ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第625話 1990,92年北陸(浅野川):ブサイク達のその後

北陸鉄道石川線は1990年に東急7000系を導入して車両の体質改善をはかりましたが、浅野川線は相変わらずでした。

1990年の石川線旧型車の最後の様子を第324話~第330話でお伝えしましたが、その際に浅野川線にも少しだけ立ち寄っていましたので、その様子を報告します。

 

1.モハ3501、モハ5101 (内灘:1990年5月)

f:id:kk-kiyo:20200906053158j:plain

この日は雨でした。本命は石川線の旧型車撮影でしたが、雨ではまともな撮影も出来ないので、とりあえず浅野川線をのぞきに行きました。

浅野川線も雑多な旧型車の巣窟でしたが、こちらはまだ車両の体質改善は聞こえていませんでした。在籍車両も初めて訪問した1986年とほぼ同じで、目立った改造もありませんでした。 

 

2.モハ3563 (内灘:1990年5月)

f:id:kk-kiyo:20200906053103j:plain

 温泉電気の生き残りだったモ3563は、相変わらず予備車として車庫に待機していました。冬場は除雪車として活躍していましたが、夏場はほとんど走らず車庫で昼寝の毎日です。しかし綺麗に整備されていました。

 

3.モハ5101 (内灘:1990年5月)

f:id:kk-kiyo:20200906053221j:plain

 モハ5101はもともと石川線の車両でした。3両製造されましたが、モハ5101だけが浅野川線に移り、石川線に残った2両はモハ3760形に改造されて、モハ5101とは異なるスタイルになりました。しかし、モハ3760形は石川線に東急7000形が導入されたら、もしかすると浅野川線に転籍するかも知れませんでした。そうなるとこのモハ5101の先が危ぶまれます。

 

4.モハ3201+クハ1001 (内灘:1990年5月)

f:id:kk-kiyo:20200906053247j:plain

生まれは同じ兄弟車両のモハ3201+クハ1001は、一時期泣き別れになっていましたが、再び浅野川線で合流し、仲良くコンビを組んでいました。しかし、いつの間にかモハ3201は車体更新で近代的なスタイルになりましたが、クハ1001は中途半端にブサイク化されてしまい、まさかの兄弟車になってしまいました。

 

5.モハ3011 (内灘:1992年8月)

f:id:kk-kiyo:20200906053323j:plain

 そして、ここからは1992年となります。この時も北陸地方のローカル線早回りの途中でしたが、石川線東急7000系が導入されて、その後どうなったかを確認するために浅野川線石川線に出向きました。しかし、またもや雨でした。

浅野川線に出向いた目的は、石川線から旧型車が転属していないかを確認するためでしたが、見た感じ影響なしの様でした。このブサイク顔のモハ3011も健在でした。

 

6.モハ3501+クハ1 (内灘:1992年8月)

f:id:kk-kiyo:20200906053402j:plain

 天気が良ければ沿線撮影でもしようかと思っていましたが、雨ではどうにもならず、取り急ぎ、内灘の車両を撮影して早々石川線に移動です。

第624話 1988年筑波:真鍋の残照(その2)

誰もいない真鍋機関区は異次元の空間でした。

なんだか見てはいけないモノを見てしまった感じです。

 

1.キハ541 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830151923j:plain

 キハ541は、路線廃止よりも一足早く1985年に廃車されましたが、解体されることなく放置され、廃止後も居残りました。奇妙なバケットカーですが、なんとも異様な光景です。

 

2.キハ762、キハ763、キハ761他 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830151946j:plain

 こんな時に、雄別三兄弟(キハ760形)の並びが撮れました。道産子とはいうものの、筑波で過ごした期間の方がはるかに長かったこの3両ですが、仲良く生涯を共に閉じました。

 

3.キハ541+キハ511 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830152005j:plain

 キハ541は、以前にもお伝えしましたが、元北陸鉄道能登線からやって来た気動車です。元々が客車だったクセモノです。1957年製なので、キハ760形と同じ歳ですが、このスタイルは新しいのか古いのか微妙な風貌です。

 

4.キハ541+キハ821 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830152025j:plain

 キハ541の左側にはSL時代の給水塔が残っていましたが、やけにキハ541とマッチしていました。

 

 

5.キハ511 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830152043j:plain

 キハ511は元西のライバル江若鉄道からやって来た唯一の原型を留める生き残りでした。筑波鉄道分離時には、龍ヶ崎線で使用する計画だったようで、車籍はしばらく関東鉄道のまま保管されていましたが、結局、筑波に残ることになり、廃止まで活躍しました。憎めない愛嬌のあるブサイク車両でしたが、運行の機会は少なく、走行撮影は叶いませんでした。

 

6.真鍋機関区全景 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830152106j:plain

 一体いつまでこの状態が続くのか? 残された気動車は、成仏できない地縛霊の様でした。

ところで、廃止時にいた車両で姿が見えなかったのは、キハ301とキハ503~505です。これらの車両は廃止後に関東鉄道常総線に引き取られましたが、再起したのはキハ301だけで、キハ503~505は、常総線で仲間のキハ501,502と合流したものの入籍することなく解体されてしまいました。すばらしい車両だったのに残念です。

そう言えば、キハ461もいません。キハ461は唯一元国鉄キハ41000系の原型を維持する車両だったので、1985年の廃車以降も保存目的で保管されていましたが、この車両は廃止後に保存のため、つくば市内に移転していました。その後は黎明期の国鉄機械式気動車として、鉄道博物館に殿堂入りしたことは周知のとおりです。

 

7.廃線撤去作業 (土浦~真鍋:1989年12月)

f:id:kk-kiyo:20200830152129j:plain

 そしてこの写真は、翌年の12月です。

まだ気動車達は真鍋にいるのか?土浦から廃線をたどりましたが、途中線路の撤去作業に遭遇しました。さらに数百mほど進み、真鍋機関区を眺めましたが、もう見慣れた景色はなくなっていました。これが現実です。よって、真鍋まで行く必要もなくなり、そこで引き返しました。これが最後の筑波訪問となりました。

第623話 1988年筑波:真鍋の残照

筑波鉄道は1987年4月1日に廃止されました。その最後の様子は第429話~第432話でお伝えしましたが、廃止後の車両の動向が非常に気になっていました。しかし、キハ301だけが関東鉄道常総線で再起した以外は音沙汰がなく、1年後のある日に、その後どうなったか真鍋を目指しました。

 

1.廃止1年後の真鍋機関区全景 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830151536j:plain

 土浦から廃線跡を歩きましたが、レールはそのままでした。そして廃線跡の前方には見慣れた光景が・・・。

あたかも現役のごとき、真鍋の残照です。

 

2.キハ762+キハ821他(真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830151607j:plain

廃止から1年が経っていましたが、全く現役の頃と変わりません。いつもの様に撮影許可を得るため事務所に出向きましたが誰もいません。当然です。よって、悪しからず撮影させて頂きました。しかし、誰もいない機関区はやはり異様な空間でした。

 

3.キハ761+キハ812他 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830151630j:plain

 間もなく出庫しそうなキハ761です。なんだか夢を見ているのか、狐につままれた心境でした。しかしながら、この整然とした佇まいは、廃止後も誰かが整備されている様でした。

 

4.キハ812の車内 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830151652j:plain

 キハ812の車内は廃止当時のまま時間が止まっていました。中吊り広告も廃線時のままです。ちゃんと掃除もされている様です。

 

5.キハ761の車内 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830151712j:plain

 キハ761の車内もそのままです。いつでも走れそうです。もしや、これらの車両は買い手を待っているのか?しかし、この頃はJRのローカル線廃止によって余剰となったキハ20系などの中古車が出回り初めており、とても菱枠型台車を履いた雑多な気動車など買い手は現れません。

 

6.DD502 (真鍋:1988年4月)

f:id:kk-kiyo:20200830151743j:plain

 庫内にはDD502がいました。プレートや前照灯が外されており、解体途上なのか?

作業場も廃止時のままです。なんとなく、廃止後放置されていた井笠鉄道の鬮場車庫を思い出します。

第622話 1992年豊橋:乗り換えのついでに!!(その2)

 今回は2度目の訪問となった豊橋鉄道の1992年の状況です。

この日も「ついで」と言うか、近鉄北勢線養老線撮影の帰り道でした。しかし、この日はもう夕方だったので、渥美線には寄らずに、とりあえず市内線だけの訪問です。

 

1.モ3702 (赤岩口:1992年5月)

f:id:kk-kiyo:20200828100719j:plain

 なぜ、市内線を優先したかというと、このモ3702(注1)を見るためでした。この車両も元名古屋市電ですが、日本初の半鋼製低床ボギー電車とのことで、いつなくなってもおかしくない古い車両だったからです。

 

2.モ3702 (赤岩口:1992年5月)

f:id:kk-kiyo:20200828100740j:plain

(注1)モ3702の車歴

豊橋モ3702←豊橋モ702←名古屋市1204:1927年日本車輌

モ3700形は、もともと4両が1963年に名古屋市から移籍しましたが、このモ3702だけが生き残り、訪問時すでにイベント的な存在になっており、ギャラリー電車になっていましたが、辛うじてオリジナル塗装モドキで健在でした。この日は運用されておらず、残念でしたが何とか撮影できました。

 

3.モ3704廃車解体 (赤岩口:1992年5月)

f:id:kk-kiyo:20200828100757j:plain

 そして、もう1両のモ3704は、路線縮小のあおりで10年間も赤岩口の留置線に放置されていましたが、復活することなく、ちょうど解体中で哀れな姿でした。

 

4.モ3109廃車 (赤岩口:1992年5月)

f:id:kk-kiyo:20200905180639j:plain

赤岩口の留置線にはもう1両廃車が放置されていました。これは、1990年に廃車となったモ3109です。再生できそうな部品は外されて解体待ちの様子です。 

 

5.モ3102 (東八町:1992年5月)

f:id:kk-kiyo:20200828100818j:plain

  豊橋鉄道の市内線は東田本線という正式名称があります。かつては柳生橋支線なども存在しましたが路線短縮されました。しかし、1982年に僅か0.6kmの支線が開業し、路線長5.3km弱となり現在にいたります。

この日は初めての訪問でもあったので、まずは終点まで乗りましたが、帰りは撮影しながら、全線歩いてしまいました。

 

6.モ3105 (東八町:1992年5月)

f:id:kk-kiyo:20200828100838j:plain

 市内線の車両は相変わらず、車体広告車ばかりでした。これも貴重な収入源なので仕方ありませんが、全く撮影意欲が湧きません。

 

7.モ3201 (東八町:1992年5月)

f:id:kk-kiyo:20200828100859j:plain

モ3200形(注2)は元名古屋市電ではなく、元名鉄美濃町線のモ580形を3両譲受したものです。

(注2)モ3200形の車歴

豊橋モ3201←名鉄モ584:1956年日本車輌

豊橋モ3202,3203←名鉄モ581,582:1955年日本車輌

 

8.モ3301 (豊橋駅前:1992年5月)

f:id:kk-kiyo:20200905180759j:plain

 モ3300形(注3)はスリムな元北陸鉄道金沢市内線の2300形です。この車両は全鋼製の間接非自動制御車で、1967年に2両を譲受しましたが、他車に比較し小柄でパンタ付きの異端車でした。

 (注3) モ3300形の車歴

豊橋モ3301,3302←豊橋モ301,302←北陸2301,2302:1961年日本車輌

豊橋鉄道の市内線は小規模なので、あっという間に撮影終了です。まあ市内線は良しとして、渥美線の撮影を本腰入れなければなりません。渥美線の沿線撮影はこの翌年になりました。

第621話 1991年豊橋:乗り換えのついでに!!

ローカル線の車両を求めて、大阪や名古屋方面にはよく出向きましたが、なぜか静岡、浜松、豊橋あたりはいつも通過でした。理由は、魅力的な車両がなかったと言うよりも、途中下車が面倒くさかったことが本音かも知れません。しかし、気になっていたのが豊橋鉄道渥美線です。

豊橋鉄道は車両の体質改善のため1986年~1989年に名鉄から5200系が大量に導入されましたが、1991年時点はまだ各地から寄せ集めた吊掛車が健在でした。よって、名古屋方面に出向いた帰り道、豊橋名鉄からJRに乗り換えるついでに、高師の車庫を覗きに行きました。

 

1.モ1906+モ1956 (高師:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828100307j:plain

 正直、豊橋という所はマイナーなイメージしかありません。しかし、渥美線以外に豊橋鉄道の市内線も走っており、名鉄名古屋本線とJR飯田線の起点でもあり、鉄道要衝の街です。そう言えば、あの日本車輌の工場もこの近くにあります。

さて、最初に乗ったのは元名鉄5200系だったカルダン車の1900系でした。冷房付きで立派な車両ですが、私にとってはどーでもよい車両でした。

 

2.モ1731+ク2731 (高師:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828100230j:plain

 そして、高師には吊掛車がいました。元東急デハ3500形だったモ1731+ク2731(注1)です。

この車両は1975年に降圧改造されてやって来た、おとなしそうな表情の東急電車ですが、その車歴は凄まじいクセモノです。

(注1)モ1731+ク2731の車歴

豊橋モ1731←東急デハ3553←帝都デハ1401←小田急モハ101←帝都モ101:1933年川崎車輌

豊橋ク2731←東急デハ3554←小田急デハ1366←小田急モハ251←小田急クハ564:1930年川崎車輌

 モ1731+ク2731の前身である東急デハ3553は1959年、デハ3554は1964年に東横車輌で車体更新を受けたので比較的近代的な車体になっていますが、それぞれの更新前の前歴は文献により様々で確信が持てません。特に戦中戦後の東急、小田急、帝都の合併劇は凄まじく、車籍の変遷が非常に複雑です。ここでまた、車歴の呪縛に掛かりそうです。

 

3.モ1701+ク2701 (高師:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828100246j:plain

 更に奥には、元西武モハ227+クハ1222だったモ1701+ク2701(注2)がいました。この車両は1963年に豊橋にやって来ましたが、まだまだ現役でした。

(注2)モ1701+ク2701の車歴

豊橋モ1701←西武モハ227←西武モハ257←西武モハ207:1941年梅鉢鉄工製

豊橋ク2701←豊橋ク1751←西武クハ1222←西武モハ222←西武モハ252←西武モハ202:1941年梅鉢鉄工製

 

4.モ1601+ク1651+モ36 (高師:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828100326j:plain

 そして、もっと奥の廃材置き場には怪しい車両が・・・。この車両も廃材なのか?

この緑色の車両はモ1601+モ1651(注3)でした。この時点ではまだ車籍があり、廃材ではありません。なぜ緑色なのかわかりませんが、1988年の引退時にイベントで塗り替えられようです。ちなみにこの車両も数奇な運命の強者でした。2両共生まれは一緒で静岡電気鉄道に120,121として導入されましたが、その後泣き別れとなります。モ1601の前身である120の方は渥美線の前身である渥美鉄道に1938年に移籍。モ1651の前身である121の方は西武鉄道に売られ、その後1959年に豊橋鉄道へ移籍となり、両車は再びめぐり合います。そして1972年にユニットを組むことになり、1992年に共に廃車されました。

 (注3)モ1601+モ1651の車歴

豊橋モ1601←豊橋モ1201←名鉄モ1201←渥美デホハ120←静岡120:1931年日本車輌

豊橋モ1651←豊橋モ1602←豊橋モ1202←西武モハ161←西武クハ1231←西武クハ1159←西武クハ1121←西武モハ121←静岡121:1931年日本車輌

 

5.モ1711 (高師:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828100347j:plain

さて、この黒い車両ですが標記上はモ36と言うことですが、この時点の車籍上の形式はモ1711(注4)です。この車両は元田口鉄道の車両で、合併で豊橋鉄道田口線に引き継がれた後、田口線の廃止で渥美線に転入してきた車両です。1988年の引退時に田口線時代の焦げ茶色に塗られて標記をモ36に書き替えてイベント運転されましたが、そのままここに留置されたままとなりました。この車両は田口鉄道の生き残りで非常に貴重な車両でしたが、1992年にここで廃車解体されました。

 (注4)モ1711の車歴

豊橋モ1711←豊橋モ36←豊橋モハ36←田口モハ36←田口モハ101←田口101:1929年日本車輌

 

 6.デワ11 (高師:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828100405j:plain

 高師の車両工場には、車両の入換機としてお宝のデワ11(注5)がいました。この車両は渥美線の生え抜きですが、元は旅客車でした。渥美線は一時期名鉄時代がありましたが、この車両は開業時からずっと渥美線にいました。

(注5)デワ11の車歴

豊橋デワ11←名鉄デワ33←名鉄モ3←渥美デハ102:1923日本車輌

 

7.モ3104 (豊橋駅前:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828100654j:plain

豊橋鉄道渥美線の高師車庫を駆け足で訪問し、あっと言う間に豊橋に戻りましたが、まだ明るかったので、市内線の路面電車の方も覗きに行きました。

豊橋鉄道の市内線もこの日が初めてでした。

やって来たのはモ3100形(注6)ばかりです。この車両は名古屋市電のお古ですが、珍しく新潟鐵工所製です。しかし、 どうも車体広告車しか走っていないようでした。

よって、撮影意欲も減退で、たったの2両撮影しただけで撤収です。まさしく、乗り換えのついでの撮影です。

 

8.モ3103 (豊橋駅前:1991年11月)

f:id:kk-kiyo:20200905162107j:plain

(注6)モ3100形の車歴

豊橋モ3101~3109←名古屋市1465~1471,1473,1474:1943年新潟鐵工所

モ3100形は、名古屋市電の廃止に伴い、1971年の豊橋へ大挙してやってきました。名古屋時代にワンマン化されており、1990年にモ3109が廃車されましたが、順次冷房化、車体更新を受けて当面の主役となります。 

さて、この日は市内線を、本当に上っ面だけ眺めて終わってしまいましたが、この翌年には、初めて終点まで乗り、一応沿線撮影も行いました。

第620話 1992年大井川:吊掛車乱舞(その5)

もう帰宅時間なので、大井川鉄道周辺に遊びに来た人たちが一斉に帰りはじめました。どの列車も満員です。当然SL列車も満員で、SL列車に乗れなかった人たちも電車で帰ります。こんなに混んでいる大井川鉄道ですが、普段の日は悲しくなる程すいています。この頃はバブル景気で一時的に行楽客が増えた時期ですが、それでも今ほどではありませんが、沿線住民のローカル輸送は厳しい状況だったと思います。

 

1.クハ513+モハ313+クハ2001+モハ1001 (塩郷~地名:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074345j:plain

帰りの行楽客のために千頭行きの4連がやって来ました。 まだまだ吊掛車の乱舞は続きます。

 

2.モハ1001+クハ2001+モハ313+クハ513 (地名~塩郷:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074726j:plain

 その列車の折返しは急行でした。塩郷には止まりません。せっかく列車が来たのに乗れないとは、いやがらせのようですが、すでに満員御礼状態なので、通過もやむを得ません。 この列車は、SL列車に乗れなかった井川線からの行楽客を救済するための列車でしょうか?

 

3.モハ1001+クハ2001+モハ313+クハ513 (地名~塩郷:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074745j:plain

この列車の手前2両はいかにも通勤電車風です。しかし、車内は元からセミクロスシートなので、大井川鉄道も一応考えて購入した様です。それにしても、もう吊掛車の中古車などほとんど入手は困難になっていました。この列車を見ていると、今後も西武や伊豆箱根の電車が大井川にやって来そうな感じがしましたが、そろそろカルダン車になりそうな雰囲気でした。

 

4.モハ3822+クハ2822 (地名~塩郷:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074823j:plain

 帰宅のピークを過ぎた頃、変な塗装の電車がきました。よく見ると元名鉄運輸省規格型電車です。同形のもう一編成は通常の塗装でしたが、この編成は困った塗装です。まさか、この塗装が今後の標準?

 

5.モハ6011+クハ6051 (塩郷~下泉:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074843j:plain

 日暮れも近づいてきたので、最後の移動です。やって来たアルミカーを撮影して、これに乗車しました。2連なので激混みです。

 

6.クハ6051+モハ6011 (抜里~家山:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828075030j:plain

 この日最後の撮影場所は抜里です。

乗って来たアルミカーを見送って、この後SLがやって来ますが、今回はこれでおしまいです。私の場合、SLよりも電車の動向が気になっていたのですが、1992年時点の大井川鉄道は、まだまだ吊掛車だらけでした。増備されたモハ1001+クハ2001も吊掛車でした。しかし、在籍車は老朽化が激しく、それほど長持ちはしない状況でした。

第619話 1992年大井川:吊掛車乱舞(その4)

大井川鉄道の沿線は急峻な山間部なので、11月ともなれば日暮れが早いです。日差しを求めて明るい場所に移動です。

 

1.モハ6011+クハ6051 (塩郷~下泉:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074323j:plain

 そして、移動したのは塩郷の河原でした。ここは河原のすぐ脇に線路が敷かれており、河原からの撮影になります。この写真をよく見ると宙に人が浮いている様に見えますがこれは大井川を渡る吊り橋です。この吊り橋からも撮影にチャレンジしてみましたが、揺れて撮影になりませんでした。

 

2.モハ1906+クハ6052+クハ6051+モハ312+クハ512 (塩郷~下泉:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074408j:plain

 この河原は大井川が大きく蛇行し、開けた場所で西陽が夕方まで当たります。障害物は何もなく、長大編成も余裕で連写できました。

帰りの行楽客で満杯の5連がやって来ました。

 

3.モハ1906+クハ6052+クハ6051+モハ312+クハ512 (塩郷:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200831202342j:plain

 5連が塩郷駅に停車しています。

先頭車以外の車両はドアが開いていますが、ホーム長は2両分しかありません。しかもこの5両は左の2両と真ん中の2両は前面が非貫通なので厄介です。左から2両目と3両目がホームにかかる様に停車しているので、とりあえず、ドアの開いている4両は乗降できますが、一番右の先頭車は乗降もできないのでドアが開いていないのでしょうか。さすがにホームがないドアから飛び降りる人はいない様でしたが、まだ何でもありの時代でした。

 

4.モハ1906+クハ6052+クハ6051+モハ312+クハ512 (地名~塩郷:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074527j:plain

ようやく発車しました。

普段は通過しても文句を言う客もいない様な駅ですが、この日は結構乗降客がおり、客扱いが大変そうで、停車時間はかなり超過していました。

 

5.モハ1906+クハ6052+クハ6051+モハ312+クハ512 (地名~塩郷:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074556j:plain

満員御礼の吊掛5連はなかなか速度が上がりません。ここは登り勾配なので吊掛車の2M3Tではやはり無理があります。

 

6.モハ1906+クハ6052+クハ6051+モハ312+クハ512 (地名~塩郷:1992年11月)

f:id:kk-kiyo:20200828074805j:plain

ここもズームレンズが1本あれば、何枚でも連写出来ました。もうこれでもかと言うくらい連写しました。