ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

第261話 1989年三井三池:大牟田に潜む記念物級(その3)

三池港の構内はとにかく広く、いたるところに分岐線が延びており全容が把握できませんでした。 1.20t2号機、14号機、7号機 (三池港:1989年9月) そして、その構内の北側の外れに3両の22t機が留置されていました。まるで模型の様です。 2.20t2号機 (…

第260話 1989年三井三池:大牟田に潜む記念物級(その2)

三池港には、2軸の凸型22t機以外にもB-Bボギータイプの凸型45t機なども留置されていました。 1.22t8号機、45t19号機ほか (三池港:1989年9月) 貨物が減って、余剰となった機関車が構内のあちこちに留置されていました。 見た感じ塗装が退色してピン…

第259話 1989年三井三池:大牟田に潜む記念物級

今回は九州に飛びます。 そう言えば今まで九州ネタがありませんでした。九州は意外にもローカル私鉄が少なく(昔はいっぱいありましたが・・・)、ほとんど足が向きませんでした。しかし、大牟田にはかつての三池鉄道が貨物専業となって営業を続けており、そ…

第258話 1986年三菱石炭:3軸ボギーの余韻(その3)

この日は、午後の清水沢行き混合列車を撮影しましたが、この列車は1時間ほど後に戻って来るので、次の撮影場所をどうするか悩みました。 しかし、次の列車は機関車側が逆光撮影になってしまい、よい撮影場所がなさそうです。よって、戻りの列車も遠幌近辺で…

第257話 1986年三菱石炭:3軸ボギーの余韻(その2)

この日は、混合列車の走行写真を撮影するために遠路はるばるやって来ました。 しかし、旅客車は1日3往復だけしか走らず、次の列車が走る午後3時過ぎまでまだ2時間もありました。 1.DL-55No.3+スハニ6+オハ1+セキ・・、DL-55No.2+セキ・・(南大夕張:1986年8月) ま…

第256話 1986年三菱石炭:3軸ボギーの余韻

今回の三菱石炭鉱業鉄道は2回目の訪問ですが、初回は1986年3月だったので、まだ5カ月しか経っていませんでした。 初回訪問時はまだ真冬で、積雪が多くて列車の走行写真など撮れる状況ではありませんでした。よって、2回目は走行列車の撮影が目的でした。 こ…

第255話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その5)

2日目の午後は、昼の岩手石橋行を撮影するため、タクシーで日頃市近くまで先回りしました。当時のメモによるとタクシー代は1790円でしたが、岩手開発鉄道だと盛から日頃市までが100円、岩手石橋までが120円で破格の低料金でした。タクシー代は痛手ですが、少…

第254話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その4)

岩手開発鉄道の2日目は、気合を入れて早朝からリベンジに臨みましたが、この日も雨でした。 この日は貨物列車も通常通り運行されていましたが、貨物列車の状況は別途まとめてご紹介します。 1.キハ202 (長安寺:1988年8月) 盛6:57発の始発列車に乗り、…

第253話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その3)

この日、岩手開発鉄道の貨物列車は休業日でした。 そんなこととは知らず、貨物列車がなかなか現れないので、車掌さんに聞いたら " 今日は走っていない ” とのこと。よって、この日の予定が丸潰れとなり参りました。 1.キハ202 (日頃市:1988年8月) とり…

第252話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その2)

盛は、岩手開発鉄道の他に三陸鉄道の南リアス線の起点でもありました。 三陸鉄道の盛駅はJR盛駅に隣接していますが、岩手開発鉄道の盛駅は少し北側に離れていました。 1.三陸鉄道キハ36形とキハ301 (盛:1988年8月) JRおよび三陸鉄道の盛駅に隣接する広…

第251話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃

1988年当時、東北新幹線は盛岡まで開通していましたが、北海道なみに遠かったのが岩手開発鉄道でした。 そして、岩手開発鉄道は旅客鉄道ではありましたが、旅客列車の運転本数はわずかに5往復で、その内終点まで行くのは3往復だけでした。もっともこの鉄道は…

第250話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その7)

「運ぶものがない!!」 まさにこの機関車たちの叫びです。 1.ED201 (若柳:1988年5月) 若柳の車庫にはED200形が3両留置されていました。 この機関車たちは、細倉鉱山が閉山された1987年の貨物輸送廃止に伴い、実質失業となりました。 2.ED201 (若柳…

第249話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その6)

今回は若柳車庫の様子です。 在籍車両は半年前と変わっていませんが、ここに居たはずのED351がなぜか石越に移動していた程度の変化です。 1.M181 (若柳:1988年5月) 乗客が減少し、大型車の出る幕も減って来ました。このM181は18m車なので、15m車である…

第248話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その5)

午後は移動して沢辺付近で撮影を行いました。 沢辺のあたりも田植えが始まっていました。列車は真っすぐな直線区間を高速でぶっ飛んで来ます。 1.M153 (沢辺~津久毛:1988年5月) ここは国道4号線が栗原電鉄をオーバーパスする築堤で、結構有名な撮影地…

第247話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その4)

鶯沢近くの田園地帯で水面に映る電車の撮影を続けました。 霞のかかった山並みが眠気をそそります。昨晩の夜行列車の疲れが出てしまい、撮影の合間に、畦道でうたた寝をしそうなほど心地良い日でした。 1.M152 (松尾~鶯沢:1988年5月) しかし、居眠りし…

第246話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その3)

この日は天気も穏やかで、半年前にも撮影を行った鶯沢に向かいました。 鶯沢は仙台平野の北辺に位置し、この辺りまでが広大な田園地帯ですが、山並みが近く、新潟交通とは違った田園風景が展開していました。 1.M152(鶯沢~駒場:1988年5月) まずはお決…

第245話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その2)

石越に到着したのは早朝でした。栗原電鉄は始発前だったので、まだ電車はいませんでした。時間つぶしに、かつての貨物ヤードでED351などを撮影していると、若柳の車庫から出庫してきた回送が到着しました。この回送が折返し細倉行きの始発電車になります。 …

第244話 1988年栗原:運ぶものがない!!

1988年のGWは東北地方のローカル私鉄早回り撮影を行いましたが、その一番最初の訪問は栗原電鉄でした。 栗原電鉄には、この前年の秋にも訪問しており、わずか半年後の訪問となりましたが、その理由は、栗原電鉄の春の光景を撮影したかったからです。栗原電鉄…

第243話 1993年高松琴平:雨の琴電そして京急増殖(その3)

この頃の長尾線と志度線には、まず京急1000系の導入はあり得ませんでした。その理由は、この両線の線路事情が大型車の入線を拒んでいたからです。しかし、この両線には元京急230形だった30形が大量導入されており、こちらも京急長尾・志度線の様相を呈してい…

第242話 1993年高松琴平:雨の琴電そして京急増殖(その2)

琴平線への元京急1000系導入は、1988年には12両(6編成)に達します。 この年のGWに訪問した際には、元京急1000系導入で玉突き廃車となる1020形の一部が早くも編成を解かれて仏生山の留置線に安置されていました。 1.1036,1035,1034,1033の安置 (仏生山:…