ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1131話 1995年蒲原:路線短縮から10年

もういにしえの記憶になってしまった蒲原鉄道ですが、1985年3月末の加茂~村松間の路線短縮から10年が経ったある日、様子を見に行きました。この日は新潟出張中の日曜日でした。いつもの様に新潟駅から磐越西線直通の気動車に乗り五泉蒲原鉄道に乗り換えです。

 

1.モハ31 (今泉~五泉:1995年10月)

しかし、この日は時間が早かったので、五泉から村松まで歩きながら沿線撮影をすることにしました。まずは、乗車予定だったモハ31を五泉近くで撮影です。この付近は過去にも撮影をした場所です。その時の様子は第418話でお伝えしましたが、あれからすでに7年が経ち、この周辺も新しい家が増えていました。

 

2.モハ31 (今泉~五泉:1995年10月)

正直なところ五泉村松間は、全線を歩いたことがありませんでした。蒲原鉄道の残存区間はわずか4.2kmで、そのほとんどは県道7号線に並行した殺風景な直線というイメージしかなく、撮影ポイントなどないという認識でした。

 

3.モハ31 (今泉~五泉:1995年10月)

ところが、歩いて見ると撮影ポイントが何箇所かありました。ただし、ロケーション的には良くありません。あくまで、電車が撮影できるポイントです。

 

4.モハ31 (今泉~五泉:1995年10月)

五泉~今泉間は住宅街を走ります。この辺りも新しい家が目立ちます。昔は一面田圃だったのか、その名残で住宅街に田圃が点在していました。こういう空間も辛うじて撮影ポイントでしたが、やがて住宅地になってしまうともう電車が撮れません。しかし、現在は路線の方がなくなってしまい、もうどうでも良い話しです。

 

5.モハ31 (村松~今泉:1995年10月)

今泉から先は、いよいよ県道7号線と併走です。今泉~村松間は広大な田園地帯で、何もなかったはずですが、道路沿いに建物が増えていました。

 

6.モハ31 (村松~今泉:1995年10月)

この先は、村松まで3km以上同じような風景が続きます。どこで撮っても一緒でした。

この日は、モハ31がピストン運行していました。休日ですが列車には結構乗客の姿が見えます。この電車は五泉行きなので、皆さん買い物へ出掛けるのでしょうか?

 

7.モハ31 (村松~今泉:1995年10月)

この頃は、村松から新潟へはすでに高速バスが主力となっており、そちらの方が安くて乗り換えもなく、早くて便利でした。それでも、蒲原電車の輸送需要はまだそこそこあった様です。