に変更した。国鉄時代の改番は軽量化に伴う形式変更。

 

6.E102の旧型客車入替え (新金谷:1997年12月)

この頃の電気機関車はSL列車の黒子として、SL列車の補機や入替えに従事していましたが、世間ではSLに比べてELの価値観が低かった様で、まだEL列車の発想がありませんでした。しかし、デッキ付きのELが牽く旧型客車は入替えとは言えとても渋く、思わず連写してしまいました。

近況編21-3 2026年京成(金町):京成電車の整形電車(その3)

京成電鉄金町線の3500形、3600形は金町線専属と思っていましたが、4月に確認したら違う編成が充当されていました。

 

1.3544編成、3518編成 (柴又:2026年4月)

この日の金町線には、整形電車の3500形が2本走っていました。柴又駅では3500形の並びを見ることができましたが、この電車は昔の面影がありません。

 

2.3668編成 (高砂~柴又:2026年2月)

金町線の沿線を歩いていて、スッキリした形式撮影ができる場所がないか探してみました。その結果、柴又~高砂間の複線区間に、沿道から編成を撮影できる場所がありました。この写真がその場所で撮ったものです。

 

3.3516編成 (高砂~柴又:2026年2月)

以前の金町線は高砂~柴又間が複線で、柴又~金町間が単線でしたが、現在は高砂駅の高架化により、高砂~柴又間の複線を利用して、上り線は入出庫線となり、下り線のみが高架化された高砂駅に繋がっています。

 

4.3668編成 (高砂~柴又:2026年2月)

この写真は柴又駅を出発した高砂行の列車が複線区間の渡り線を通り、高架線に向かうところです。

 

5.3516編成 (高砂~柴又:2026年2月)

この写真は金町行の列車が高架線を下って直進し、柴又駅に向かう後追い写真です。

 

6.3508編成 (柴又:2026年4月)

これは柴又駅に入線する3500形の高砂行で、柴又駅のホームから望遠撮影したものです。整形電車は改めて見ると、ずいぶんケバイですね!。しかしながら、なくなってしまうと寂しくなります。

 

7.3600形6連 (関屋~堀切菖蒲園:2021年11月)

さて、ちょっと前ですが、この写真は2021年に街歩きしていた際に、荒川橋梁でスマホで撮影したものです。なにげなく撮った写真は3600形のオリジナル塗装車でした。

 

8.3500形6連 (関屋~堀切菖蒲園:2021年11月)

これも同じ時に撮った整形電車の6連です。3600形に比べて、やはりケバイですね。私は最近の京成電車の実態を知りませんが、3500形は廃車が進み数年内には消滅とのことです。

近況編21-2 2026年京成(金町):京成電車の整形電車(その2)

もう40年以上も前のことですが、私は京成ユーザーだった頃がありました。しかし、京成電車の写真などまともに撮ったことなどありません。理由は大手私鉄の電車に興味がなかったことと、当時の京成電車の印象があまり良くなかったからです。

 

1.3516編成 (柴又:2026年2月)

あの頃の京成電車の印象は、競馬新聞、カップ酒、オッサンです。要はギャンブラー電車でした。センター競馬場前や東中山から乗って来るオッサンを見ていると、なんとなく勝敗がわかります。カップ酒片手に魚肉ソーセージをかじっている人は負けですね!

 

2.3668編成 (柴又~金町:2026年2月)

果たして現在はどうでしょうか?。成田空港のパワーで、すっかりグローバル化した感じですが、私にはイメチェンに励むハリボテのグローバルにしか見えません。しかし、今となっては、網棚の回し読みされた競馬新聞や車内をコロコロ転がっていたカップ酒の空き瓶が懐かしいです。

 

3.3668編成 (柴又~金町:2026年2月)

さて、現在の金町線は2列車運用で日中は15分間隔の運転です。列車は4両編成の3500形か3600形が走っている様ですが、いずれもワンマン運転です。全線2.5㎞で中間駅は柴又の1駅だけで、柴又で列車交換を行います。

 

4.3516編成 (柴又~金町:2026年2月)

頻繁に行ったり来たりする電車を見ていると、本当にここに帝釈天人車鉄道が通っていたのか想像ができません。帝釈天人車鉄道については、号外2026.05.05~に記しましたが、帝釈天の庚申の日には、1日に1万人を超える参拝客が人車鉄道を利用したそうですが、庚申でない日は1日に100人程しか利用客がいなかったそうなので、恐らくその頃のこの沿線は原野だったのでしょう。

 

5.3668編成 (柴又~金町:2026年2月)

しかし、現在は住宅がビッシリ建て込んでおり、この写真の右側には金町浄水場があります。金町はタワーマンションも建つほどの都会になりました。

 

6.3516編成 (柴又~金町:2026年2月)

金町から柴又方面に歩くと、都道501号沿いの直線だった線路は、柴又の手前で少し西にカーブします。この線形は帝釈天人車鉄道の名残りの様ですが、このカーブの先辺りが人車鉄道の終点だった様です。人車鉄道の終点は、現在京成電車の柴又駅の構内になっており、人車鉄道の面影は全くありません。

 

7.3516編成、3668編成 (柴又:2026年2月)

ここは柴又駅です。元似たもの同士の3500形と3600形の並びです。こうして見ると3500形の整形はとてもケバイです。このケバさが往年のギャンブラー電車を彷彿させます。

近況編21-1 2026年京成(金町):京成電車の整形電車

今年のGWに号外で帝釈天人車鉄道のレプリカ客車の話題をお伝えしましたが、それを見に行った時に帝釈天人車鉄道の路線だった現在の京成電鉄金町線沿いを歩きました。既に人車鉄道の遺構や面影などは全くなく、ただ京成電車が行ったり来たりするだけの、なんの魅力もない路線でしたが、3500形が走っていました。

 

1.3516編成 (柴又:2026年2月)

この3500形はなんと現在の京成電車で一番古い車両になってしまいました。実は、私は若い頃に京成電車のユーザーだった時期があり、3500形にもよく乗りましたが、同時期に走っていたファイヤーオレンジの電車はもういません。なんだか懐かしくなり、写真を撮ってしまいましたが・・・。

 

2.3516編成 (柴又:2026年2月)

ところで、現在の3500形は当時から容姿が激変して、全く別の電車になっていました。これは京成電車と言うより整形電車です。

 

3.3533編成 (京成上野:1977年8月)

ちなみに1977年に撮影した3500形の元の姿がこれです。元の姿はつまらない切妻でしたが、整形手術後はアブの様な昆虫顔になってしまいました。

 

4.3668編成 (金町:2026年2月)

そして、この日の金町線には、もう1本、3500形モドキの3600形が走っていました。私が京成ユーザーだった頃、ちょうどこの電車が新製投入されました。たしか京成初の界磁チョッパ車でしたが、いつの間にかVVVFに更新されたそうです。

 

5.3668編成 (柴又~金町:2026年2月)

3600形はまだ軽量ステンレスカーではなく、腰板にコルゲートが付いた旧来の造りです。3500形に比べると製造時期が10年以上遅いので、なんとなく東急8500系に近い印象ですが、この折妻の顔は何だかアンバランスでブサイクです。しかし、この電車は整形対象ではなさそうです。

 

6.35168編成 (柴又~金町:2026年2月)

さて、金町線に沿って歩いていると同じ番号の車両しか来ません。あとでわかりましたが現在の金町線は本線との直通列車はなく、折り返し列車しか走っていません。

 

7.3516編成 (柴又~金町:2026年2月)

金町線は高砂駅のホームが高架上に移設されて改札も独立しており、完全に支線になってしまいました。

第1486話 1996年阪堺:どうした東西線!!(その3)

大道筋の南端であるこの場所は、川を挟んで交差点になっており、電車の撮影がしやすいので、もう少し撮影を続けました。

 

1.モ161 (東湊~御陵前:1996年12月)

このモ161は現在旧塗装のグリーン一色に戻されて、阪堺電車のお宝として崇められていますが、30年前はこんな紅白電車でした。そして、モ121形がモ601形に生まれ変わったあと、このモ161形は居残りました。やはり阪堺電車もLRVの導入を意識していたのでしょうか。

 

2.モ706 (東湊~御陵前:1996年12月)

「すしの子」電車が登場しました。この電車はさっきまで貸切で走っていたはずですが、こんどは一般の営業列車です。

 

3.モ355 (東湊~御陵前:1996年12月)

さて、専用軌道に踏み込みました。この先は道路信号もなく、電停間の距離が長くなり、どの電車もノビノビと走っていました。しかしながら、気になっていたのは、どの電車もガラガラです。

 

4.モ351 (東湊~御陵前:1996年12月)

この先は浜寺駅前まで4㎞程の専用軌道となりますが、それまで300~400mだった電停間隔が急に長くなり、概ね1㎞を超えます。

 

5.モ129 (東湊~御陵前:1996年12月)

電停間隔が長いので古い電車も吊掛音を豪快に響かせて走っていました。

 

6.モ351 (石津~東湊:1996年12月)

この頃、東湊~石津間は1.3㎞もあり南海電車の駅間並みでした。そんなに距離があると言うことは、利用客がいないと言う事でしょうか?。しかし、現在は中間に石津北と言う電停ができた様です。果たして利用客は増えたのか?。

 

7.モ169 (石津~東湊:1996年12月)

もう郊外電車の雰囲気ですが、この辺りに住んでいる人は、大阪方面に向かう場合は、恐らく南海電車に乗ると思います。この付近は阪堺電車と南海電車は200~300m程離れて並行しています。南海電車は湊駅や石津川駅が最寄です。そして、堺市役所がある堺東へはバスなのか?。何となく阪堺電車の堺市内における存在価値と言うのか位置付けが曖昧なように思えます。やはり東西線を設けて阪堺電車の付加価値を高めて欲しいところですが、このご時世では厳しいのでしょうか。