ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2021-01-01から1年間の記事一覧

第710話 1992年三岐:セメント輸送の傍ら(その2)

今回の三岐鉄道訪問は、お隣の近鉄北勢線訪問のついででしたが、せっかくなので沿線撮影も少々。 1.セメント列車 (保々~山城:1992年5月) 三岐と言えばセメント列車です。この日も走っていました。 大手の東武や西武がセメント輸送をやめてしまい、西の…

第709話 1992年三岐:セメント輸送の傍ら

三岐鉄道の旅客輸送はどうもセメント輸送の傍らでやっている様に見えて地味な存在です。平成になると、いつの間にか電車は西武のお古に侵略されており、1992年当時には、とうとう西武電車以外の車両は、たったの3両だけになっていました。そして、どーでも良…

第708話 1992年立山砂防:圧巻の18段スイッチバック(その6)

午後の定期列車はグリーンカルデラ号の牽引でした。もう今年も立山砂防は運行終了間近なのか、この後は続行がありませんでした。 1.午後の資材列車 (七郎スイッチバック:1992年11月) まだ午後2時頃ですが、山の日没は早く、 陽も陰ってきました。戻りの…

第707話 1992年立山砂防:圧巻の18段スイッチバック(その5)

午前中の定期列車が千寿ケ原に戻って行きました。次は午後の列車が登って来るまで 時間があるので、戻ることにしました。 1.続行の資材列車 (樺平スイッチバック:1992年11月) 下山途中にスイッチバックの下をのぞくと、まだ資材列車がスイッチバックを…

第706話 1992年立山砂防:圧巻の18段スイッチバック(その4)

巡回列車と無蓋トロの資材列車は、行ってしまいましたが、今度は少し遅れて下りてきた有蓋トロの資材列車をカメラで追います。 1.続行の資材列車 (樺平スイッチバック:1992年11月) まるで「おとぎ列車」。手に取りたくなるおもちゃ感覚です。牽引機は先…

第705話 1992年立山砂防:圧巻の18段スイッチバック(その3)

この18段スイッチバックは、総延長4.5kmほどあります。標高差が200mなので、平均勾配は44.4‰となりますが、急な箇所は50‰にもなり、かなり急勾配で過酷な線形です。先程まで見上げていた列車は、目の前を通り過ぎて、今度は眼下を走ります。圧巻の18段スイ…

第704話 1992年立山砂防:圧巻の18段スイッチバック(その2)

樺平の18段スイッチバックは高低差が200mほどあります。ここは昭和40年に開通するまでは索道で輸送を行っていました。ここにスイッチバックを造って列車を水谷まで直通させる発想はだれが考えたのか、かなり思い切った判断だったと思います。 1.巡回列車 …

第703話 1992年立山砂防:圧巻の18段スイッチバック

1992年は3度も立山砂防を訪れました。まったく自分でも呆れるほどの無茶ぶりでしたが、回数を重ねるたびにエスカレートしてしまい、3度目は18段スイッチバックを制してしまいました。今回は、その3度目の様子をお伝えします。 なお、繰り返しになりますが…

第702話 番外編:40年前の軽便模型を顧みる(その3)

さて、今回最初に登場する模型は40年前の軽便模型ではありません。 これは20数年前に、天賞堂のエバーグリーンショップでお安く購入したフクシマ模型の別府鉄道キハ3のキットを組み立てたものです。このキットを購入した理由は、別府鉄道キハ3に対する思い…

第701話 番外編:40年前の軽便模型を顧みる(その2)

軽便鉄道の魅力は何と言っても現実離れした凸凹編成です。ちょっと大きめの気動車がマッチ箱客車を何両も牽引して走る姿に、なぜか癒しを感じます。 実は、私は軽便世代ではありません。中学1年生の頃に尾小屋鉄道が廃止となり、接することが出来た現役時代…

第700話 番外編:40年前の軽便模型を顧みる

30~40年程前のローカル私鉄の実態をダラダラとお伝えしておりますが、第700話まで来ました。当ブログでは1970年代後半から年代順に各地のローカル線をランダムに投稿して来ましたが、最近のブログでは1992年頃が中心となり、段々近年の状況に近づいてきた感…

第699話 1991年蒲原:お魚電車出現!?

1991年9月、3年ぶりの蒲原鉄道です。この頃お隣の新潟交通は、白山前~東関屋間の軌道線区間の廃止を表明して揉めていましたが、身軽な蒲原鉄道は何も変わらず坦々と走っていました。 1.モハ31 (五泉:1991年9月) ところが、突然現れたのはモハ31のお魚…

第698話 1993年日立:電車の整理整頓!!(その5)

夕方になって、曇ってしまいましたが、この日の最後は鮎川に向かいました。 鮎川には日中走らないラッシュ用の車両が留置されています。しかし、2000形+2200形の導入で雑多な2連が淘汰されてしまい、廃車された車両が残っているのか、撮影に期待は持てません…

第697話 1993年日立:電車の整理整頓!!(その4)

そろそろ撮影場所を移動しようと思っていたら、今度は常北太田行が2連でやって来ました。つい先ほど、鮎川行も2連でしたが、どういことなのか? 1.モハ16+モハ9 (川中子~大橋:1993年3月) 実は後ろのモハ9の入庫回送を兼ねた2連でした。先程クハ109+モ…

第696話 1993年日立:電車の整理整頓!!(その3)

この日は少し霞んだ天気でしたが、せっかく2年ぶりの訪問なので久慈浜方面へ歩きながら撮影を続けました。とは、言うものの、日中の日立電鉄は単行のワンマンカーしか走っておらず、2,3列車撮影すればもう十分です。 1.モハ16 (常北太田~小沢:1993年3…

第695話 1993年日立:電車の整理整頓!!(その2)

この時点の日立電鉄は、すでにモハ1000形やクハ2500形などの雑多な車両はほとんどいなくなっており、魅力半減でしたが、在籍車両を確認するため常北太田に向かいました。 1.モハ9 (常北太田:1993年3月) この日はモハ9も運用されていました。この車両は…

第694話 1993年日立:電車の整理整頓!!

1993年3月、日立電鉄の訪問は2年ぶりでした。2年前は日立電鉄の車両がいよいよ置き換えとなる噂を聞いて、あわてて撮影に出向きましたが、その後は一斉置き換えではなく、パラパラと置き換えが進んだため、つい油断してしまい、気が付けば2年が経っていまし…

第693話 1992年近鉄(養老):近鉄養老院再訪問(その4)

実は、正直申しまして今回の撮影は、お隣の近鉄北勢線の撮影と掛け持ちでした。 この撮影の翌日は北勢線の220系のお別れ運転があり、私はイベントが嫌いなのですが、今回はどちらかと言えば北勢線の方がメインでした。いくら元特急車と言えども、私個人的に…

第692話 1992年近鉄(養老):近鉄養老院再訪問(その3)

午前中は美濃高田周辺で撮影を行いましたが、午後は美濃津屋周辺に移動して撮影を継続しました。この日は終日秋晴れの天気となり、撮影に気合が入りました。 1.ク550形+ク540形+モ440形 (駒野~美濃津屋:1992年9月) ここも半年前に撮影を行った場所です…

第691話 1992年近鉄(養老):近鉄養老院再訪問(その2)

さて、半年ぶりの養老線ですが、沿線はすっかり秋の景色になっていました。すでに本線からカルダン車も転入して来ており、養老線の在来車の廃車は、1992年8月のク547+ク543+モ443から始まり、1994年12月には全車が廃車されました。この撮影時点では、まだ元…

第690話 1992年近鉄(養老):近鉄養老院再訪問

1992年5月のGWに初めて近鉄養老線で活躍する元名古屋線特急車の余生を撮影しました。その時の様子は第529話~第532話でお伝えしましたが、養老線はまさに元特急車達の養老院そのものでした。その後、元特急車達はいよいよ引退することになり、1992年9月に再…

第689話 1993-94年広島:広電の大阪市電(その3)

広電に移籍した元大阪市電は、750形の他に元大阪市電2601形だった900形も14両が1969年に広島にやって来ました。900形も750形同様に主力車となり、一時期広電市内線は元大阪市電だらけになっていました 1.910 (別院前~横川一丁目:1993年12月) 大阪市電2…

第688話 1993-94年広島:広電の大阪市電(その2)

私が広島に住んでいた1970年代の広電市内線では750形が主力車両でした。当初は750形が元大阪市電であることなど気にもせず、ボロい電車だったので、この電車こそが「ヒロ電ボロ電」のイメージを印象付けました。 1.769 (稲荷町~銀山町:1994年5月) 軽快…

第687話 1993-94年広島:広電の大阪市電

今回は、高度経済成長期の広電を支えた、元大阪市電からの譲渡車の話題です。 原爆で壊滅的な被害を受けた広島でしたが、昭和40年代になると街の復興は終わり、高度経済成長期の波に乗り、市内交通も大量輸送が要求されました。その頃の広電は、まだ戦前の小…

第686話 1992年加越能:地味な路面電車(その2)

正直なところ、私にとっての加越能鉄道は高岡軌道線ではなく、廃止された非電化の加越線でした。あの関東鉄道常総線や鹿島鉄道で余生を送っていた加越線の車両こそが、加越能鉄道であり、高岡軌道線の電車は富山地鉄市内線のモドキでしかありませんでした。 …

第685話 1992年加越能:地味な路面電車

今では、加越能鉄道と言うよりも万葉線と言った方がわかり易いかも知れませんが、まだ有名じゃなかった頃の加越能鉄道高岡軌道線の様子をお伝えします。 1.デ7074 (高岡駅前:1992年8月) この頃、高岡軌道線を撮影目的で訪れた人はどのくらいいたのでし…

第684話 1993年野上:夏の朝、淡々と走る(その4)

この日は昼頃まで北山周辺をウロウロしていましたが、デ11とデ13しか走っていないので、いい加減飽きました。しかし、まだお昼まで時間があるので、更に日方方面に移動しました。 1.デ11 (北山~野上中:1993年8月) 気温は35℃以上あったと思います。電車…

第683話 1993年野上:夏の朝、淡々と走る(その3)

朝のラッシュが終わると、いよいよデ10形の天下です。デ10形の写真は今までもさんざん撮ってきましたが、この日もお付き合いで撮影は続きました。 1.デ11 (動木~紀伊野上:1993年8月) ラッシュが終わる頃には気温もどんどん上昇し、貴志川に足を浸して…

第682話 1993年野上:夏の朝、淡々と走る(その2)

野上電鉄の朝ラッシュは全て2連で運行されていました。このため、単行専用のデ10形は1両も登場せず、全て元阪神の古典車両でした。 1.モハ26+モハ24 (動木~紀伊野上:1993年8月) ラッシュの後半は撮影場所を動木(とどろき)へ移動しました。ここは野上谷…

第681話 1993年野上:夏の朝、淡々と走る

野上電鉄の廃止が表明されてから、なんだかんだ毎月の様に撮影に出向きました。この日も出張中の休日を利用して前日に海南のビジネスホテルで宿泊し、朝から「禁断の路線バス」で始発列車を先まわりしました。 1.クハ104+モハ31 (北山~野上中:1993年8月…