ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1135話 1994年土佐:「よさこい」って何?(その2)

桟橋線の終点の雰囲気がすっかり気に入ってしまいました。しかし、時間がないので同じ場所に留まることはできません。そろそろ市街地へ移動です。

 

1.617 (桟橋通5丁目:1994年8月)

桟橋線は200形ばかりと思っていたら、密連付の600形冷房車も現れました。この緑色の電車はホテルの広告ですが、600形には結構似合っています。

 

2.631、614 (知寄町三丁目~葛島東詰:1994年8月)

そして桟橋線から脱出して、ここは知寄町付近です。土佐電は、はりまや橋を起点に西は伊野線、東は後免線ですが、列車は両線を直通します。その大半の列車が途中折返しで、西の鏡川橋と東の知寄町間の列車本数が最も多く、知寄町にいると列車がどんどんやって来て折り返して行きます。

 

3.803 (知寄町三丁目~葛島東詰:1994年8月)

何だか強烈なのがやって来ました。これは後免方面からやって来た元山陽電軌の車両だった800形です。この場所は国分川を渡る専用軌道から併用軌道に変わる場所です。

 

4.627 (知寄町三丁目~葛島東詰:1994年8月)

後免行の627が走り去ります。行先表示は「後免」ではなく「ごめん」です。かつては後免から廃止となった安芸線に直通していましたが、この時点で19年前の話しです。この頃、安芸線の跡を第三セクター土佐くろしお鉄道が新線を建設していましたが、開業はまだ先の2002年でした。

 

5.602、631 (知寄町:1994年8月)

左の知寄町行の602は、ここで折返しです。右の鏡川橋行の631もここで折返して知寄町始発です。知寄町折返しの電車が結構多いです。

 

6.204、602 (知寄町:1994年8月)

この区間は併用軌道ですが、自動車は軌道内通行禁止です。しかし、軌道を見ると敷石があったりなかったりして、砂利が撒かれているところもあり、これでは自動車は走れません。わざとこうしているのか?

 

7.630、602 (知寄町:1994年8月)

撮影は知寄町の電停からです。それにしてもこの辺りは自動車が多いです。これでは沿道からの撮影は無理です。