ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第699話 1991年蒲原:お魚電車出現!?

1991年9月、3年ぶりの蒲原鉄道です。この頃お隣の新潟交通は、白山前~東関屋間の軌道線区間の廃止を表明して揉めていましたが、身軽な蒲原鉄道は何も変わらず坦々と走っていました。

 

1.モハ31 (五泉:1991年9月)

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 ところが、突然現れたのはモハ31のお魚電車でした。これにはビックリでした。野上電鉄のアーモンドチョコ並みのインパクトでした。しかし、海が無いのに何故に蒲原鉄道がお魚電車なのか?どうやら海ではなく、地元の釣り堀の宣伝だったようです。しかし、蒲原鉄道では創業以来初めての車体広告ではないでしょうか。

 

2.モハ31 (五泉:1991年9月)

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 モハ31には全く似合わないお魚ペイントですが、話題性が全くない蒲原鉄道なので、ここは大目に見ることにしましょう。

 

3.モハ71+クハ10 (村松:1991年9月)

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 そして、村松ではいつもの車両がいつもの様に昼寝中でした。この日は土曜日だったのでラッシュもなく、モハ71+クハ10は終日出る幕がありません。

 

4.モハ71、旧モハ12 (村松:1991年9月)

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 モハ71の右側の車両は、村松~加茂間が廃止された1985年に廃車となったモハ12ですが、廃車になってからもう6年以上もこの場所に居ます。保存目的なのでしょうが、そろそろ朽ち始めています。

 

5.ED1 (村松:1991年9月)

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 ED1がパンタを上げて待機していました。しかし、貨物列車があるわけでもなく、なぜ廃車にならないのか、まったく理解できません。

 

6.ED1 (村松:1991年9月)

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 しかしパンタを上げていると言うことは、車両の入換などに使用している様です。この機関車は一見、舶来機に見えますが、実態は日本車輌製の舶来モドキなので骨董品的価値は如何ほどなのかわかりませんが、蒲原鉄道開業以来の生え抜き車両なので蒲原鉄道は廃車にしたくなかったのかも知れません。

 

7.旧モハ1廃車体の詰所 (村松:1991年9月)

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 詰所として活用されていた旧モハ1のダルマは、いつの間にか車体を覆っていた二重屋根が撤去されて原型が現れました。このまま処分されてしまうのかと思っていましたが、このまま廃止まで残り、保存車として復活します。

さて、身軽になった蒲原鉄道でしたが、輸送需要は減る一方で、加えて車両や施設の老朽化が否めませんでした。お隣の新潟交通ですら路線短縮を思案していた状況で、もはや新潟のローカル私鉄は将来が見えない状況でした。