話しが前後しますが、前回の第415話、第416話の越後交通長岡線訪問の当日、午前中に蒲原鉄道を訪問しました。
新潟駅前のビジネスホテルを早朝に出発し、磐越西線直通の気動車で五泉へ直行しました。この頃はすでに新潟から蒲原鉄道の村松まで高速バスがあり、それを利用すると安くて時間短縮も出来ますが、蒲原鉄道に乗るためわざわざ新潟駅から鉄道を利用しました。
1.モハ61 (五泉:1987年9月)
この日、五泉で出迎えてくれたのは、元西武電車だったモハ61でした。
私は、個人的にこのモハ61がお気に入りでした。この電車はその生い立ちが、武蔵野鉄道のサハでしたが、西武鉄道にてクハ化され、電動車化されたのは蒲原鉄道に移籍する時でした。蒲原にはもう1両武蔵野鉄道出身のモハ71がいましたが、モハ61はモハ71の様な武蔵野鉄道特有の武骨さがなく、均整の取れた前面が魅力でした。
2.モハ61 (村松:1987年9月)
五泉からモハ61に乗車して、わずか8分で終点の村松に到着です。
かつては、村松から先に信越線の加茂まで路線がありましたが、1985年3月末に廃止となり、以降は五泉~村松間のわずかに4.2kmの小鉄道になってしましました。
3.モハ61 (村松~今泉:1987年9月)
残った区間は、平坦な一直線の路線で、立派な道路も並行しており、全く撮影向きではありません。
4.モハ61の車内 (村松:1987年9月)
モハ61の車内は、蒲原鉄道標準色とも言える、明るい灰色の塗装と、座席は派手なエンジのモケットでした。運転室は半室タイプで。ワンマンカーなので、料金箱付きですが、新潟交通のようにバス用の両替機付きのものではなく、昔懐かしい路面電車の料金箱でした。
5.モハ31 (村松~今泉:1987年9月)
この日は、主力のモハ31、モハ41が車庫で休んでいました。
蒲原鉄道は路線短縮時に多くの車両を廃車しましたが、それでも4両の電動車と1両の制御車、そしてオマケの電気機関車が1両在籍していました。
路線短縮後は1閉塞となり1日中1両の電車が行ったり来たりするだけで、朝のラッシュ時に2連となる程度なので車両は余剰気味でした。
この日、蒲原鉄道を訪問した目的は、保存車のその後を確認するためでした。
保存車は、地元の村松城址公園にモハ11、安田民族資料館というところにモハ51が保存されました。モハ51の方は、かなり離れた隣町で場所がイマイチわからずギブアップ。(後に確認が取れて見に行きました)よって、村松駅から歩いて行けるモハ11を見に行きました。
7.モハ11保存車の説明常表示板 (村松城址公園:1987年9月)
モハ11は村松駅から徒歩15分程の村松城址公園に保存展示されていました。
ここは蒲原鉄道の廃線跡のすぐ脇です。モハ11は保存されてまだ年月が経っていないので、比較的状態は良好でしたが、野ざらしだったので後が危ぶまれました。
その後、展示場所に屋根がついたそうですが、今はどうなっているかわかりません。