ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2019-01-01から1年間の記事一覧

第280話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その3)

令和元年も今日で終わりです。平成も過去の時代になってしまいましたが、当ブログは今日も昭和の晩年です。 前回の続きで、天北線の下頓別から中頓別に向けて歩きましたが、この駅間が恐ろしく長く、9kmもありました。 コンビニも民家もありません。人もいま…

第279話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その2)

学生最後の夏休みとなった1986年8月も北海道を訪れました。 一番の目的は、三菱石炭鉱業鉄道の混合列車を撮影することでしたが、前年夏の北海道旅行で印象深かった最果ての路線を再訪問することも目的でした。 1.キハ22形 (上士幌~萩ケ岡:1986年8月) …

第278話 1985年国鉄(北海道):最果ての夏

私は国鉄の車両にはほとんど興味がありませんでしたが、今回は最果てである北海道の国鉄ローカル線の話題です。 1985年の夏は高校時代の同級生と北海道を1周しました。ただし、この旅行は鉄道写真を撮ることが目的ではなく、いわゆるミーハー旅行でした。 こ…

第277話 1987年蒲原:廃線跡を歩く(その4)

蒲原鉄道の廃線巡りはいよいよ終盤です。七谷を過ぎると平野部に入り、左側に加茂川が現れ、廃線跡は加茂川沿いとなります。加茂までもう一息です。 1.狭口方向を望む廃線跡 (七谷~狭口:1987年5月) この加茂川沿いでは、かつて対岸から何度も列車を撮…

第276話 1987年蒲原:廃線跡を歩く(その3)

金割鉱泉で休憩して、再び廃線跡をたどりました。 実は、この時が初めての廃線巡りでした。加茂まで残り10km程の道のりでしたが、陽気もさわやかでハイキング気分でした。たまには思い出に浸りながら、こんな廃線巡りも良いものです。 1.高松方向を望む廃…

第275話 1987年蒲原:廃線跡を歩く(その2)

本来、当ブログはローカル線の車両写真が主体なのですが、今回は車両の写真が1枚もありませんので、ご了承ください。 蒲原鉄道の廃線跡は比較的残存していました。 まだ春先なので雑草も少なく、十分に歩けるので、大蒲原からは軌道跡をたどりました。 1.…

第274話 1987年蒲原:廃線跡を歩く

蒲原鉄道は、1985年3月31日に路線の大半である村松~加茂間を廃止し、その後は村松~五泉間のわずか4.2kmの極小鉄道になってしまいました。部分廃止の日はわざわざ東京から撮影に出向きましたが、その後はご無沙汰していました。 1987年5月、就職して長岡で…

第273話 1988年伊豆箱根(駿豆):こだわりの西武モドキ(その2)

私は以前から駿豆線の車両には全く興味がありませんでした。 なぜなら大手の西武電車モドキだったからです。もっとも、伊豆箱根鉄道は西武グループだったので西武電車が走っていても不思議ではなく、仕方ありません。 ところが、1000系の第1~第4編成(注1)…

第272話 1988年伊豆箱根(駿豆):こだわりの西武モドキ

大雄山線の訪問後、駿豆線の大場車庫に向かいましたが、現地に到着したのはもう夕方でした。 1.ED32+無蓋貨車トム1形 (大場:1988年11月) なぜ、こんな中途半端な時間に訪問したのか、記憶が曖昧ですが、駿豆線の電車は車両的に面白くないので、恐らく電気…

第271話 1988年伊豆箱根(大雄山):足柄に集う旧国の末裔たち(その3)

再び、大雄山の車庫に戻ります。 この時点で、既に新車は3編成導入されていましたが、まだ旧型車は3連が4本と、機関車代用の両運車が1両在籍していました。 1.モハ65、モハ165他 (大雄山:1988年11月) 日中は、やはり新車が優先して使用されるので、余っ…

第270話 1988年伊豆箱根(大雄山):足柄に集う旧国の末裔たち(その2)

1988年11月の秋晴れの日に、再び大雄山を訪問しました。 この日は天気が良かったので、まずは走行撮影です。撮影場所は前回訪問時に目を付けておいた飯田岡~相模沼田間の田園地帯です。 1.モハ163+モハ164+クハ185 (飯田岡~相模沼田:1988年11月) 大雄…

第269話 1988年伊豆箱根(大雄山):足柄に集う旧国の末裔たち

大雄山線と言えば、かつては雑多な旧型国電の巣窟でしたが、1974年~1976年にかけて相模鉄道から2000系が導入された以降は、さほど変化もなく地味な存在でした。しかし、バブル期になるといよいよ新車の導入が始まり、慌てて大雄山に出向きました。 1.モハ…

第268話 1986年上田交通:丸窓最後の春(その2)

この日は、午前中は時々薄陽の射す穏やかな天気でしたが、午後になると完全に曇ってしまいました。天気が悪いと気合が入りません。よって、撮影を一時中断して、丸子線や真田・傍陽線などの廃線跡巡りもしました。 1.モハ5252 (下之郷~中塩田:1986年4月…

第267話 1986年上田交通:丸窓最後の春

今回は1986年8月の上田交通の話題です。 はじめに、元上田交通である現在の上田電鉄別所線が、先日の台風19号で千曲川橋梁の橋台流出という甚大な災害に遭遇しました。私は35年程前にあの災害現場となった場所で丸窓の撮影をしたことがありました。まさかあ…

第266話 1990年大井川(井川):アプトが出来る前(その5)

このシリーズの最後は井川線の車両です。 この頃、アプト区間が開業した後に井川線の車両がどうなるのか気になっていました。 アプト区間は電化されますが、井川線の大半は非電化のままであり、DD200形はまだ新しいのでDD200形の牽く客車列車は残るはずです…

第265話 1990年大井川(井川):アプトが出来る前(その4)

前日はこの辺を列車で通過しましたが、もう陽が暮れて真っ暗闇だったので、まさかこんな大規模な工事現場があったとは全くわかりませんでした。 新線の巨大鉄橋を堪能し、次は長島ダムへ移動です。 1.DD200形+Cスロフ300形+Cスロフ300形 (川根唐沢~犬間:1990…

第264話 1990年大井川(井川):アプトが出来る前(その3)

関の沢橋梁での撮影を終え、同好者のおじさんの車に乗せてもらい、犬間~川根長島間まで下りました。 1.Cスロフ300形+Cスロフ300形+DD200形 (犬間~川根長島:1990年1月) この区間は、大井川沿いの崖っぷちに軌道が敷かれており、まともに撮影できる場所はあり…

第263話 1990年大井川(井川):アプトが出来る前(その2)

1990年元旦の朝は晴天に恵まれ、川根長島から撮影ポイントまでひたすら歩きました。 歩いたのは結構立派な県道で、舗装も新しく、最近開通したばかりのようでしたが、トンネルは照明がなく、真っ暗闇を通り抜けてると、素晴らしい絶景が待っていました。 1…

第262話 1990年大井川(井川):アプトが出来る前

1990年の年明けは井川で迎えました。 井川はダム以外に何もない山村です。こんな山奥まで鉄道が敷かれていることに驚きますが、これは井川線がダムや水力発電所の維持管理に残されているからで、通勤や通学目的ではないからです。そして、井川線は設備や車両…

第261話 1989年三井三池:大牟田に潜む記念物級(その3)

三池港の構内はとにかく広く、いたるところに分岐線が延びており全容が把握できませんでした。 1.20t2号機、14号機、7号機 (三池港:1989年9月) そして、その構内の北側の外れに3両の22t機が留置されていました。まるで模型の様です。 2.20t2号機 (…

第260話 1989年三井三池:大牟田に潜む記念物級(その2)

三池港には、2軸の凸型22t機以外にもB-Bボギータイプの凸型45t機なども留置されていました。 1.22t8号機、45t19号機ほか (三池港:1989年9月) 貨物が減って、余剰となった機関車が構内のあちこちに留置されていました。 見た感じ塗装が退色してピン…

第259話 1989年三井三池:大牟田に潜む記念物級

今回は九州に飛びます。 そう言えば今まで九州ネタがありませんでした。九州は意外にもローカル私鉄が少なく(昔はいっぱいありましたが・・・)、ほとんど足が向きませんでした。しかし、大牟田にはかつての三池鉄道が貨物専業となって営業を続けており、そ…

第258話 1986年三菱石炭:3軸ボギーの余韻(その3)

この日は、午後の清水沢行き混合列車を撮影しましたが、この列車は1時間ほど後に戻って来るので、次の撮影場所をどうするか悩みました。 しかし、次の列車は機関車側が逆光撮影になってしまい、よい撮影場所がなさそうです。よって、戻りの列車も遠幌近辺で…

第257話 1986年三菱石炭:3軸ボギーの余韻(その2)

この日は、混合列車の走行写真を撮影するために遠路はるばるやって来ました。 しかし、旅客車は1日3往復だけしか走らず、次の列車が走る午後3時過ぎまでまだ2時間もありました。 1.DL-55No.3+スハニ6+オハ1+セキ・・、DL-55No.2+セキ・・(南大夕張:1986年8月) ま…

第256話 1986年三菱石炭:3軸ボギーの余韻

今回の三菱石炭鉱業鉄道は2回目の訪問ですが、初回は1986年3月だったので、まだ5カ月しか経っていませんでした。 初回訪問時はまだ真冬で、積雪が多くて列車の走行写真など撮れる状況ではありませんでした。よって、2回目は走行列車の撮影が目的でした。 こ…

第255話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その5)

2日目の午後は、昼の岩手石橋行を撮影するため、タクシーで日頃市近くまで先回りしました。当時のメモによるとタクシー代は1790円でしたが、岩手開発鉄道だと盛から日頃市までが100円、岩手石橋までが120円で破格の低料金でした。タクシー代は痛手ですが、少…

第254話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その4)

岩手開発鉄道の2日目は、気合を入れて早朝からリベンジに臨みましたが、この日も雨でした。 この日は貨物列車も通常通り運行されていましたが、貨物列車の状況は別途まとめてご紹介します。 1.キハ202 (長安寺:1988年8月) 盛6:57発の始発列車に乗り、…

第253話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その3)

この日、岩手開発鉄道の貨物列車は休業日でした。 そんなこととは知らず、貨物列車がなかなか現れないので、車掌さんに聞いたら " 今日は走っていない ” とのこと。よって、この日の予定が丸潰れとなり参りました。 1.キハ202 (日頃市:1988年8月) とり…

第252話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その2)

盛は、岩手開発鉄道の他に三陸鉄道の南リアス線の起点でもありました。 三陸鉄道の盛駅はJR盛駅に隣接していますが、岩手開発鉄道の盛駅は少し北側に離れていました。 1.三陸鉄道キハ36形とキハ301 (盛:1988年8月) JRおよび三陸鉄道の盛駅に隣接する広…

第251話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃

1988年当時、東北新幹線は盛岡まで開通していましたが、北海道なみに遠かったのが岩手開発鉄道でした。 そして、岩手開発鉄道は旅客鉄道ではありましたが、旅客列車の運転本数はわずかに5往復で、その内終点まで行くのは3往復だけでした。もっともこの鉄道は…