ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

第1147話 1994年岡山臨港:山陽路保存車の落穂拾い(その2)

岡山臨港鉄道は、1984年に国鉄の貨物合理化の犠牲で廃止されました。私が最後に訪問したのは高校生時代の1980年でした。今回は、廃止10年後の保存車の様子ですが、時間がなかったので気動車の確認はできず、機関車だけの報告です。 1.DC102(保存) (岡山…

第1146話 1995,97年別府:山陽路保存車の落穂拾い

1990年代は、片上鉄道や下津井電鉄が廃止され、山陽路のローカル私鉄は実質消滅しました。その後は撮影の対象がなくなってしまいましたが、数少ない保存車を求めて彷徨は続きました。すでに、一部の保存車についてお伝えしていますが、今回は未公開の画像を…

第1145話 1995年茨城交通:引っ越しの日の気動車三昧(その4)

那珂湊機関区には、恐らく新車が導入されたら廃車になるだろうキハ11形が、ちょうど日なたに出ていましたので、塗装のことは目を瞑って、真面目に撮影しました。 1.キハ112 (那珂湊:1995年5月) キハ11形と言えば、液体式気動車量産化となった記念すべき…

第1144話 1995年茨城交通:引っ越しの日の気動車三昧(その3)

夕方になり光線状態もソフトになってきましたが、風は収まらず田圃の水面は波打って、なかなか鏡の様にはなりません。 1.キハ221+キハ222 (金上~中根:1995年5月) この日の運用列車は、キハ221+キハ223とキハ202+キハ222の2列車に落ち着きました。キハ1…

第1143話 1995年茨城交通:引っ越しの日の気動車三昧(その2)

麦畑の次は田園地帯です。この時期の中根周辺は、田植えが終わって一面が鏡の様な水田なのですが、この日は風が強く、水面が波立っており、鏡ではありません。しかし、この時期に相応しい景観でした。 1.キハ202+キハ223 (金上~中根:1995年5月) この日…

第1142話 1995年茨城交通:引っ越しの日の気動車三昧

1995年の春。突然大阪へ転勤することになり、貴重なGWが引っ越しで潰れてしまいました。しかし、荷物を送り出した日に、悪あがきと言いましょうか、茨交で気動車三昧しました。 1.キハ221+キハ2004 (磯崎~平磯:1995年5月) なぜ茨交へ出向いたのか、そ…

第1141話 1995年筑豊界隈:残っていたセメント輸送(その3)

モーターカーの入換作業を見ていたらNo6がすぐに戻って来ました。戻りは単機回送です。金田まで所要15分程です。貨車の受け渡しを含めても往復1時間もかかりません。モーターカーは慌てて撤退です。 1.No6 (田川事業所:1995年8月) ここで、当時の保有機…

第1140話 1995年筑豊界隈:残っていたセメント輸送(その2)

金見専用鉄道のこの頃の列車運行は、不定期を含む7往復のスジが設定されており、定期列車は、門司港へ平日3便、荒尾・上熊本へ週2便運行され、土日は運行休止でした。列車は当然出荷が積車で、戻りは空車となりますが。7往復には貨車の送り迎えの単機回送も…

第1139話 1995年筑豊界隈:残っていたセメント輸送

かつて九州の筑豊一帯には多くの炭鉱が存在し、その大半が石炭を鉄道で輸送していたため、筑豊には網の目の様に鉄道路線が敷設されていました。しかし、石炭産業の斜陽化により、昭和の晩年には炭鉱が次々と閉山され、残ったのが空気を運ぶ国鉄の赤字ローカ…

第1138話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その5)

昼になると南国の日差しは容赦ありません。トップライトとなり、市街地は自動車の通行量も多く、陸橋上からの撮影となりましたが、暑くて干上がりそうでした。 1.910 (播磨屋橋~堀詰:1994年8月) 先程、鏡川橋行だった910は、ごめん行となって戻ってき…

第1137話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その4)

さて、二日目の高知ですが、先ずは朝から再び車庫見学です。二日連続の車庫訪問なので何事かと思われそうですが、前日は午後の訪問だったので陽の向きが異なり、逆光で撮れなかった車両が撮れると思ったからです。車庫訪問の様子は、第737話~第743話をご覧…

第1136話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その3)

知寄町で折り返す電車を撮影し、早々次の撮影場所へ移動ですが、東の後免方面ではなく西の伊野方面へ向かうことにしました。 1.630 (知寄町:1994年8月) ちょうど伊野行の630が折返して来たので、これに乗りました。行き先表示は「伊野」ではなく「いの…

第1135話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その2)

桟橋線の終点の雰囲気がすっかり気に入ってしまいました。しかし、時間がないので同じ場所に留まることはできません。そろそろ市街地へ移動です。 1.617 (桟橋通5丁目:1994年8月) 桟橋線は200形ばかりと思っていたら、密連付の600形冷房車も現れました…

第1134話 1994年土佐:「よさこい」って何?

土佐電の話題は、1994年8月時点の車両の状況を第737話~第743話でお伝えしましたが、今回はその続きの沿線撮影の様子をお伝えします。しかし、沿線撮影と言っても、土佐電は路線が長く、全線を撮影するには2~3日はかかります。この時はあまり時間がなかっ…

第1133話 1995年蒲原:路線短縮から10年(その3)

村松車庫では、一通りの撮影は終わったのですが、まだ時間がたっぷりありました。しかし、もう撮影するネタがありません。かつては、ここから信越線の加茂まで17.7kmもの越後の里山らしい風景が展開する路線があり、撮影には申し分ありませんでしたが、もう…

第1132話 1995年蒲原:路線短縮から10年(その2)

今泉から直線の県道を延々と3km歩いて、ようやく村松に辿り着きました。その間は列車を撮影する良い場所もありませんでした。 1.モハ31 (村松~今泉:1995年10月) ちょうどやって来た村松行きのモハ31は、村松車庫の手前で撮影です。ところで、モハ31は…

第1131話 1995年蒲原:路線短縮から10年

もういにしえの記憶になってしまった蒲原鉄道ですが、1985年3月末の加茂~村松間の路線短縮から10年が経ったある日、様子を見に行きました。この日は新潟出張中の日曜日でした。いつもの様に新潟駅から磐越西線直通の気動車に乗り五泉で蒲原鉄道に乗り換えで…